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オーバースペック神話が日本のものづくりを蝕んでいる

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
基準よりも高い品質だと信じられてきた日本のものづくりが揺らいでいる(筆者撮影)

「基準より高い品質を守っている」というオーバースペック神話が日本の製造業では強かった。昨今の偽装事件は、その神話への誤解が日本のものづくりを蝕んだ結果ではないか。

・信じられてきたオーバースペック神話

 日本の製造業は、必要とされる基準以上の品質を提供しているということが当然のように言われてきた。

 11月につくばエクスプレスが、20秒早く出発したことを謝罪したと、海外のメディアでも話題になった。

 かくのごとく、日本人は非常に時間に厳密であり、だからこそ、ものづくりの品質管理にも厳格である。そう日本人も思ってきた。時に「必要とされている以上に」厳格に品質を守っているのだと。

 こうした「オーバースペック神話」は、様々な逸話として、海外でも、さらにその話が国内にも伝わって、日本のものづくりの誇りや自信を形成してきた。

・「もともと必要とされる以上の品質なのだから、文句を言われる筋合いは本来ない」

 先日、都内のある場所で偶然、同席した某大手企業の幹部社員の発言に驚いた。

 「もともと必要とされる以上の品質なのだから、文句を言われる筋合いは本来ない。」

 つまり、こういうことだ。もともと必要とされている品質以上の社内基準を設けて、製造してきたのであり、その社内基準を下回っても、安全性や性能評価になんら影響を及ぼすものではない。なので、仮に最終ユーザーが安全性などを問題にして訴えを起こしても、危険性が証明されない以上、大丈夫だという理屈だ。

 「だいたいだよ、安全性に問題ないのに、取り換える必要もないだろう。そんなことは、納入先は百も承知だ。だから、納入先企業は、騒がない。もともと必要以上の品質になっていたことは納入先企業も判っているのだから。欧米人は、日本のものづくりを尊敬してくれているし、信頼も高い。こんなことでいちいち騒いだりしないさ。」

・契約社会で許されるのか

 同じ席にいた別の大企業の法務担当の社員が、疑問を呈した。

 「契約上、書かれている基準を下回るのであれば、違約だろう。安全性の問題は、その国の監督官庁などの管轄で、もちろん、安全性に問題がないと判断されれば訴えはないだろう。しかし、契約書にかかれた品質と異なっていれば、相手先企業は違約金の支払いや、契約書に基づいた正規の部品の交換などを要求してくるだろう。」

 さらに中小企業の経営者が、「欧米の場合、最終ユーザーが集団訴訟を起こす可能性だってある。契約社会の欧米とビジネスをするのであれば、契約書に書かれていることと異なったことをするのは、致命傷でしょう。」と続けた。

 しかし、大手企業幹部氏は、「現場の人間は判っているし、そんな無駄なことはしないだろう。日本のものづくりは信頼されているから大丈夫だ。」と繰り返すばかりだった。

・国内一筋の製造畑出身幹部が危ない

 この話を中小企業経営者にすると、総じて驚いた顔をする。多くは海外進出を行っていたり、海外との直接取引に乗り出している経営者たちだ。

 「大企業の場合、国内の製造畑だけで昇進してきたという幹部が多い。海外経験を積めば、契約書の恐ろしさを身をもって知るはずだ。」

 「欧米人たちが、日本のものづくりに敬意を表してくれるからといって、適当なことをしても許してくれるなんて発想はどこから出てくるのだろう。」

 大企業の場合、従業員として製造部門だけを経験し、海外どころか営業や総務などを経験せずに来てしまった幹部社員も多い。仮に海外経験があっても、大企業の場合、製造現場だけしか見ておらず、「海外でも日本人は尊敬されている」といった自信だけを得て帰国するケースも少なくない。特に50歳代後半から60歳代の場合、入社した時にはすでに日本の製造業は世界のトップランナーであり、今でもそうに違いないと言う過信が強い人も多い。むしろ、海外企業に追いつけ追い越せと、絶えず競争相手である海外に憧れと劣等感を持ちながらやってきた団塊の世代から上の方が、ましだったかもしれない。

 さらに、国内での慣習が海外でも通用すると勘違いすることも多いようだ。

 「訴訟でも、日本の企業同士の場合、書いていないことについては話し合いで調整をということが多い。しかし、欧米どころか東南アジア諸国でも、契約書に書いてないことはやらない。書いてあることは厳密に守れという姿勢だ。未だに、大企業の幹部でも、まさかそこまではやってこないだろうとのんきに構えている人がいて、困るよ。」

 知人の企業法務に詳しい弁護士は、そのように苦笑する。

・「オーバースペック神話」が引き起こした驕り

 実は、このオーバースペック神話はずいぶん前から浸透していた。「日本のものづくりはオーバースペックだ」という意見は、筆者がメーカー系の企業にいた20年以上前から頻繁に耳にしてきたことである。

 

 しかし、本来的には「オーバースペックと言われるまでに品質を向上させているから、日本のものづくりへの信頼が厚いのだ」という意味であった。

 ところが、いつの間にか「我々はオーバースペックでものづくりをしているのだから、多少、社内基準が下回っても、外に出せば、充分一級品だ」という驕りにすり替わってしまったようだ。

 

 小企業ながら、安定した経営を行っているある企業を訪問した際に、経営者が言ったことが印象に残る。問題を起こしている大企業の経営者、幹部社員はなにか大きな勘違いをしていないだろうか。

 「うちは親父の代から、無駄に丁寧だと言われ続けてきた。そんなところまで誰も気が付かないだろうとも笑われた。しかし、この分野で残っているのは、全国でもうちだけになってしまった。最近では海外からも仕事の引き合いが多い。実は、無駄でも、誰も気が付かないことでもなかったのですよ。」

神戸国際大学経済学部教授

1964年生まれ。上智大学を卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、山形県川西町総合計画アドバイザー、山形県地域コミュニティ支援アドバイザー、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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