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デジタル時代だからこそ、アナログツールの名刺の力

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
デジタル時代になっても名刺は無くならない(ペイレスイメージズ/アフロ)

名刺。小さな紙片に名前が書かれたものだ。一時は、SNSなどが普及すればいらなくなるのではないかと言われてきたが、意外にも話題になっている。地域振興で名刺はどのように活用すべきか。

・名刺の裏に割引券

3月21日、横須賀市長が報道陣の取材に対して、自身が配布していた名刺が公職選挙法違反の恐れがあると市の選挙管理委員会から指摘されていたにも関わらず、6年間配布し続けていたとして、謝罪し、使用の中止を発表した。問題になった名刺は、横須賀市内の観光名所がデザインされた6種類のうちの2種類で、名刺を持参すると観光船の乗船料金が10%引きになるという記載がされていた。市選挙管理委員会は、配布当初に神奈川県選挙管理委員会に問い合わせ、「公職選挙法で禁じられている寄付行為にあたる可能性がある」と回答されたため、市長に報告していたという。

このニュースにヒヤリとしたのは、横須賀市の関係者だけではないだろう。地域おこし、観光振興でいろいろ頭を絞ったその一つが名刺に観光PRの役割を担わすことで、「それならばいっそ、割引券にしてしまえ」というのは、容易に考え付きそうなことだ。

・公職選挙法違反の危険性も

公職選挙法の規定に基づけば、この場合、選挙区外に居住する横須賀市民以外に割引券付き名刺を渡すことは問題がないようである。しかし、「いちいち名刺を渡す相手に、あなたはうちの市民ですか、そうではないですかと聞くのも無粋だ」(他の自治体の首長)と笑うように、不特定多数を目的にした観光PRに用いるのは難しそうである。さらに名刺に掲載する企業をどのように選定するのかも問題になる。特定業者だけを掲載することは好ましくないし、かといって公募してしまうと小さな名刺に入りきらなくなる可能性も高い。そもそも、市長からもらった名刺を観光に訪れる時に忘れず持参する人はどれくらいいるだろうか。「観光フェアの時に配布する地図やパンフレットに割引特典を付ければ良いだけで、特定業者への優遇を疑われたり、違法すれすれだと指摘されてまで首長の名刺に印刷する必要はあるのか」(他の自治体の幹部職員)と言うのが通常の判断だろう。

・フェイスブックなどSNSの登場でも無くならい名刺

フェイスブックなどSNSが全盛時代となり、名刺など不要ではないかと言われてきているにも関わらず、名刺が無くならないのはなぜだろうか。SNSなどが発達したことで、むしろ名刺の役割が、単なる情報の交換というだけではなく、その場での話題づくりや印象づくりに変化してきているようだ。

仮にすでにメールで仕事のやり取りをしていたり、SNSで繋がっていたとしても、初対面の時には「改めまして」と名刺の交換をすることが多い。すでに名前や肩書や所属、連絡先などは判っているのだから、わざわざ紙に書かれたものを交換する必要はないはずだ。

儀礼的だと切って捨てることもできるが、名刺という小さな空間の中にどういったデザインや表記がなされているかで自分の個性や所属機関の性格をPRするものと考える人が多くなっているのではないか。

実際、名刺交換をしてみると、製造業系の中小企業の経営者などでは、自ら扱っている素材を名刺に使っている人が多くみられる。紙はもちろん、木、プラスチック、金属など様々な素材で自社製品をPRしようとしている。さらに営業部門の担当者たちは、顧客に覚えてもらうために似顔絵を入れたり、製品の写真を入れたりと様々な工夫を凝らしている。

・地方自治体職員の名刺にもちょっとした工夫を

地方自治体職員などの名刺では、その土地の名所や祭りなどの図柄が印刷してある。多くの場合、それらはすでに知名度の高い観光名所の図柄である。観光PRのために行うのであれば、もらった人が意外性に驚いて、「これはなんですか」とか「ここはどこですか」と聞いてくるような仕掛けが必要である。だとすれば、あまり知られていない名所や名産品を掲載すべきだろう。東京から来ましたと、スカイツリーの写真が載った名刺を渡されても、会話が弾むとは思えない。「知られていないこと」を宣伝してこその広報活動なのだ。

・宣伝戦略の一つだったくまモンの名刺

2011年、熊本県で行われた東日本大震災へのチャリティーバザーで、くまモンの名刺コンプリートコレクションセットが出品され、4万5千円という価格で落札され話題を呼んだことがあった。くまモンは、今でこそ、国際的にも知名度の高いキャラクターに成長したが、登場当初はなかなか知名度が上がらず、苦戦していた時期があった。知名度を向上させる手法の一つとして採られたのが名刺の配布だった。従来の行政の広報戦略では考えられないような自虐ネタを書いた名刺を複数種類用意し、知事からくまモンに「名刺1万枚を配布するミッションが出た」ということで、名刺を配り歩いた。その名刺が面白いと話題になり、コレクションする人まで現れたのだ。くまモン人気を支えた一つの戦略に名刺の活用があったと言える。集めたからと言ってなにか特典があるわけではないが、名刺そのもののデザイン性やメッセージ性が人気を集め、結果的に熊本県の知名度向上に役立った例だ。

・広告宣伝=割引券ではなく

その街の文化や特色に興味を持ってもらえる名刺をどのようにデザインするのかを、もっと自治体職員や地元の人たちを巻き込んで考えてみるという活動もあってもいいのではないだろうか。

ちなみに横須賀市長の配布した名刺を観光船乗り場に持参した時の割引率は10%、わずか140円。乗り場の前で配っているのならばともかく、もらった名刺を後生大事に取っておいて、訪ねた時に使う来街者は少なかろう。なにより集客のためには割引という発想から離れてもいいのではないだろうか。

・デジタル時代だからこそ、名刺の力

人々がその街を訪れてみたいと思うのは、期待を持ち、興味を持ってくれた結果である。パソコンプリンターが普及すれば、万年筆が売れる。SNSやメールで事足りるけれども、名刺に多くの人が関心を持つ。

デジタルな時代だからこそ、アナログな道具の力が地域振興にも役立つのではないだろうか。地域振興の策としても、もう一度、名刺の新しい活用方法が創造されてきても良いだろう。

神戸国際大学経済学部教授

1964年生まれ。上智大学を卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、山形県川西町総合計画アドバイザー、山形県地域コミュニティ支援アドバイザー、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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