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宝塚歌劇花組公演『うたかたの恋』…生まれ変わった名作、その改変のポイントを探る

中本千晶演劇ジャーナリスト
イラスト:牧彩子(『タカラヅカの解剖図鑑』より転載)

 現在、東京宝塚劇場で上演中の花組公演『うたかたの恋』が注目を集めている。なぜなら、往年の名作と称されてきた作品が、このたびの再演で新しく生まれ変わったからだ。

 『うたかたの恋』は、クロード・アネの小説の舞台化であり、オーストリア・ハプスブルク家の皇太子ルドルフと男爵令嬢マリー・ヴェッツェラとのマイヤーリンクでの心中事件を描いた物語である。柴田侑宏が脚本を手がけたこの作品は、1983年に初演されて以来、1993年星組、1999年月組、2000年宙組、2006年花組、2013年宙組、2018年星組と再演が繰り返されてきた(1999〜2013年の各公演は全国ツアー、2018年は中日劇場にて上演)。

 ところが、今回の再演はこれまでと違う点が2つある。一つは、演出を担当する小柳奈穂子が「潤色」も手がけること、つまり柴田氏の脚本に手が加えられたことだ。そしてもう一つは、30年ぶりに再び宝塚大劇場・東京宝塚劇場(以下、大劇場)で上演されることである。

今回の変更のポイントは?

 今回の再演で潤色・演出を担当した小柳奈穂子は「原作の魅力を伝えることを第一とした」と語る。曰く「タカラヅカは『愛』の劇団だと言われるが、この作品は極めて政治的な話でもある」「少年時代に第二次世界大戦を体験し、その悲惨な光景を胸に焼き付けていた柴田侑宏氏が作り上げた華やかな舞台、愛というテーマにはもう一つ深いレベルで立ち向かうべきでは」と言っている(公演プログラムより)。

 また、この作品が初演された1983年から現在までの間に、タカラヅカでは『エリザベート』(1996年初演)という同時代を描いた大ヒット作が生まれている。今や観客の多くが『エリザベート』に重ねてこの作品を見るであろうという状況も、考慮されているように思える。

 こうして生まれた2023年花組版『うたかたの恋』は具体的にどこが変わっているのだろうか? その改変のポイントは次の5つにまとめられるだろう。

大劇場の機構をフルに活かした演出

 幕開け、大劇場独自の舞台機構である「大階段」にて向き合うルドルフとマリーにいきなり目を奪われる(全国ツアーの場合、この場面は数段の階段しか使えないのだ)。また、プラーター公園や酒場(ザッシェルの店)の場面に集うさまざまな人たちが「ウィーンの民衆」の存在感を感じさせる。このほか全編通じて随所に、大劇場ならではの見せ方の工夫がなされている。

当時の政治的状況、ルドルフを取り巻く人たちのそれぞれの思惑が描かれ、ハプスブルクの伝統の重みが強調されている

 今回、フリードリヒ公爵(羽立光来)がルドルフの動きについて密談する場面や、新聞記者のゼップス(和海しょう)とクロード(侑輝大弥・この役名はクロード・アネから取っているのだろうか)が逮捕される場面など、政治色の濃い場面が追加されている。これまでのバージョンではルドルフを皇太子の地位から追い落とそうと謀るフリードリヒ公爵が「敵役」だったが、今回はフリードリヒも含め取り巻く人や状況全てが、ルドルフを追い詰めていくという描かれ方になっている。

 新たに追加された「双頭の鷲」の場面もその象徴だろう。また、皇帝フランツ・ヨーゼフ(峰果とわ)の執務室の背後の巨大な「双頭の鷲」もハプスブルクの伝統の圧倒的な重みを表しているようだ。

二人が出会ってから心中の決意をするまでの気持ちの変化も細やかに描かれる。夢々しい純愛に終わらない

 今回、ルドルフとマリーの初めての逢瀬から、フランツ・ヨーゼフによって別れさせられるまでの過程の描かれ方がかなり変わっている。この改変も作品全体の印象を大きく変えているので、少し詳しく見ていこう。

(これまで)

・ルドルフとマリーは初めての逢瀬の日に主題歌「うたかたの恋」を歌う。

・その後、ブダペストでの「転地療養」から戻ってマリーと久しぶりに再会したルドルフが「僕たちの将来を考えよう」と言ったとき、マリーは「私たちに将来はあるのでしょうか」と答えつつ「お話の最後が『ルドルフとマリーは一緒であった』であればいいのです」と言う。そしてルドルフは「マリーを清らかなままでおく誓い」を破る。

・以前とうって変わってあまりに幸せそうにしている二人を周囲の人々がいぶかしく思い始める。

・再びルドルフの部屋、マリーはエリザベート皇后と出会う。このときルドルフは「死して後も愛によりて結ばれん」という言葉と「私たちのあの日」の日付が刻まれた指輪をプレゼントする。

(今回)

・ルドルフとマリーは初めての逢瀬では「うたかたの恋」は歌わず、ルドルフの「またお会いできますか?」で終わる。

・ブダペストでの「転地療養」から戻ってきたルドルフを訪ねたとき、マリーはエリザベート皇后(華雅りりか)と出会う。このときルドルフは指輪をプレゼントするが、刻まれているのは「死して後も愛によりて結ばれん」という言葉のみ。また、ルドルフが「僕たちの将来を考えよう」と言ったとき、マリーはルドルフのその言葉だけで満足し、「お話の最後が『ルドルフとマリーは一緒であった』であればいいのです」とまでは望まない。

・ヴェッツェラ家への密告により、マリーがトリエステの叔父のところへ預けられてしまったため、ルドルフは酒場で大荒れ。ようやく戻ってきたマリーとルドルフの間で「私がいかに傷ついているか、わかるか?」「わかります」「僕を救って欲しい」「あなたとずっと一緒にいます」といった緊迫したやりとりがある。二人はこの後でようやく主題歌「うたかたの恋」を歌い、ルドルフは「マリーを清らかなままでおく誓い」を破る。

 つまり、これまでは出会った瞬間から宿命の恋に落ちてしまったという描かれ方であったのが、今回は二人が少しずつ心の距離を近づけ、最終的にお互いがお互いにとってなくてはならない存在であると確信するまでの過程が段階的に描かれている。

 最後のマイヤーリンクの場面でも、「狼男ごっこ」でふざけながら互いの気持ちを確かめ合うくだりがなくなっているし、マリーは死の床をバラの花で飾ったりもしない。心中は二人の関係の終着点としてのそれぞれの決断であり、必ずしも夢々しい愛の成就ではないということだろう。

フェルディナンド大公の役が大きくなった

 今回、ルドルフの死後、皇太子となるフェルディナンド大公(永久輝せあ)の扱いが大きくなり、ルドルフ(柚香)、ジャン・サルヴァドル(水美舞斗)、そしてフェルディナンド大公(永久輝)と、ハプスブルクの皇子の三者三様の生き様が対比される。また、プラーター公園の場面でフェルディナンド大公の恋人のソフィー・ホテック(美羽愛)が紹介される。身分違いのソフィーとの恋を成就させるためには「自らが皇帝になるしかない」というフリードリヒの言葉にフェルディナンド大公の心が揺らぎ、マイヤーリンクにルドルフを捕らえに行く役割を自ら引き受けるという展開である。

お笑い要素は全体的に減っている

 これまでのバージョンでは観客を和ませる「お笑い担当」であった従者ブラットフィッシュ(聖乃あすか)と執事ロシェック(航琉ひびき)のキャラクターが真面目になった。たとえば、これまでは二人がマリーをルドルフの部屋に案内する場面が、アドリブも入るお楽しみの場面であり、ロシェックは「古臭い置き物みたい」などと言われていたが、今回はそれがなくなっている。これも作品全体のテイストに即した変更といえそうだ。

2023年花組版『うたかたの恋』の魅力とは?

 激動の世紀末、歴史の歯車が大きく動く中で、死に向かっていく二人の物語…今回の2023年花組版からはそんな印象を受けた。そして大劇場というハコが、その物語にとてもよく合っていた。また今回、要所要所で使われるウィンナワルツ「美しく青きドナウ」の軽やかな調べが、ひときわ切なく哀しく感じられた。

 これまでの『うたかたの恋』は宿命的に出会ったルドルフとマリーが死をもってその愛を成就させていくという悲恋物の色合いが強かったけれど、今回は激動の時代とハプスブルクの重みに押し潰されていく孤独な皇太子の物語だった。そして、彼を健気に支えようと決意した女性の物語でもあった。

 身も蓋もない話だが、今回のルドルフはマリーに出会っても出会わなくても、自死に行き着くしかなかったのではないかと思わせる。つまり、愛を成就するためというより、周囲の状況に追い詰められて死んだのだ。ルドルフはマリーに「旅に出ることになった」とまず言い、その後「一緒に来るか?」と誘う。つまり、ルドルフはたとえ一人でも「旅に出る」つもりだったのだ。このセリフ自体は以前と変わっていないのに、今回特に耳に残った。柚香光のルドルフは、そうやって壊れていく繊細なガラス細工のようなルドルフであった。

 そして、マリーも自分の意思で(今風の言葉で言うならば「自己責任」で)死を決断したように感じられた。おそらくマリーにとってのルドルフは、最初は今でいうところの「推し」に過ぎなかったのだろう。つまり、マリーがルドルフを見守るためにウィーンに居続け、劇場で熱心に見つめるのは「推し活」の一環である。

 それが、ひょんなことから「推し」とリアルに付き合うことになり、命を捧げるまでの深い関係となっていく。そんなマリーの気持ちの変化にも、今回はきちんと焦点が当てられているように感じた。正直、死ぬのはとても怖かっただろうし、ベッドを花で飾る気分ではなかっただろう。マリーはルドルフに「行くときがいつかはおっしゃらないで」と言う。このセリフもこれまでと変わっていないのに、今回は切実だった。これまでのマリーは浮世離れしていて正直理解に苦しむところがあったが、今回のマリーには現実味を感じることができた。

 ジャン・サルヴァドルが舞踏会で皇太子妃ステファニー(春妃うらら)からマリーを守る場面を見て、そういえば初演のこの役はダンスに定評のあった平みちさんであったことを思い出した。決然と踊るその姿からは、「二人のために自分にできることは、これしかないのだ」という哀しみも伝わってくるようだった。

 今回、「サラィエヴォ事件」の犠牲者として知られるフェルディナンド太公の役を膨らませ「事件前夜」を描いてみせたことは、歴史劇としての厚みを増す効果もあったように思う。史実では、皇帝フランツ・ヨーゼフは結局、フェルディナンド太公とソフィーとの貴賤結婚も受け入れることはなく、二人はウィーンから逃げるようにサラィエヴォを訪問し、命を落とす。これが第一次世界大戦の引き金を引いてしまう。そうとわかっているだけに、今回の作品の中でのフェルディナンド大公の選択はやるせない。

 私自身は宝塚大劇場で上演された1983年の雪組初演版や1993年星組版を見ておらず、それ以降の全国ツアーなどで上演されたバージョンしか見たことがない。そのせいか、極めてタカラヅカ的だと言われるこの作品に対して、どこか物足りなさを覚えていた。それが今回は払拭された感があり、見応えを感じている。だが、この作品との出会い方や思い入れ次第で、今回の改変に対する印象もまた人それぞれであろう。

 だが、演劇とは時代の申し子であり、2023年花組版は今の時代、今のタカラヅカが生み出した『うたかたの恋』である。それに対して侃侃諤諤と議論し合えることは、幸福で健全な観劇の楽しみではないかと思う。

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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