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こまつ座『紙屋町さくらホテル』が今、この時代に伝える舞台の魔力と人間の強さ

中本千晶演劇ジャーナリスト
※記事内写真 撮影:田中亜紀

 7月3日、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて、こまつ座『紙屋町さくらホテル』が幕を開けた。2016年に上演されたときにも観劇した作品だ。ところが、今回の観劇では前回と全く違う印象を受けた。何故か? そこにはやはり、演劇をめぐる環境がコロナ禍によって大きく変わったことが影響しているように思った。

 1997年、井上ひさしが新国立劇場中劇場のこけら落とし公演のために書き下ろしたこの作品には、広島で被爆した移動演劇隊「さくら隊」の丸山定夫と園井恵子など、実在の人物が登場する。

 時は終戦直前の1945年5月、広島の「紙屋町さくらホテル」には、「新劇界の団十郎」の異名をとる俳優・丸山定夫(高橋和也)が率いる移動演劇隊「さくら隊」が宿泊していた。「さくら隊」は、宿で働く人や泊まっている客を巻き込みながら、2日後に迫った公演の準備に余念がない。日系二世の神宮淳子(七瀬なつみ)、淳子の従姉妹で生粋の広島っ子の熊田正子(内田慈)、言語学者の大島輝彦(白幡大介)、ピアノの得意な浦沢玲子(神崎亜子)、そして、淳子を「敵性外国人」として監視する任務を負った特高警察の戸倉八郎(松角洋平)までも加わって、稽古は進んでいく。

 この宿には傷痍軍人の針生武夫(千葉哲也)と、薬売りの長谷川清(たかお鷹)も宿泊し、稽古に参加している。だが、二人ともいわくありげで、どうやら陸軍と海軍、それぞれの密命を負っている様子である…。

左より、千葉哲也、たかお鷹、内田慈、松角洋平、松岡依都美、白幡大介、七瀬なつみ、神崎亜子
左より、千葉哲也、たかお鷹、内田慈、松角洋平、松岡依都美、白幡大介、七瀬なつみ、神崎亜子

 2016年に観劇したときに書いた公演評に、私は「極限状態でもなお芝居をし続ける意味とは?」というタイトルをつけている。おそらくそのココロは「芝居を愛する人たちは極限状態でもここまで頑張れるものなのか。すごいものだ」…どこか他人事だった。

 だが今は違う。この作品の時代とは比べ物にならないにせよ、私たちも「公演を続けることが当たり前ではない」ことを知ってしまった。そんな今だからこそ舞台の魔力、そして舞台にかける人の強さを改めて感じる。そのせいだろうか。不思議なことに、前回見たときよりとびきり愉快でたくさん笑った。そして元気がもらえた。

 度重なる空襲警報の中で続けられる「無法松の一生」の稽古が楽しい。築地小劇場に思いを馳せる丸山定夫が舞台にかける思いから、初めて演じる面白さを知った神宮淳子の喜びまで、とにかく皆、心から芝居が好きなのだという気持ちが伝わってくる。

 とりわけ、最初はまったくの無理解だった特高警察の戸倉八郎が、強面な表情を少しずつ崩していき、最後には一番の理解者となっているさまは痛快だ。これぞ「芝居の魔力」である。

左より、松角洋平、高橋和也、七瀬なつみ
左より、松角洋平、高橋和也、七瀬なつみ

 「役者なんて、生きていくのに必要な何物も生み出せない存在じゃないか」と罵倒する戸倉に対して、丸山は「いや、百姓でも漁師でも、何にでもなれるのが役者だ。そのために、役者は常に宝石のような心を持っていなくてはならない」と言い返す。2016年にはどこか綺麗事だと感じていたかもしれないこのやりとりが、今は真に迫って聞こえてくる。

 演出の鵜山仁は「『不要不急』は何ら恥じることではない。創造は『余計なノイズ』から生まれるものだから」と言ってのける。その強い思いが、今回の再演の根底に流れている。

 2016年の公演評には「にわか役者となった面々が見せる『大根役者ぶり』も、この作品のユーモラスな見どころ」などと書き残しているが、それも今回は全く違う感じを受けた。稽古が進むにつれて彼らなりに上手くなっていく様子が頼もしいし、ワクワクする。そして、彼らの芝居はきっと観客の心を動かしたに違いないと思う。空襲警報にも軍部の圧力にも果敢に立ち向かい、舞台の幕を開けてみせる彼らの姿は、今の時代にはリアルに希望なのだ。

 その裏で交わされ続ける、針生と長谷川との丁々発止のやりとりにも息を呑む。演出を担当する鵜山氏は「保守のしたたかさ(針生)と、正論の危うさ(長谷川)が張り合うことで生まれるエネルギーがある」と話していた。唯一、戦後も生き残った二人の戦いは、この作品を貫くもう一本の糸である。

左より、たかお鷹、千葉哲也
左より、たかお鷹、千葉哲也

 そして、タカラヅカを愛する私としては、園井恵子(松岡依都美)はやはり特別な存在だ。戦前の宝塚少女歌劇で男役スターとして活躍し、その後、新劇に転じた人である。菊田一夫もその演技力を絶賛したという園井だが、この作品に登場する彼女はどこかユーモラスでお茶目だ。園井がオーバーでわざとらしい「タカラヅカ流演技術」を披露してみせるくだりも、前回より圧倒的にパワーアップしていた気がした。

(なお、この作品では笑いのネタにされている「タカラヅカ流演技術」だが、園井だけではなく戦後の宝塚歌劇でも大きな課題とされ、その克服のために努力が重ねられた歴史があることは付記しておきたい)

左より、内田慈、松岡依都美、七瀬なつみ
左より、内田慈、松岡依都美、七瀬なつみ

 私たちは、この物語の行き着く先を知っている。明るい場面が「限りあるひとときの輝き」とわかっているから、余計に眩しく感じられる。あの「すみれの花咲く頃」をこれほど美しく、これほど残酷に使った芝居があるだろうか。

 この作品は100年先の未来まで残すべく、8Kカメラと立体音響で収録されることが決まっているそうだ。

 同じ作品でも時代の移り変わりの中で伝わるものが大きく変わることがあることを、今回の再演で痛感した。さて、これからの時代の中で、この作品はどのような意味を持つことになるのだろうか。

左より、千葉哲也、七瀬なつみ、たかお鷹、松角洋平、高橋和也、白幡大介、内田慈、神崎亜子、松岡依都美
左より、千葉哲也、七瀬なつみ、たかお鷹、松角洋平、高橋和也、白幡大介、内田慈、神崎亜子、松岡依都美

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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