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これぞサヨナラ公演、楠木正行の生き様に珠城りょうが重なる、宝塚歌劇月組『桜嵐記』

中本千晶演劇ジャーナリスト
※画像制作:Yahoo! JAPAN

 楠木正成と、息子の正行(まさつら)。歴史上の人物の中でも、不思議と心惹かれてきた人物だ。

 きっかけは『太平記』(もちろん子ども向け)を読んだことだった。機略でもって鎌倉幕府の大軍を打ち破り、最期まで南朝の後醍醐天皇への忠義を尽くして散っていった楠木正成。子ども心にも、その生き様がカッコいいなあと思っていた。

 だが、息子の正行は少々不憫な気がしていた。正成の死後その遺志を引き継いだ彼には、選択の余地はなかったように思えた。そして、若くして「四條畷の戦い」にて死んでしまう。そんな人生、正行自身はどう思っていたのだろうとずっと心に引っかかっていた。

 宝塚歌劇月組公演『桜嵐記』は、その楠木正行が主人公だ。この公演で退団する月組トップスター・珠城りょうが正行を演じる。作・演出は上田久美子である。

 時は南北朝時代の1347年。父・正成は湊川の戦い(1336年)ですでに果て、北朝の天皇を擁する足利尊氏が室町幕府を開いている。残された正行らは吉野で南朝方を守っている。

 この作品の中の正行もやはり、生きる意味を模索していた。だが、この作品の正行は、結末にその答えを見出すのである。

 最初から「散る」ことを宿命づけられた人生も、あるのかも知れない。まさにパッと咲いて散る、桜のような人生だ。正行の生き様をみて、そんなことを思った。

 そうとわかっていながら歴史の大きな流れの中に己が身を委ねる決意をする。それが宿命を受け入れるということなのだろう。その姿がトップスター珠城りょうの姿と見事に重なってみえる。若くして重責を背負い、ままならぬことも多々あったに違いない。それも全て受け入れ、トップスターとしての役割を粛々と果たした今、去っていこうとしている。その意味で、サヨナラ公演に相応しいあて書きだ。

 その正行と淡い恋に落ちる南朝の女官・弁内侍を、珠城と共に本作で退団するトップ娘役・美園さくらが演じる。彼女もまた、幼い頃に戦で親を惨殺された経験から、自分の「生」を肯定できずに生きている。甘いラブシーンらしきものはなく、ちょっとしたやりとりや、さりげない仕草の積み重ねの中で、二人が心を通わせていくさまが繊細に描かれるのがこの二人らしい。

 周囲の計らいによる婚儀の勧めを正行はきっぱりと断るが、これもある意味、最高の愛の告白ではないかと逆にときめいた。死と隣り合わせに生きる二人だからこそ、極限にまで純化された愛が生まれるのだと思う。

 武士のくせに戦よりも料理が得意な次男の正時(鳳月杏)。妻の百合(海乃美月)とも仲睦まじく、幸せな家庭を築いている。三男の正儀(まさのり・月城かなと)は、飄々として戦場は遊び場だと言ってのける典型的末っ子だ。鳳月、月城がそれぞれ、これまで演じることが多かった役どころとは一味違うキャラクターに挑戦するのも見どころである。

 三兄弟は、幼い頃、父・正成(輝月ゆうま)から「南朝を守っていくように」との教えを受けて育っている。

 長男の正行とはまた違う個性を持つ弟たちは、どういう生き方を選ぶのか? 二人のサブストーリーが研ぎ澄まされていけば、さらに見応えも増す予感。晩年、南朝の幕引き役を果たすこととなる正儀を、次期トップスターの月城が演じる趣向もサヨナラ公演らしい工夫だ。

 正行ら南朝方に対峙するのが、室町幕府の足利尊氏(風間柚乃)である。尊氏は新時代のリーダーらしく威風堂々と構えているが、その足元はすでにほころびを見せている。権力をむさぼり色に溺れる高師直を紫門ゆりやが生々しく演じ、新境地を見せた。

 いっぽう、後醍醐天皇亡き後の南朝を受け継ぐのが後村上天皇(暁千星)だ。父・後醍醐天皇(一樹千尋)の呪縛から逃れられず、戦で死んでいった者たちの怨念を背負っている。人生の選択の余地がないという点では正行と同じだ。その彼が最後に正行にかける言葉に万感の思いがこもる。 

 勢いに乗る北朝(室町幕府)と滅びゆく南朝。だが、どちらも闇を抱えているのは同じだ。利害が入り乱れ、野望がうごめく。何ともやるせない、じめっとした時代である。その中で描き出されるドロドロとした人間模様はまさに「芝居の月組」の真骨頂だ。

 だからこそ、潔く散っていく正行の生き様が際立つ。哀しい結末とは裏腹に、満開の吉野の桜が咲き誇る大詰めはあまりにも美しい。そして、一枚の絵のように決まる幕切れは歌舞伎を思い起こさせる。

 タカラヅカの日本物で圧倒的に多いのは幕末を舞台にした作品だろう。戦国時代から江戸時代の初期を舞台にしたものも多い。だが、同じ戦乱期でも南北朝時代を舞台にした作品はほとんどない。天下統一に向かう戦国時代や、旧体制の破壊である幕末と違い、時代の価値観が一方向に向かっておらず一筋縄ではいかない分、タカラヅカ的に舞台化しにくいからだろうか。

 しかしそれだけに、この時代を敢えて舞台として選んだ作品はユニークだ。能楽師・世阿弥の二人の息子が権力に弄ばれながらも芸を継承していくさまを描いた『更に狂はじ』(2000年)、悪政で知られる室町幕府六代将軍・足利義教の治世を舞台にした『睡れる月』(2005年)など、鮮烈な印象がある。

『桜嵐記』もまた、これに続いて名を刻む作品になりそうだ。観客に馴染みの薄い時代である点に配慮し、幕開きにわかりやすくスピーディな時代解説があるのがありがたい。

 上田久美子氏の作品は視座の高さとスケールの大きさが魅力だ。歴史の転換期の荒波に翻弄される人、それも時代の勝者ではなく敗者を描くのに長けていると思う。その強みは、時代背景を観客と共有しやすい日本物の方が活かされやすい気がする。

 正行の生き方のように、短期的な要素におもねることなく、より大きな流れの中で生み出されるべき作品を、これからも観てみたいと思う。

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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