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全日本女子硬式野球クラブ選手権大会会場で出会った、夢に向かって輝くOG選手

中川路里香フリーランスライター

タンザニアでの経験を形に残そうと奮闘するOG選手、棚原彩さん

 現在開催中の「全日本女子硬式クラブ野球選手権大会」。メイン会場である、成田市営大谷津運動公園野球場で、一人のOG選手がアフリカウエア&雑貨ショップを出店しています。全日本女子野球連盟が取り組んでいるセカンドキャリアサポートの一環です。

球場前に出現した、Pa mojaのリアルショップ(筆者撮影)
球場前に出現した、Pa mojaのリアルショップ(筆者撮影)

 ショップのオーナーは、棚原彩さん。アフリカンウエアのオリジナルブランド「Pa moja(パ・モジャ)」を立上げ代表を務めています。普段は、オンライン販売をしていますが、28日まで会場にリアルショップをオープンしています。また、連盟とのコラボTシャツ(受注生産のため受付のみ)やステッカーも販売しています。自宅のある大阪から自家用車を一人で運転し11時間かけてやってきました。

棚原彩さん。ブランドロゴマークと地球儀を持って、ハイ、ポーズ。もっともっと世界中を飛び回りたいと話す(筆者撮影)
棚原彩さん。ブランドロゴマークと地球儀を持って、ハイ、ポーズ。もっともっと世界中を飛び回りたいと話す(筆者撮影)

 棚原さんの球歴は、小学生から始めて京都両洋高校に女子硬式野球部一期生として入学、そして大阪体育大学時代まで硬式野球を続けました。アフリカとの出会いは、大学を卒業した2019年、JICA(海外協力隊)から体育の教師と野球のコーチを担う隊員としてタンザニアへ渡ったこと。が、新型コロナの影響で2年任期の予定が8カ月で帰国を余儀なくされ「せっかく経験したことを白紙に戻したくなかった」のがブランドを立上げる決意となりました。

 帰国直後の二週間の隔離生活中でのこと。春先の肌寒さにスーツケース一杯に詰め込んでいたキテンゲを取り出し体に身につけ、その上からスポーツジャケットを羽織って鏡を見たら「ジャケットから覗く鮮やかな色合いとジャケットがとても格好いいなって。何より元気になったんです」。キテンゲというのは、アフリカ独特の色と柄の布のこと。そこでスポーツウエアとアフリカを掛け合わせることを閃きました。キテンゲをワンポイントとしてウエアにあしらい販売することで、自分とアフリカとが繋がれるのでは…考えたのだそうです。

ショップに飾られていたキテンゲ。目にも鮮やかな色だ(筆者撮影)
ショップに飾られていたキテンゲ。目にも鮮やかな色だ(筆者撮影)

 ウエアに縫い付けるキテンゲは、タンザニア滞在中に現地で知り合い、棚原さん曰く「一番信用できる」というタクシードライバーからキテングを送ってもらう形で仕入れています。元気なカラーリングだからというのもあって、スポーツ選手や、スポーツ観戦が趣味という人たちからのオーダーが多いそうです。

「Pa moja(パ・モジャ)」とは、日本語で「一緒に」

 ブランド名のPa moja(パ・モジャ)とは、タンザニアの公用語のスワヒリ語で「一緒に」という意味。食事をするときも、どこかへ出かけるときも「一緒にどう?」と、常に声をかけてくれた現地の人たち。そんな優しさが心に沁みたこともあって、このブランド名にしました。

 水道や電気の通っていない生活がまだまだ当たり前の現状を思い返しても、「何でも揃う日本なら、やろうと思ったことは何でも実現できる」と感じたといいます。それが原動力と話します。

 棚原さんの思いが綴られている「Pa moja」のHPはコチラから

https://pa-moja20.com/

選手時代の思い出や野球から学んだことは何ですか

 こう尋ねると「社会での生き方です」と即座に答えてくれました。実は、棚原さんは高校、大学時代に一度もレギュラーになれませんでした。「どうしたらチームに必要とされる人間になれるのか」を考えたといいます。「誰よりも一番多く走り込むとか、大きな声を出す、盛り上げる、そういったことをしていました。自分の見せ方を考えていたというか」。とはいっても、ひがんだり、拗ねたり、心折れたりすることもあったでしょう。「恵まれたことに、高校も大学も(レギュラーをはれない)私を腐らさないチームだったのでそれは全くありませんでした」と振り返ります。中でも思い出深いのは、大学時代。同期のキャプテンに救われたといいます。そのキャプテンとは、現在は阪神タイガースWomanで活躍する田中亜里沙さんです。「彼女は、後輩への声掛けだったり、練習の仕方だったりをいつも非レギュラー陣の自分たちに相談してくれました。おかげで必要とされているんだと感じられました。それにどれだけ救われたか」といいます。「思い出すといつも泣けてきてしまうんです(笑)」と目にうっすらと涙を溜めながら笑顔で話してくれました。

大阪体育大学時代の棚原さん(前列右端)。「野球を十分やりきった」そうだ(棚原彩さん提供)
大阪体育大学時代の棚原さん(前列右端)。「野球を十分やりきった」そうだ(棚原彩さん提供)

 家族も味方でした。レギュラーとしてグランドで活躍することは一度もありませんでしたが、母や祖母はいつも「だったら日本一のサポーターになれ」と励ましてくれていたといいます。「だからこそいろんな人に伝えたい」と彼女は言います。「今の自分だけを見て、可能性を決めつけないで」と。今は思うようにいかないことでも、5年先、10年先はどうなっているかわからない、今の私のように。ちなみに、棚原さんの祖母は、大阪府の学童野球界では有名な棚原安子さんです。

正直、野球をやる必要ある⁈

 アフリカでの野球事情を尋ねると「現地へ赴いた時、正直、最初は野球をやる必要あるのかなと思いました」と意外な言葉が返ってきました。野球は多くの道具や整備されたグランドも必要。それを考えるとお金も必要、それに周りにはいくらでもサッカーボールを蹴っている子たちがいる。それならサッカーで十分ではないか、そう感じていました。そんな思いにふけっていたとき、目の前にいた子が「はやく野球をやろうよと駆け寄ってきて。それで、理屈抜きに『今、目の前に野球をやりたいと思っている子がいる。それで十分』と吹っ切れたそうです。

ショップに飾られていたタンザニアでの思い出の写真。棚原さんが野球を教えている風景もある(筆者撮影)
ショップに飾られていたタンザニアでの思い出の写真。棚原さんが野球を教えている風景もある(筆者撮影)

これからの夢

 一つの思いを実現した棚原さん。でも、これに留まるつもりはありません。「まだまだいろんな人と出会いたい、もっといろんな国とつながりたい」と話します。

 チャレンジ精神旺盛な棚原さんと話しているとこちらも元気になってくるから不思議です。はじける笑顔も素敵です。しかし、その笑顔は決して自信満々で押しつけるものではなく、「あなたもできるよ」と励ましてくれているような優しさを感じます。そんな棚原さんに、ぜひ、会いに来て欲しいと思いました。

フリーランスライター

関西を拠点に活動しています。主に、関西に縁のあるアスリートや関西で起きたスポーツシーンをお伝えしていきます。

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