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ラグビー「リーグワン2022」の開幕前に、ぜひとも学んでおきたい選手たちの「心」の奥深さ

永田洋光スポーツライター/週刊メルマガ『ラグビー!ラグビー!』編集長
川村慎選手会会長。今季もHOでの活躍を期す(写真・NECグリーンロケッツ東葛)

 年が明ければすぐに、新しい日本のラグビーリーグ「NTT ジャパンラグビー リーグワン2022」が開幕する。今から1月7日のクボタスピアーズ船橋・東京ベイ対埼玉ワイルドナイツの開幕戦を心待ちにしているファンも多いのではないか。

 でも、せっかくラグビーの新しい試みがスタートするのだから、もう1つの新しい試みにも、目を向けてもらいたい。それが、日本ラグビーフットボール選手会と国立精神・神経医療研究センター(以下、研究センター)が共同で進めている「よわいはつよいプロジェクト」https://yowatsuyo.com/ だ。

ラグビー選手にも「心の不調」を訴える人が多数いるという事実

 テレビのニュースなどですでにご存知の方もいるかもしれないが、改めて説明すれば、このプロジェクトはアスリートのメンタルヘルスを良い方向に保つための試みだ。現在はラグビー選手を中心にアスリートを対象にしているが、将来的には一般の人々も含む、大人から子どもまですべての「人間」を視野に入れている。

 誰もが生きているなかで感じる、ちょっとした生きづらさや、悩み、不安……といった「心の弱さ」(心の不調)を、自分の視界から追いやるのではなく、そこに目を向け、他者とのコミュニケーションを通じて、いわば「心の風邪」を症状が軽いうちにケアしようというのがプロジェクトの趣旨。そのための第一歩として、アスリートたちが気軽にさまざまな悩みを他者に話せる「プレーヤーズ・ディヴェロップメント・プログラム」(Player’s Development Program=PDP)を立ち上げて、モニタリングを始めたところだ。

 選手会会長の川村慎(グリーンロケッツ東葛HO)が言う。

「アスリートは身体を鍛えているからすごく強いイメージがあるし、困難を乗り越えて自分をどんどんアップデートしているように思われがちですが、実は悩んでいる人も多い。つらい経験をしたり、我慢を続けている人たちもいます。でも、彼らの悩みやつらさは決して特別なものではなく、アスリートではない人たちが抱えている心の悩みや葛藤と、根底で通じているのです。だから、それをみんなが共有できれば、アスリートに対しても、心に悩みを抱えている人に対しても、理解が深まるし、同じような気持ちを共有できる。そう考えているのです」

衝撃が走った選手会アンケートの結果

 発端となったのは、19年12月から20年1月にかけて選手会に加入している選手600名を対象に、選手会と研究センターが共同で実施したメンタルヘルスに関するアンケート調査だった。回答した選手は約4割の251名だったが、アンケートの結果が今年2月に発表されると、大きな反響を呼んだ。

 たとえば毎日新聞は、3月29日の東京本社版の夕刊で『ラガーマン4割、「心の不調」経験 トップ選手も重圧と葛藤』と、大きくこの調査結果を報じた。

 トップリーグでプレーする選手たちのなかに、さまざまな葛藤や心の不調を訴える選手が予想以上に多いことがわかったからだ。これは、衝撃的な事実だった。

 公表した理由を、川村はこう説明する。

「トップレベルでラグビーをやっているのは特別な能力を持った人間――と思ってもらうのは非常に嬉しいし、ありがたいのですが、でも、根底には、みなさんと同じような悩みや葛藤がある。選手たちは、それを乗り越えて表舞台に立っているわけで、その点を理解していただきたかった。アンケートを公表した意味もそこにあります。W杯直後でラグビーが盛り上がっているときに、なぜネガティブなデータを出すのか――といった声もありました。確かに直近の1ヶ月で心にストレスを感じた選手が3割を超えたり、直近2週間で生きていたくないと思ったことのある選手が7%以上いたことは衝撃的だったかもしれません。でも、アンケートを行った研究センターの小塩靖崇さんによれば、この数値は、一般の社会人を対象にした調査よりも少し高い項目があったという程度で、傾向としてはほとんど変わりがないそうです。それなのに、これがネガティブと受け取られた背景には、やはりラグビーの選手は強いという固定概念がある。でも、繰り返しになりますが、このアンケート結果は、ラグビー選手もあなたと同じように心に悩みや葛藤を抱えた人間であることを示しているのに過ぎません。他の競技ではまだこうしたアンケートが行われていませんが、行えば、おそらくどの競技でも似たような結果が出るのではないでしょうか?」

選手のキャリアデザインを考える過程でメンタルの問題が浮かんだ!

 川村が、こうしたメンタルヘルスに目を向けるようになったのは、前会長の畠山健介(豊田自動織機シャトルズ愛知PR)と、選手会として現役及び引退した選手のキャリアデザインにどう取り組んでいくべきかを考えていたときだった。

 ラグビー選手は、所属チームの多くが一部上場企業であり、トップレベルで競技に集中し、現役を引退すると会社員としての雇用が保障されている。つまり、環境に恵まれているわけだが、川村も、畠山も、それにもかかわらず会社を辞めてしまった選手や、心身の不調に悩む選手が多いことに気がついた。そこから、そうならないためのアプローチをすることの重要性に思い至ったのだ。

 そんな話を、やはりトップリーグのパナソニックワイルドナイツ(現埼玉ワイルドナイツ)で活躍し、現在は桐生第一高校で高校生の指導にあたる霜村誠一氏に話したところ、小塩氏を紹介されて、共同研究がスタートした。

 つまり、選手会として選手たちのセカンドキャリアを考えるうちにたどり着いたのが、メンタルヘルスだったわけだ。

 アンケート結果が公表された直後には、日本代表HO堀江翔太(ワイルドナイツ)が、SNSで自分自身が15年W杯の翌年、16年に日本代表とサンウルブズでキャプテンを務めながら勝てないチームにいらだち、心に葛藤を抱えていたことを明かした。その“告白”もまた、この問題に強い説得力を持たせた。心の問題が決して他人事ではないことや、悩んでいるのが自分だけではないことが、多くの人間にダイレクトに伝わったからだ。

 川村自身も、慶應義塾大学を卒業後に大手広告代理店に就職しながら、トップレベルでラグビーを続けるためにNECに転職したが、ポジション争いでなかなか結果を出せず、「かなりメンタルがヤバい」状態に追い込まれた経験を持つ。そのとき、チームのなかに話を聞いてくれる先輩がいたことで救われたのが、こうした問題を考える際の原体験。つまり、心の問題が誰にでも起こり得ることを、身をもって体感しているのだ。

「アスリートは、自分の身体については、疲れが抜けにくいと思えばマッサージを受けたり、リカバリーの方法を変えたり、食事のメニューを変えて対処します。僕たちが今取り組んでいるのは、そこに、最近よく眠れないとか酒量が増えたといった精神的な疲れを示す兆候も付け加えて欲しいということ。心の変化には、身体的な兆候が伴うことが多い。そういう変化を見逃さないように、身体と同様に心もケアして欲しいのです」

「カフェでお茶しながら」メンタルの問題を話せるPDPという取り組み

 そのための対処法が、前述したPDPだ。その原型は、川村がニュージーランドにラグビー留学したときの経験に根ざしている。

 現地では、心の問題の有無にかかわらず、クラブに所属する全選手が、選手の包括的なサポートを受け持つプロフェッショナルとの面談を持つ。それも、気軽にカフェでお茶して話すような形で、面談がなされるのだ。

 川村たちが考えているPDPも、同様のコンセプトで、専門の研修を受けたPDM(プレーヤーズ・ディヴェロップメント・マネジャー)がアスリートとマンツーマンで面談し、気軽に話をしながら心のケアをする仕組みだ。2020年11月〜2021年10月までに行ったPDMのモニタリングでは、日本代表OBの廣瀬俊朗氏や菊谷崇氏をはじめバレーボール元日本代表の益子直美氏、元水泳日本代表の萩原智子氏ら、トップレベルを知る各競技のアスリート達に協力を仰ぎ、研究に参加してもらっている。

「PDMの良いところは、メンタルだけの専門相談員ではないことです。キャリア形成や、金銭問題のような分野でも相談に乗れる。しかも、定期的に面談するので、精神的に大丈夫なときも、疲れているときも、会って話ができる。これがチームのなかで制度化されれば、選手同士で“今日はPDPだからちょっとPDMに会ってくるよ”と気軽に話すことができる。実際、ニュージーランドではそうでしたし、世間話に近いノリだと思ってもらった方が良いかもしれません。そうすれば、カウンセリングを受けていることを誰かに知られたら……といった不安が生じることもない。チームとも選手とも利害関係のない専門家を選手会から派遣する形のPDPが、僕はベストだと考えています」

 ただ、初年度のモニタリングでは、予期せぬ問題も見つかった。

 ラグビー選手が、ラグビー経験者のPDMと話すと、話題がラグビーの具体的な相談になってしまうケースが多く、またラグビー界の人間関係を気にしてしまうと、率直に心の問題を話せないような雰囲気になることもあった。

 逆に、まったくラグビーを知らないPDMとラグビー選手の間には、気軽に悩みやささいな心配事を話せる雰囲気が醸成されたというのだ。

 そうした試行錯誤を重ねながらも、川村は、このPDPをリーグワンの各チームが取り入れるように働きかけを進めている。スクラムコーチや、ゲームを分析するアナリスト、コンディショニングを担当するS&C(ストレングス&コンディショニング)コーチといった専門職のなかに、PDMがいてもいいのではないか――という思いがあるからだ。

心を崩すと技体が崩れる!

「心技体。これのバランスがとても大切。心を崩すと、技体が心に引っ張られて、崩れていく」――これは、「よわいはつよいプロジェクト」のホームページに掲載されている対談で、堀江が語った金言だ。

 リーグワン開幕まであと2週間あまり。

 PDPが全チームに定着するのはまだ先になりそうだが、ラグビー由来の「ノーサイド」や「ワンチーム」といった耳になじみやすい美しい言葉が、選手たちが自らの心の問題に向き合い、葛藤や苦悩を経て発せられていることを知るだけでも、ラグビーを見る視点がより深くなる。こうした深い認識を持つ選手たちが葛藤を乗り越えて真剣勝負を繰り広げるからこそ、ラグビーは奥深く、面白いのである。

スポーツライター/週刊メルマガ『ラグビー!ラグビー!』編集長

1957年生まれ。2017年に“しょぼいキック”を連発するサンウルブズと日本代表に愕然として、一気に『新・ラグビーの逆襲 日本ラグビーが「世界」をとる日』(言視舎)を書き上げた。出版社勤務を経てフリーランスとなった88年度に神戸製鋼が初優勝し、そのまま現在までラグビーについて書き続けている。93年から恩師に頼まれて江戸川大学ラグビー部コーチを引き受け、廃部となるまで指導した。他に『スタンドオフ黄金伝説』(双葉社)、『宿澤広朗 勝つことのみが善である』(文春文庫)、共著に『そして、世界が震えた。 ラグビーワールドカップ2015「NUMBER傑作選」』(文藝春秋)などがある。

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