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23年W杯に向けて動き出したジャパン。「ベスト8以上」に向けて克服すべき課題とは?

永田洋光スポーツライター/週刊メルマガ『ラグビー!ラグビー!』編集長
ライオンズ戦で大活躍した松島幸太朗。アイルランド戦では無念の負傷交代だった(写真:ロイター/アフロ)

「人生っていうのは結局苦戦の連続なんです」

 これは、NHKが6月30日に放送した『クローズアップ現代+ 「立花隆・秘蔵の未公開資料・知の巨人が残した言葉」』のなかで紹介された、故・立花隆さんのコメントだ。

 立花さんは、水木しげるさんの『ゲゲゲの鬼太郎』のエンディングでよく使われたこのフレーズを、自分よりも若い世代に伝えるメッセージとしていた。

 人生は苦戦の連続。

 「人生」を「ラグビー」に置き換えれば、この言葉はそのまま日本代表がたどるであろう、23年ラグビーワールドカップ(RWC=以下W杯)フランス大会への強化の道筋を象徴する言葉になるのではないか。

 6月26日に行われたブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズ戦、3日に行われたアイルランド戦と、ジャパンは19年W杯以来となるテストマッチに連敗した。しかし、「苦戦」は、必ずしもネガティブな意味ではない。19年大会で史上初のベスト8入りを果たしたジャパンが「その上」を目指すのならば、引き受けるべき課題は当然より大きくなる。乗り越えるべき壁が高くなるからこそ、「苦戦の連続」だと予想できるのだ。

ライオンズ戦のラスト30分でジャパンを活性化させた姫野とタタフ

 2試合を通じて誰の目にも明らかになったのは、ジャパンがそう簡単に大崩れしなくなった、という事実だろう。

 ライオンズ戦では前半を0―21と大きくリードされ、後半も48分にライオンズに先にトライを奪われて、点差は28点と開いた。過去のジャパンを知るオールドファンは、このまま大差をつけられなければいいが――と、不安がよぎったことだろう。

 しかし、直後にジェイミー・ジョセフHCが動いて、ベンチからフレッシュな選手を4人投入するとチームは生き返った。

 最終スコアは10―28。

 ジャパンはラストの30分間、ほぼゲームを支配して、テレビの前で固唾を呑んで見守っていたファンを安心させたのだった。

 このとき、ゲームの流れを引き戻し、アタックを活性化したのが、リーチ・マイケルに代わった姫野和樹であり、アマナキ・レレイ・マフィに代わったテビタ・タタフであり、茂野海人に代わった齊藤直人だった。

 前半のジャパンは、この試合でWTBに入った松島幸太朗を除けば、ライオンズの防御を大きく食い破る選手がいなかった。久しぶりのテストマッチだったにもかかわらず、個々の局面では健闘したものの、アタックで相手に脅威を与えることができず、ブレイクダウンで圧力をかけられ、ペナルティを犯してボールをキープできなかった。時折松島が大きく前進しても、次のアタックを狙われて得点に結びつけることができなかったのだ。

 原因は単純で、5月の日本選手権決勝で引退した福岡堅樹の穴を埋めることができなかったからだ。

 19年W杯では、最終的に11番福岡、14番松島という配置が定着し、W杯の水準でも異次元と言えるスピードを誇る逸材が両翼にいたことで、相手は1人を何とか食い止めても、次のフェイズでさらなるスピードスターのアタックに備えなければならなかった。

 これがジャパンの強みだった。

 フィフィタは、強さとスピードを兼ね備え、パスのスキルも磨いた将来性抜群のプレーヤーだが、慣れないWTBで先発した初めてのテストマッチでは、ディフェンス面での戸惑いもあって、持ち味を十二分に発揮することができなかった。

 そうしたアタックの駒不足を補ったのが、残り30分で登場した姫野とタタフだった。

 タタフは、ピッチに入ってから最初のボールキャリーで大きく防御を突破。姫野も、防御との間隔が近いところで相手のタックルを巧みにずらし、地を這うように着実に前に出た。リーチやマフィを上回る働きでチームに勢いを取り戻したのだ。

 59分には、ライオンズ陣内のゴール前ラインアウトからモールを組み、そこから姫野がボールを持ち出してタタフが姫野を引きずるようにサポート。ピッチに立つや結果を出した2人が、ライオンズのゴールラインを食い破って姫野が歴史的なトライを挙げた。

 明らかにチームが活性化したのだった。

なぜアイルランド戦のラスト20分で失速したのか

 果たして3日のアイルランド戦では、姫野と齊藤が先発で起用された。

 HCが高く評価したのだ。

 ところが――ニュージーランドでスーパーラグビー決勝戦を終えて強行軍で英国に渡り、疲れも見せずに活躍した姫野は、試合前のウォーミングアップで足を痛めて急遽欠場。リザーブで登録されていたタタフが先発に繰り上がり、メンバー外だったマフィがリザーブに入った。

 それでも試合はお互いにトライを獲り合う展開となり、ハーフタイム時点でスコアは17―19。後半も、途中までその流れが続き、ラスト20分の時点で31―33と2点差は変わらなかった。最後の20分は、久しぶりのアウェーでのテストマッチで動きが鈍り、アイルランドに2PGを決められて31―39で敗れたが、W杯ベスト8の面目は、なんとか保つことができた。

 アイルランド戦のジャパンは、ライオンズ戦を経たことでアタックが機能していた。

 19年からアタックを司ってきたSO田村優、中村亮土とラファエレ・ティモシーのCTBコンビは、完全に自分たちのリズムを取り戻した。特に田村は、絶妙なキックパスから2つのトライを生み出して、現地のコメンテーターから「マジシャン!」と絶賛された。

 57分には、カウンターアタックからWTBセミシ・マシレワ→マフィ→フィフィタ→齊藤と見事なハンドリングでボールをつなぎ、素晴らしいトライも挙げている。

 しかし、50分過ぎに、この日はFBで登場した松島が負傷で退場すると、このトライを除いては、次第にアタックが単調になり、接点で圧力をかけられてボールを失う場面が多くなった。

 変幻自在にアタックに参加するスピードスターがいなくなったからだった。

 もちろん、フィフィタもマシレワも素晴らしいランナーで、スピードも強さもあるが、松島や福岡の「速さ」とは質が違う。この2人は、日本人スプリンターと同様に、静止した状態から瞬間的にトップスピードになれる。しかも、変幻自在にポジションを変え、狭いスペースに自ら走り込んでパスをもらう能力に秀でている。

 世界の国々は、パスを受けてから加速するランナーに対してはさまざまな対処法を持っているが、日本的な、防御側との瞬間的なすれ違いにはなかなか対処できないでいる。実は、この動きこそ、弱かった時代も含めてジャパンが世界で愛された理由であり、松島と福岡が「ダブル・フェラーリ」と呼ばれた所以なのである。

 そして、松島の退場でアタックの時間が短くなると、ジャパンは勢いを失っていく。

 現地のコメンテーターは後半途中から「日本のディフェンスが少しソフトになって食い込まれている」とか、「日本はペナルティでボールも勢いも失っている」と、勝負の分かれ目がどこにあったかを冷静かつシビアに指摘したが、相手防御を混乱させるようなアタックができなくなり、ディフェンスに回る時間が増えたことで、タフな遠征の疲れがジャパンの足を止めたのだった。

23年に向けて整備すべき2つの命題

 こうして振り返ると、23年W杯までにジャパンが整備すべき道筋が見えてくる。

 1つは、パスのタイミングと瞬間的な加速で相手とすれ違う能力を持つスピードスターを2枚揃えること。そうすれば、相手に脅威を与えるようなアタックを長く継続できるだけではなく、フィフィタの突破力をアウトサイドCTBで活かすようなオプションも可能になる。これはさらに、田村、中村、ラファエレのゲームメイカーたちを刺激し、チームに層の厚みをもたらすことにもつながるだろう。この遠征であまりプレー時間を与えられなかった松田力也を含めて、次世代のゲームメイカーを育成することも、W杯を勝ち抜くためには必要だからだ。

 そして、もう1つが、緩やかな世代交代だ。

 現在の姫野やタタフの能力を考えると、彼らを先発させて、経験値の高いリーチやマフィをベンチに置き、クローザー的に後半に投入するオプションも魅力的に思えてくる。

 もちろん、アイルランド戦の当初のメンバーのように、姫野とリーチが先発して、タタフをインパクトプレーヤーとしてベンチに置くこともあるだろうし、ベテランと若い力が同じピッチに立って経験を共有することも必要だ。ただ、ジャパンが強豪国からの勝利を目指すのであれば、アイルランド戦のように立ち上がりから積極果敢にトライを獲りに行くことが求められる。そのためにも、アグレッシブでエネルギッシュな若い第3列が、試合の最初から必要なのである。

 つまり、これから予想される「苦戦の連続」は、世代交代含みの「非常にデリケートな作業の連続」と言い換えることができる。

 でも、その難しさこそが「ベスト8以上」を目指すチームに課せられる試練だ。

 在りし日の立花さんは、冒頭に記した言葉の後をこう続けていた。

 「でも、苦戦を切り抜けていく、そういう内的エネルギーを持続させることが大事なんです」

 果たしてジャパンは、さらなるステップアップを求めて、新しい血液を導入しながら、現在の大枠をさらに磨き上げることができるのか。

 ジャパンの止まっていた時間は、今、ようやく動き出したばかりだ。

スポーツライター/週刊メルマガ『ラグビー!ラグビー!』編集長

1957年生まれ。2017年に“しょぼいキック”を連発するサンウルブズと日本代表に愕然として、一気に『新・ラグビーの逆襲 日本ラグビーが「世界」をとる日』(言視舎)を書き上げた。出版社勤務を経てフリーランスとなった88年度に神戸製鋼が初優勝し、そのまま現在までラグビーについて書き続けている。93年から恩師に頼まれて江戸川大学ラグビー部コーチを引き受け、廃部となるまで指導した。他に『スタンドオフ黄金伝説』(双葉社)、『宿澤広朗 勝つことのみが善である』(文春文庫)、共著に『そして、世界が震えた。 ラグビーワールドカップ2015「NUMBER傑作選」』(文藝春秋)などがある。

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