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オーストラリアとの激闘を分けたわずかな「差」。ジャパンは教訓をヨーロッパ遠征に活かせるか?

永田洋光スポーツライター/週刊メルマガ『ラグビー!ラグビー!』編集長
副将として攻守に活躍した中村亮土 写真:SportsPressJP/アフロ

「結果が伴わないと悔しい。ビッグゲームでは、細かいところで差が出てくる」

 2019年のラグビーW杯準々決勝以来2年ぶりとなった日本国内でのテストマッチで、世界ランク3位のオーストラリア代表ワラビーズに23―32と敗れた直後、日本代表のバイスキャプテン中村亮土は自分の思いを、そう率直に吐露した。

 NO8の姫野和樹も、「勝てた試合だっただけに悔しい」と話した。

 この「悔しい」という言葉、そして「細かいところ」の「差」や「勝てた」といった単語が、現在のワラビーズとジャパンの距離を現している。

 距離は、意外に近かったのである。

 対戦相手のワラビーズはW杯で過去4回決勝戦に進出。そのうち2回は見事に優勝を遂げてウェブ・エリス・カップを高々と掲げた。19年W杯ではベスト8に終わったが、現在は23年W杯フランス大会に向けて着々とチーム作りを進めている。

 来日前には、南半球の強豪が激突するザ・ラグビー・チャンピオンシップで、ニュージーランドには連敗したものの(ブレディスローカップ第1戦を含めると3連敗)、19年W杯優勝の南アフリカに連勝。23年W杯フランス大会でジャパンと同組になるアルゼンチンにも、やはり連勝している。つまり来日した時点で、強豪は、その実力にふさわしいレベルまでチームを仕上げていたのだ。

 対するジャパンは、昨年のテストマッチがコロナ禍ですべて中止となり、今年6月にようやくW杯以来となるテストマッチを戦ったばかり。相手が北半球のドリームチーム、ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズであり、直後にはアイルランド代表とも対戦して手応えはつかんだものの、この2年間でテストマッチの経験は2試合だけだ。

 その後、ジャパンの選手たちは所属チームに戻り、代表として集合したのは9月になってから。しかも、6月にはライオンズ戦の前にサンウルブズとのウォーミングアップ・マッチが組まれたが、今回はぶっつけ本番での対戦だった。

 だから、ゲームフィットネス、平たく言えば試合勘のような部分では彼我に大きな差があった。あるいは――見方を変えれば――、彼我の差はそこだけだったと言えるような内容だったからこそ、選手たちは、悔しさをにじませたのである。

勝負を分けた「細かい差」はどんな形で現れたのか?

 ジャパンがチームとしてウォーミングアップ・マッチを戦うことができなかったツケは、レフェリングへの対応などさまざまなところで見られた。しかし、その多くはさほど致命的ではなかった。

 もちろん、スクラムやラインアウトでは想定していたような好球を確保できず、得意のモールもワラビーズに対応されて、トライを挙げるまでには至らなかった。

 けれども、それ以上に致命的だったのが、カウンターアタックにおける微妙な判断の狂いだった。

 ジェイミー・ジョセフHC(ヘッドコーチ)が就任以来強化の重要ポイントとして強調していた、攻守の組織プレーが崩れかけた「アンストラクチャー」な状況からのアタックで、ジャパンは、まだ整備途上にあることをさらけ出した。悲しいことに、80分間で2回見られたこのアタックの不発が、ラグビーファンが待望していたテストマッチでの勝利を遠ざける要因となったのだった。

 前半を13―17と4点差で折り返したジャパンは、後半立ち上がりの42分にPRタニエラ・トゥポウにトライを奪われ、9点差を追う展開となる。

 しかし、このトライが決定的な失点だったわけではない。

 それから4分と少しを経過した46分過ぎ、ジャパンのペナルティからゴール前のラインアウトを選択したワラビーズはモールを押した。ジャパンも懸命に守ってタッチライン際へと押し戻す。ワラビーズはモールを諦めてボールを動かした。が、パスの呼吸が乱れてボールがこぼれ、ジャパンが思わぬチャンスをもらう。

 左側にはバックスが4人、アタックできる態勢で並んでいる。ワラビーズの防御は実質的に2人。15年W杯に至る過程から、日本のお家芸として世界の強豪が警戒する自陣深くからのカウンターアタックを炸裂させる絶好のチャンスだった。

 当然、ジャパンはボールを動かした。

 ファーストレシーバーとなったCTB中村からCTBラファエレ・ティモシーを飛ばしてFBセミシ・マシレワへ。マシレワの左には、SOの位置から回った松田力也が控えていた。

 松田が右手を前方に出して何かを指示。マシレワは前方に大きくキックを蹴り込んだ。

 ターンオーバーからの瞬時のアタックだから、判断は瞬間的なものになる。だから結果論のそしりを免れないが、この場面には2つの疑問が残った。

 1つは中村からの飛ばしパスだ。

 この場合、防御の人数が少ないのだから、飛ばしパスを使わず順繰りにパスを回すのが鉄則。パスで防御の動きを止めて外側の選手をフリーにするためだ。

 2つめは、マシレワのキック。

 自陣である以上キックを使って地域を戻すのは常道だが、マシレワがキックを使わずにパスを送り、大外の松田をフリーにしていれば、キックに備えて深く戻ったワラビーズの選手は松田を倒すためにもう一度前に出ざるを得ず、相手の背後には大きなスペースができる。そこにボールを蹴り込めば有効に地域を戻すことができるだけではなく、ボールを再獲得する可能性も高まる。

 しかし、実際には、ワラビーズにボールを蹴り返され、懸命に戻ったマシレワがもう一度蹴り返そうとしたところでキックをチャージされて、しかもマシレワ自身が負傷してしまう。さらに、チャージされて転がったボールをワラビーズに奪われ、トライを防ごうと肩から相手に当たりに行ったレメキ・ロマノ・ラヴァのタックルが危険なプレーと判定されてシンビンに。そして、そのペナルティから決定的なトライを奪われたのだ。

 この試合には、松田が田村優に代わって10番を背負うなど、将来を見据えた新しい布陣を試す意味もあった。だから、瞬時の判断ミスが起こるのもやむを得ないが、もし事前にウォーミングアップ・マッチを行っていれば、もう少し意思統一を図れたのではないか。これは、実戦で同様の状況を経験していない弊害が現れた場面だったのである。

細かな敗因だったからこそ示されたジャパンのポテンシャルの高さ

 とはいえ、ジャパンも中村が55分にインターセプトからトライを奪い、74分には田村のPGで4点差に迫る。

 中村のトライ以降、ワラビーズは出足の鋭いジャパンの防御に手を焼き、細かいミスを犯すような場面が目立っていた。自分たちの圧力で相手が焦り始めたことを体感できたからこそ、中村も姫野も勝てなかったことを悔しがったわけだが、今述べたカウンターアタックの失敗が、終盤の展開に思わぬ形で影響を及ぼした。

 76分にジャパンは、やはり自陣深く攻め込まれて、ピンチを迎えた。

 しかし、途中出場のFL徳永祥尭がラックから見事にボールを奪う。

 そして、同じように左にボールを動かした。

 ところが、15フェイズに及んだ連続的防御の末のターンオーバーだったために、バックスラインの前に出るスピードが乏しく、ワラビーズもまた46分過ぎの場面よりも防御が残っていた。

 そんな状況で、パスを受けたラファエレが、少し迷ったような素振りでランを選択。コンタクトが起こったところでサポートが遅れて反則をとられてしまう。

 これが78分のダメ押しトライを生んだラインアウトに結びつけられた。

 おそらく――と、これは想像だが――46分過ぎにマシレワがキックを選択したことについて、ピッチ上で話し合いが持たれ、自陣のターンオーバーからは蹴らずに攻めようという確認が為されたのではないか。しかも、残り時間に転がり込んだ貴重なアタックチャンスだ。だから、このゲームで再三素晴らしいランを見せていたラファエレはボールの継続を選んだ。しかし、サポートが薄く、反則に至る結果に終わった。

 南半球の強豪たちとの死闘を経て日本にやってきたワラビーズは、肉体的にもっとも苦しい時間帯でゲームがどう動くかを肌身にしみて理解していた。彼らは、ジャパンの捨て身のアタックを止めて反則を誘えば、勝利が不動のものになることを確信していたのだ。

 対するジャパンは、ゲームのほとんどを対等に戦えるところまではチームを仕上げたが、そこから勝利をつかみ取るために何が必要なのかを、全員で共有するには至らなかった。

 それが、実戦を経験できなかった“ツケ”なのである。

 一方で、1か月にも満たない強化期間でワラビーズと対等に渡り合い、フィジカルの部分でも大崩れすることなく、わずかにゲームフィットネスの足りなさで惜敗した事実は、決して悲観すべきではない。むしろ、ジャパンのポテンシャルが非常に高いことを物語る吉兆だと捉えるべきだろう。

 明日、ジャパンはヨーロッパへと旅立ち、11月6日のアイルランド戦を皮切りに、13日にポルトガル、20日にスコットランドと3試合を戦う。

 ワラビーズとの対戦ではゲームフィットネスの不足を露呈したが、1試合を経たことで、修正すべき部分も伸ばすべき部分も、チームのなかでは共有されるはず。つまり、可能な限りの準備を整えてヨーロッパでのテストマッチを迎えられるのだ。

 当然、求められるのは、2年ぶりの勝利である。

スポーツライター/週刊メルマガ『ラグビー!ラグビー!』編集長

1957年生まれ。2017年に“しょぼいキック”を連発するサンウルブズと日本代表に愕然として、一気に『新・ラグビーの逆襲 日本ラグビーが「世界」をとる日』(言視舎)を書き上げた。出版社勤務を経てフリーランスとなった88年度に神戸製鋼が初優勝し、そのまま現在までラグビーについて書き続けている。93年から恩師に頼まれて江戸川大学ラグビー部コーチを引き受け、廃部となるまで指導した。他に『スタンドオフ黄金伝説』(双葉社)、『宿澤広朗 勝つことのみが善である』(文春文庫)、共著に『そして、世界が震えた。 ラグビーワールドカップ2015「NUMBER傑作選」』(文藝春秋)などがある。

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