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米シアトルで抗議デモ隊が「自治区」設立を宣言――軍の治安出動はあるか

六辻彰二国際政治学者
差別反対と警察の予算削減えお求めるシアトルのデモ隊(2020.6.12)(写真:ロイター/アフロ)
  • 人種差別に反対するデモ隊の一部はワシントン州シアトル市の一角で「自治区」を発足したと宣言した
  • これは公権力を否定するもので、トランプ大統領は1992年のロス暴動以来となる州兵の派遣を示唆している
  • しかし、仮に治安出動があった場合、ロス暴動の時と比べても衝突が激化するリスクは高い

 人種差別に抗議してきたデモ隊の一部が「自治区」の発足を宣言したことは、警察など公権力そのものを拒絶するという点で、これまでよりギアが一段上がったことを意味する。

「自治区」発足の衝撃

 黒人男性ジョージ・フロイド氏が白人警官に暴行された事件をきっかけに広がった抗議デモの一部は11日、ワシントン州シアトル市の一角に「キャピトル・ヒル自治区」を発足させたと宣言した。

 これはシアトル市のイースト・パイン・ストリートを中心とする一帯で、周辺からこの区画に入る地点には、「これよりキャピトル・ヒル自治区」といった立て看板などが置かれている。

 現地を取材した米NBCニュースによると、「ノー・コップ・コープ(無警察組合)」と名づけられた配給所で食料が無償で配られ、警察の施設には「シアトル人民の資産」という横断幕が掲げられている。その他、コロナ対策としてマスクなどが配布され、診察所なども設けられているという。

 その一方で、ワシントン州やシアトル市、さらにはアメリカ合衆国からの独立を宣言しているわけではなく、あくまでそれらの一部であることを認めている。

 つまり、デモ隊は「自治区」の発足を宣言することで「自分たちの街のことは自分たちに決めさせろ」「州政府やシアトル市にただ従うつもりはない」という意思表示をしているのである。

警察への不信感

 この「自治区」発足宣言は公権力とりわけ警察に対する不信感の裏返しでもある

 抗議デモのきっかけになったジョージ・フロイド事件だけでなく、白人警官が有色人種を差別的に扱うことは、アメリカに限らず欧米では珍しくない。そのため、ジョージ・フロイド事件をきっかけに、アメリカでは警察の予算削減を求める声も大きくなっている。

 それだけではない。シアトル市では抗議デモが広がるなか、市長が催涙ガスの使用を禁じた。しかし、その後も警察はデモ鎮圧の必要性を強調し、催涙ガスを使い続けたことが、さらなる反感を招いた。

 こうした背景のもとで「自治区」の発足を宣言したデモ隊は、警察の予算削減とともにデモ参加者への刑事罰を軽減するよう求めている。

 USAトゥデイによると、「自治区」では総じて治安が保たれており、この区域でレストランを営業する男性は「『自治区』になったことで営業への問題はない」と証言している。また、英紙ガーディアンのインタビューに対して1人のデモ参加者は「ここで起こっていることは多すぎる警察が必要でないことを明らかにしていると思う」と答えている。

抵抗としての自治

 公権力が信用できない場合、自治を求めることは、現在の日本ではほとんど想定できないが、実は珍しいものではない。

 歴史を振り返ると、その典型はフランス第二帝政末期の1871年、隣国プロイセンとの戦争で疲弊したパリの労働者が市街地にバリケードを築いて自治を宣言した、いわゆるパリ・コミューンだ。

 また、アメリカ独立戦争をはじめ、あらゆる植民地解放運動には、「自分たちでないもの」に支配されることを拒絶し、「自分たちで物事を決める」ことへの渇望があった。

 ただし、今回の「自治区」発足宣言は、これらと比べても、ある意味で深刻だ。専制君主国家ならまだしも、民主主義国家アメリカでは政治家は「自分たちの代表」、警察など公務員はその配下であるはずで、理論的には間接的であれ「自分たちで物事を決める」ことはできているはずだからだ。

 これまでのアメリカで政府への不信感が最も広がったのは、1960年代から70年代にかけてのベトナム戦争の時代だったといってよい。ジョン・レノンが”Power to the people”を歌い、既存のモラルや規制を拒絶するヒッピー文化が高揚したこの時代、ベトナム戦争に反対する抗議デモがやはり各地で頻発したが、それでも自治の宣言にまで至ったケースはほとんどない。

 だとすると、シアトルのデモ隊は「キャピトル・ヒル自治区」発足を宣言することで、アメリカの民主制そのものへの不信感を、これまでになく強い形で示したことになる

軍事介入はあるか

 それだけにトランプ大統領がこれに強く反応することは不思議ではない。

 トランプ大統領は「自治区」発足を受けて「無政府主義者にシアトルが乗っ取られた」とツイート。シアトル市長にデモ隊の排除を求め、「やらないなら自分がやる」と鎮安のため軍の派遣も示唆した。

 これに対して、シアトル市長ジェニー・ダーカン氏はデモ隊に退去を求める一方、軍の派遣は「憲法違反」と反対し、トランプ大統領に対して「引っ込んでもらいたい」と応酬している。

 憲法論議はともかく、実際には軍の投入は難しいだろう。

 やはり人種差別への抗議をきっかけに広がった1992年のロス暴動では3000人の州兵が治安出動したが、今回はその時より政府にとって介入のリスクが高い。

 ロス暴動の際、軍の部隊が展開した後、25人の死者と600人の負傷者を出した。今回の場合、全米で広がる抗議デモにはトランプ政権が強調するように極左アンティファだけでなく、重武装した極右ブーガルーも合流している。公権力への反感が強いブーガルーは内戦による社会の転換を目指しているといわれる。

 そのうえ、トランプ政権のバー司法長官は、白人警官による黒人暴行事件をきっかけにしたロス暴動の際、ブッシュ政権下で検事総長を務めていた因縁もあり、デモ隊からの憎悪の対象になりやすい。

 つまり、軍を投入することで衝突が大規模になるリスクは、ロス暴動の時より高いとみてよい。

大統領選挙の年に

 1992年のロス暴動と今回の抗議デモは、奇しくもどちらも大統領選挙の年に発生した点で一致する。ロス暴動での対応をめぐり、当時のジョージ・ブッシュ・シニア大統領はビル・クリントン候補に格好の攻撃材料を与え、これが結果的に選挙に敗れる一因になった。

 ただでさえコロナ対策で失点の目立ったトランプ政権にとって、仮に国内で軍事衝突となれば、再選がこれまで以上に難しくなる。

 かといって、放置すればトランプ大統領の嫌う「弱腰」イメージにもなりかねない。

 抗議デモ隊は自らの立場を守るためにアメリカ政府を交渉の場に引き出すこと自体を目的とする北朝鮮政府とは異なる。形だけの威嚇や交渉だけで片付けられないという意味で、トランプ政権にとってはこれまでにない難敵といえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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