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トルコのクルド攻撃はどこまで本気か?――関係国の落とし所に泣くクルド人

六辻彰二国際政治学者
トルコが支援するシリア民兵(2019.10.14)(写真:ロイター/アフロ)
  • トルコはシリアのクルド人の独立運動がトルコのクルド人を触発することを恐れ、シリアに軍事侵攻した
  • これに対して、シリア政府やこれを支援するロシアもトルコを批判し、衝突の危機も指摘されている
  • しかし、トルコによる攻撃でクルド人がシリア政府やロシアの保護下に入ったことは、これら各国にとっても利益となる

 いよいよトルコ軍がシリア領内に入り、クルド人と衝突し始めたが、クルド人を殲滅させるほど徹底的な攻撃は想定できない。むしろ、トルコの攻撃を恐れてクルド人がシリア軍やロシアに接近したことで、トルコの最優先の目標はすでに達成されており、適当なところで矛を収める公算が高い。

予期されていたクルド攻撃

 日本のメディアでは、10月10日からのトルコ軍による攻撃がまるで突然始まったかのように報じられやすいが、筆者がこれまで度々取り上げてきたように、クルド攻撃はかねて予期されていたことだ。

 シリアの少数民族クルド人の組織「人民防衛部隊」(YPG)は2011年からのシリア内戦で勢力を伸ばし、「イスラーム国(IS)からの防衛」を大義名分にシリア北部を制圧した。もともとクルド人はシリアからの分離独立を目指しており、いわば内戦の混乱のなか、本来の目標に近い状態を作り出したのだ。

 しかし、これはシリア政府だけでなくトルコ政府にとっても無視できない。クルド人はトルコ国内にもおり、やはり分離独立を目指している。シリアのクルド人が半ば独立することは、トルコのクルド人を触発しかねない。

 この危機感のもと、トルコ軍はこれまでもしばしばシリアに侵入し、ISだけでなくYPGとも衝突。一方、NATO同盟国のアメリカはIS対策としてだけでなく、もともと関係の悪かったアサド大統領率いるシリア政府を封じ込めるためにYPGを支援し、(シリア政府の許可のないまま)アメリカ軍をシリアに駐留させてきたが、トルコ政府はこれをくり返し批判してきた。

シリアから引きあげたいアメリカ

 そのトルコのクルド攻撃を後押ししたのは、トランプ大統領だった。

 シリア撤退を大統領選の公約にしていたトランプ氏は、以前からたびたび撤退を示唆してきた。マティス国防長官やボルトン大統領補佐官など、これに抵抗する高官は相次いで政権を去った。

 こうして反対派を排除したトランプ政権は、トルコ軍の進撃に合わせ、13日にシリアから1000人のアメリカ兵を撤退させる方針を発表。シリア内戦で利用してきたクルド人を見限ったという悪評を避けるため、「同盟国と戦争はできない」「トルコには制裁を加える」と息巻いているが、トランプ氏とトルコのエルドアン大統領に利害の一致があったことは確かだろう。

トルコの綱渡り

 こうしてアメリカと折り合いをつけ、クルド攻撃に踏み切ったトルコだが、そこには次の関門が待ち構えている。

 トルコの侵攻を受け、事実上のボディーガードだったアメリカ軍を失ったクルド人が、これまで対立してきたシリア政府やロシアに接近したことだ。シリア政府はクルド人の分離独立を認めてこなかったが、14日にはクルド人の要請を受け、その支援のために要衝マンビジに入った。シリア政府の後ろ盾であるロシアも、これを支持している。

 アメリカに続いてロシアとも対立しているにもかかわらず、トルコのエルドアン大統領は強気の姿勢を崩していない。

 この強気を空威張りとみることもできる。しかし、そこには米ロの中間で、どちらにもつける立場に立つことで、米ロへの影響力を確保するトルコの方針がある

 トルコはアメリカの同盟国だが、人権問題などをめぐって2000年代から関係が冷却化。その間にロシアとの関係を深め、トルコは今年7月にロシア製最新鋭地対空ミサイルS-400を導入し、アメリカを激怒させた。ところが、今回のクルド人問題で、トルコはトランプ政権から制裁の脅しを受けながらも、結果的にはアメリカと利害を一致させている。

 こうした綱渡りを演じることで、トルコはアメリカからだけでなくロシアからも身を守っている。

 そのうえ、トルコはYPGとロシアの接近も織り込み済みのはずだ。実際、トランプ政権発足直前の2016年12月には、すでにロシアの働きかけで、シリア政府とYPGは接触している。

トルコの利益を周辺国は共有できないか

 しかも、このように対立劇を演じながらも、トルコの目標がシリアやロシアの利益に反するとは限らない。

 改めて確認すれば、トルコ政府の最優先事項は大きく2つある。

  • YPGがトルコ国内のクルド人を触発する状況を封じること
  • 国内に300万人以上いるシリア難民の帰還を促すこと

 つまり、シリアのクルド人が半ば独立している状態がなくなり、シリア政府が全土を掌握すれば、内戦が終結したことになり、トルコの負担となっている難民の帰還にも弾みがつく。これは要するに、シリアを内戦前の状態にリセットすることを意味する。

 そして、その状況はすでに生まれつつある。実際、先述のように、クルド人はトルコの攻撃を受け、自ら進んでシリア政府の「保護下」に入っている。

 これはトルコ以外の関係各国にとっても利益になる。

 シリア政府もクルド人の独立を決して認めていない。また、シリア政府が全土を回復すれば、ここを中東の足場にするロシアにとっても安心材料になる。そして、やはり国内にクルド人問題を抱え、さらにシリア内戦でシリア政府を支援してきた隣国イランにとっても悪い話ではない。

「クルド人を独立させないこと」が落し所

 そのうえ、これはクルド人を支援してきた欧米諸国の利益にも反しない。クルド人地域をシリア政府とロシアが握ることはIS対策にもなるからだ。

 欧米諸国では「YPGの勢力衰退とアメリカ軍の撤退で、ISが息を吹き返す」という見方が支配的だ。しかし、シリアでIS占領地域の多くを制圧してきたのは、市民の犠牲を厭わない空爆などを繰り返したシリア軍とロシア軍だった。(その良し悪しはともかく)シリア軍やロシア軍がクルド人支配地域をすっかり手中に収めれば、ISの残党にとって、YPGやアメリカ軍以上の脅威になるだろう。

 シリア内戦発生直後、欧米諸国はアサド大統領の独裁が内戦を招いたとして「アサド退陣」を求めた。それまで関係の悪かったアサド大統領を、どさくさに紛れて引きずり降ろそうとしたわけだが、ロシアの支援もあってシリア政府は今やクルド人支配地域以外のほとんどを手中に収めている。今更「アサド退陣」がほぼ不可能なら、欧米諸国が「シリア政府によるIS掃討」をセカンド・ベストと捉えても不思議ではない。それなら、欧米諸国がIS掃討のためのコストを負担しなくて済むからだ。

 もちろん、クルド人地域をシリアやロシアの手に委ねれば、クルド人を見捨てることになり、欧米諸国に「裏切り者」の汚点は残る。しかし、国際政治に裏切りはつき物で、多くの人は長く覚えていない。

 だとすると、クルド人がシリア政府の保護下に収まることは、関係各国にとっての落とし所になるとみてよい。もちろん、それがクルド人の涙の上に成り立つことは、いうまでもない。

【追記】本記事掲載の翌18日(現地時間17日)、トルコ軍はシリアでの停戦を発表した。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)、『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)など。

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