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トランプ氏がシリア内戦を終わらせるか?―見捨てられたクルド人の決断

六辻彰二国際政治学者
トルコとの国境付近でYPGと行動をともにする米軍兵士(2017.4.28)(写真:ロイター/アフロ)
  • シリアの反体制クルド人勢力は、隣国トルコによる攻撃を警戒し、これまで争ってきたシリア政府に支援を求めた。
  • もともとクルド人と争ってきたトルコ軍がシリアに侵攻した直接的なきっかけは、トランプ大統領がシリアから撤退すると宣言したことにある。
  • アメリカ軍の撤退宣言にともなうシリア政府とクルド人勢力の接近は、ロシア主導によるシリア内戦の終結が近づいたことを示す。

 トランプ大統領がシリアからの撤退を発表してわずか1週間で、事態は大きく動き始めた。クルド人勢力が、これまで対立してきたアサド政権と接近することは、「ロシア主導でのシリア内戦終結」の実現が近いことを象徴する。

「アメリカ軍の撤退」の余波

 12月28日、シリアの反体制クルド人勢力「人民防衛隊」(YPG)は、シリアを握るアサド政権に対して、「トルコ軍の脅威」からの防衛のために支援を要請。これを受けて、アサド政権はシリア北部のマンビジュに向けて部隊を派遣した。

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 これはシリア内戦の構図が大きく動いたことを意味する。

 クルド人はシリアだけでなく、その周辺国でも居住しているが、「国をもたない世界最大の少数民族」でもある彼らは、どの国でも分離独立を求め、当局から弾圧されてきた。そのため、2011年に発生した内戦の混乱のなか、シリアのクルド人たちは武器をとり、ロシアやイランの支援を受けたシリア軍だけでなく、やはりシリア内戦のなかで台頭した「イスラーム国」(IS)などと戦闘を交えながら、実質的に「自分たちの土地」を手に入れていった。つまり、クルド人にとってアサド政権は、ISなどと同じく敵だったのである。

 そのYPGがアサド政権に支援を求めた転機は、トランプ大統領による「シリアからの撤退」の宣言だった。

 シリア内戦の発生を受け、アメリカはヨーロッパ諸国とともに、「アサド政権の退陣が内戦終結につながる」と主張した。強権的なアサド政権が反体制派の台頭を促した、という論理である。この背景のもと、アメリカはYPGなどクルド人勢力を支援し、さらにその訓練などのため、北部マンビジュに駐留してきた(もちろんシリア政府の同意を得ていない)。

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 ところが、アメリカ軍の撤退は、クルド人勢力を見捨てることに等しい。そのため、クルド人たちにとってトランプ大統領の決定が、アサド政権やロシアに接近する大きな転機になったことは疑いない。

トルコからみた脅威

 とはいえ、これはかねてから予測されてきたことでもある。

 今年2月の段階ですでに、クルド人勢力がロシアやアサド政権に接近する予兆は確認されていた。YPGの広報担当によると、クルド人勢力との直接戦闘をほぼ一貫して避け続けていたロシアの仲介でYPGとアサド政権が接触をもつようになったという。

 アメリカから支援されるクルド人が、ロシアやアサド政権にも接近するというリスクヘッジを選択した背景には、大きく二つの理由があった。

・トルコの介入

・アメリカの曖昧さ

 このうち、トルコ政府はYPGと自国内のクルド労働者党(PKK)が結びついていると主張し、YPGと敵対するシリアの反体制派を支援してきた。トルコにとっては、勢力を衰退させたISよりむしろ、クルド人の方が脅威だったとさえいえる。

 そのため、アサド政権だけでなく、トルコとも戦わなければならなくなったYPGにとって、アメリカは頼みの綱だった。

 もともと、2016年大統領選挙の時点で、既にトランプ氏は「シリアからの撤退」を主張していた。「コストに合わない」という理由だった。しかし、トランプ氏は2018年1月、「現地勢力への支援の強化」を発表。シリアへの積極的な関与は、マティス国防長官ら軍出身者からの進言によるところが大きかった。

 とはいえ、NATO加盟国トルコへの配慮も手伝って、アメリカは1月18日に「YPG支援をやめる」と宣言し、多くの反体制派の連合体であるシリア民主軍(SDF)の支援に集中すると弁明した。SDFのほとんどを占めているのはYPGであるため、これは何も宣言していないに等しかったが、これがYPGにアメリカとの協力の持続性に疑念をもたせる要因となった。

カショギ事件の衝撃

 クルド人のリスクヘッジに拍車をかけたのが、10月に発覚したサウジアラビア人ジャマル・カショギ氏の殺害事件だった。この事件をきっかけに、トルコがアメリカにこれまでになく譲歩を求め始めたからである。

 事件の舞台となったトルコは、「サウジアラビア政府を実質的に握るムハンマド皇太子の関与」を示唆し、サウジへの疑惑と批判を先導してきた。トルコにとって、カショギ氏の殺害事件は、ライバルであるサウジアラビアを追い詰める手段になった。

 これに対して、サウジとの関係を重視するトランプ氏はムハンマド皇太子を擁護し続けた。

 トルコはNATO加盟国だが、国内の人権問題などをめぐりアメリカと長く対立してきた。とりわけ、2016年7月のクーデタの首謀者とトルコ政府がみなすフェトフッラー・ギュレン師がアメリカに亡命していることと、これに関連してアメリカ人牧師がトルコ当局に拘留されたことで、両国の関係は極度に悪化した。今年8月、トランプ政権がトルコ製鉄鋼・アルミ関税を引き上げたことは、「貿易戦争」だけが理由ではない。

 ところが、カショギ氏の殺害事件により、これに対する疑惑と批判を先導することで、トルコは「ムハンマド皇太子を擁護したい」トランプ大統領への武器を手に入れたことになる。

 この観点からみれば、カショギ氏事件への疑惑が深まっていた10月26日、トルコ政府はYPGに「最終警告」を発し、武器を捨てなければマンビジュに侵攻すると宣言したことは、アメリカに対して「シリアでのトルコ軍の活動を邪魔するな」というメッセージになったとみてよい。

内戦発生前への逆戻り

 この背景のもと、トランプ大統領がシリア撤退を発表した翌週、トルコ軍がマンビジュ周辺に展開し始めたことをうけ、YPGはアサド政権に救援を求めたのである。10月28日、シリア国営放送は、マンビジュにシリア軍が入ったと報じた。

 シリア軍がマンビジュに入城した場合、アサド政権は一部を除きシリア全域をほぼ奪還したことになる。言い換えると、ロシア主導によるシリア内戦の終結が完成に大きく近づいたことになる。これは周辺国にとって、さほど悪い話ではない。

 アサド政権や、これを支援してきたロシアやイランにとってはいうまでもないが、トルコにとっても同様だ。トルコにとっての優先順位は、YPGの壊滅ではなく、YPGが国内のクルド人勢力を触発しないことにある。つまり、アサド政権の保護下に入ったクルド人が、内戦発生以前と同じく「シリアの一部」に組み込まれれば、それで所期の目的を達成したことになる。

 その意味で、トルコとシリアが示し合わせて、それぞれ容疑者を締め上げるコワモテの刑事と、カツ丼を進める柔和な刑事の役どころを演じたのではないかという憶測すら成り立つ。

 いずれにせよ、シリア内戦が終結すれば、トルコにとっては、国内に約361万人いるシリア難民に帰還を促すことも可能になる。それはレバノンなど他の周辺国にとってだけでなく、ヨーロッパ諸国にとってもありがたい話だ。つまり、これら各国にとってロシア主導での内戦終結は、内戦発生前の状態に戻すという意味で、失うものが少ない

敗者は誰か

 その一方で、アサド政権の保護下に入ることはクルド人にとって、「トルコの攻撃による壊滅」という最悪のシナリオを避けるために止むを得ない選択としても、少なくとも勝利とはいえない。これまでに失われた人命も多く、シリアを握るアサド政権への敵意がすぐになくなるとは思えない。その意味で、完全勝利目前のアサド政権には、その後の国の建て直しというさらに大きな山が待ち構えていることになる。

 これに加えて、アサド政権とYPGが本格的に接近したことは、アメリカのシリア政策が完全に行き詰ったことを象徴する。

 シリア軍がマンビジュに展開したという情報について、アメリカ軍は28日、「シリア軍がマンビジュに入った兆候はない」と否定。さらに、翌29日には「YPGにアメリカ製兵器を使い続けることを提案した」と発表し、クルド人勢力との関係に亀裂がないと印象づけようとした。

 しかし、「シリア軍のマンビジュ入城」を伝えているのはシリア国営放送だけではない。ロシアから「欧米のプロパガンダ機関」と名指しされてきたシリア人権監視団やイスラエルメディアi24 newsもこれを伝えている。

 全ての国の公的機関と同じく、アメリカ軍がこれまでに何度も都合の悪い情報を隠蔽してきたことは周知の事柄だ。少なくとも、「クルド人を見捨てた」と言われるだけでなく、これによってロシア主導の内戦終結が目前に迫っているといわれるのが嫌で、アメリカ軍がこういった声明を出しているとしても、不思議ではない。

 仮にアメリカ軍が言っていることが正しく、28日の段階でマンビジュにシリア軍が入っていなかったとしても、既にその周辺にシリア軍が展開していることはほぼ間違いなく、マンビジュに入ることは時間の問題とみてよいだろう。重要なことは、トランプ大統領がシリア撤退を宣言したことで、アメリカはシリア内戦での敗北を認めたに等しいということである。

 ロシア主導でシリア内戦が終結に向かいつつあるなか、「失点」を取り返そうとアメリカがウクライナなどでロシアとの対決を演出したり、中東での存在感を示すためにイスラエルへのテコ入れを加速させることは十分あり得ることだ。トランプ大統領がいうように、アメリカは世界の警察官を続けられないとしても、トランプ大統領が「強いリーダー」を演じたいことに変わりはないのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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