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アメリカがイランを攻撃できない理由-「イラク侵攻」以上の危険性とは

六辻彰二国際政治学者
ペルシャ湾に派遣されたB-52戦略爆撃機(資料)(提供:U.S. Air Force/ロイター/アフロ)

 アメリカはほとんど言いがかりに近い「イランの脅威」を強調して圧力を強めている。それは「フセイン政権が大量破壊兵器を持っている」という虚偽の情報に基づいて進められたイラク侵攻(2003)を想起させる。イラク侵攻はアメリカへの国際的信頼を失墜させ、「イスラーム国」(IS)台頭のきっかけになったが、イランを攻撃することはそれ以上のリスクを秘めている。

アメリカの軍事的圧力

 5月上旬からアメリカは「イランの脅威」を理由にペルシャ湾に空母エイブラハム・リンカーンやB-52戦略爆撃機を相次いで派遣してきた。一方のイランは、ペルシャ湾上で短距離弾道ミサイルを移動させているとみられる。

 コトの発端は2015年に結ばれたイラン核合意をトランプ政権が一方的に破棄したことにある。国際原子力機関(IAEA)もイランが合意に従っていると認めるなか、アメリカが具体的な根拠なしに合意を破棄した以上、イランが自衛に向かうのは不思議ではない。

 とはいえ、先にアクションを起こせばアメリカの思うツボであるため、イランが威嚇以上の行動に出るとは考えにくい。アメリカはそれを見越したうえで、一方的に緊張を高めているといえる。

 イラン核合意からの離脱は2016年大統領選の公約で、トランプ政権にはもともと反イラン強硬派が多い。そのうえ、北朝鮮との協議が難航し、ベネズエラへの介入もほぼ不発で終わりそうな情勢で、来年の大統領選に向けて外交的な成果が欲しいことは、「イランの脅威」の演出を生んだとみてよい。

軍需産業の影

 これに拍車をかけているとみられるのが、軍需産業の影響力だ。

 5月9日、新たな国防長官に就任したシャナハン氏は、ボーイング社などの経営に携わった経歴をもつ。

 前任の国防長官だったマティス氏は反イラン強硬派だった。その一方で、筋金入りの軍人として軍からの信任も厚く、シリア撤兵などトランプ大統領の「思いつき」に近い方針に反対できる、数少ないスタッフの一人だった

 2018年5月、やはりイランを敵視する同盟国イスラエルがイランの軍事施設を70発以上のミサイルで攻撃し、アメリカを対イラン戦争に引きずり出そうとしたが、トランプ政権は動かなかった。この時、トランプ氏を押しとどめたのもマティス氏だったとみられる。

 ところが、トランプ氏との確執からマティス氏は昨年12月に辞任を発表。これに対して、ポンペイオ国務長官など強硬派が揃う今のホワイトハウスで、新任のシャナハン国防長官がマティス氏ほどトランプ氏にNOといえるかは疑問だ。

 そればかりでなく、シャナハン氏がかつて経営に携わったボーイング社は、民間旅客機を製造しているばかりでなく、アメリカ屈指の軍需企業としての顔ももつ。国防長官自身が軍需企業に近いことは、イランとの衝突を回避した昨年5月との大きな違いといえる。

イラン攻撃のリスク

 しかし、それでもアメリカが実際に軍事行動に出るリスクは大きい。

 この点に関して、筆者は以前にポイントを整理していたが、以下ではこれに補足する形で、4つの論点をまとめてみよう。

 第一に、北朝鮮問題への影響だ。「核の脅威」を理由にイランを攻撃すれば、北朝鮮の警戒感はいやが上にも増す。

 2017年4月にトランプ大統領は「化学兵器の使用」を理由に、突如シリアをミサイル攻撃した。これはシリアを利用して「大量破壊兵器の問題で譲歩しない」と北朝鮮に圧力をかけたものだが、その時と現在ではアメリカの北朝鮮への態度が異なる

 2回目の米朝首脳会談が物別れに終わった後、アメリカにかつての強気はみられない。実際、5月初旬に北朝鮮が「飛翔体」を打ち上げたが、トランプ氏は10日「短距離ミサイルであり、信頼を損なうものではない」と述べている。

 アメリカが北朝鮮を必要以上に刺激しないようにしているタイミングで、「核兵器」を理由にイランへ強硬な姿勢を貫けば、北朝鮮情勢をさらに膠着させかねない。

ロシアとの緊張

 第二に、イランとの対決は米ロ関係にも影響を及ぼす。

 イランと協力関係にあるロシアはアメリカによるイラン制裁に批判的で、5月8日にイランがアメリカへの対応として核合意の一部停止を宣言した際には、その原因を作ったアメリカを非難している。

 もっとも、ロシアとイランの間に正式の軍事協定はなく、実際にアメリカ軍が行動を起こした場合、ロシアがどの程度介入してくるかは不透明だ。

 しかし、それでもアメリカが緊張を高めること自体、ロシアを利するという指摘もある。アメリカ海軍大学校のニコラ・グボステフ教授によると、

  • すでにメリカの経済制裁によってイラン産原油の流通が制限され、それによってシェアの空白が生まれるなか、その多くをロシアはサウジアラビアとともに確保した
  • 緊張が高まるほど、ロシアが誇る最新式地対空ミサイルS-400を含む兵器輸出も増えかねない
  • 対立のエスカレートは「調停者」としてのロシアの存在感を高める

 「ロシア疑惑」に一定の決着をつけたばかりのトランプ氏にとって、「ロシアに塩を送った」とみられることのリスクは大きい

シリア情勢の悪化

 第三に、アメリカがイランを攻撃すれば、レバノンのヒズボラやパレスチナのハマスなど、イランが支援する組織の活動を活発化させかねない。

 それだけでなく、アメリカとイランの直接対決は、ようやく終結の目処が立ってきたシリア内戦にも悪影響が及ぶ。

 シリア内戦でイラン革命防衛隊はロシア軍などとともに「イスラーム国」(IS)をはじめとする反体制派を攻撃する主力となり、アサド政権を支えてきた。アメリカがイランと衝突すれば、革命防衛隊はシリアを離れるとみられるが、これはシリア情勢を流動化させ、イスラーム過激派が息を吹き返しやすくなる。

原油価格上昇のプラスとマイナス

 第四に、原油価格の問題だ。

 2016年段階でイランの原油の確認埋蔵量は1584億バレルにのぼり、これは世界第4位だ(BP)。しかし、すでにアメリカによる制裁で国際的な流通は制限されており、このうえ軍事衝突となればイラン産原油は市場から消える。さらに、大産油国が集まるペルシャ湾一帯での危機は原油の価格上昇を加速させかねない。

 これはアメリカにとって、悪い話ばかりではない。シェールオイル生産量の増加によって、今やアメリカの原油生産量は日産1235万バレルで世界一だからだ。

 ただし、原油価格につれてガソリン価格も上昇すれば、アメリカの国内経済にも悪影響が及ぶ。

 現状のアメリカ経済には成長の兆しもある。2018年のGDP成長率は大統領選の公約だった3%に届かなかったが、今年第一四半期のGDP成長率は3.2%に上昇し、4月には失業率が約半世紀ぶりの低水準となる3.6%にまで下落した。

 その一方で、2018年の貿易赤字は8787億ドルにのぼり、12年ぶりに過去最大を記録した。これを埋めるようにトランプ氏は5月5日、2000億ドル相当の中国製品の関税率を10%から25%に引き上げることを決定したが、この関税引き上げは部分的にはアメリカの輸入業者などの負担増にもつながる。

 経済の先行きが不透明ななか、この上さらに輸送コスト増でブレーキをかければ、トランプ氏にとっては来年の再選に黄信号が灯ることになる

常識は通用するか

 こうしてみた時、アメリカが実際にイランで軍事行動を起こすハードルは高い。 

 ただし、それはあくまで常識的、合理的な判断であって、これまでのトランプ氏の行動パターンからすると、「まさか」という決定もしばしばあった。そのため、戦闘機などでの空爆といった限定的なレベルで実際に攻撃を行い、その成果を大きく宣伝するという可能性も否定できない。

 しかし、それはアメリカ以上に反イラン的なイスラエルやサウジアラビアの行動を活発化させるきっかけにもなり得る。その場合、アメリカが事態を制御できるかは疑問で、トランプ氏の意図とは無関係に、これまでに検討したような様々な領域に影響が及ぶ可能性は高い。トランプ氏の危険なツナ渡りは、イラク侵攻以上のリスクを秘めているのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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