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モロッコの対イラン断交―サウジアラビアと米国による中東、アフリカの囲い込み

六辻彰二国際政治学者
エチオピアを訪問したモロッコ国王ムハンマド6世(2016.11.19)(写真:ロイター/アフロ)
  • モロッコは、その歴史的領有権を主張する西サハラのポリサリオ戦線を支援したという理由で、イランと外交関係を断絶した
  • しかし、そこにはイラン包囲網のために、スンニ派諸国の結束を強めたいサウジアラビアと米国の働きかけがあった
  • サウジアラビアの求心力から逃れようとしてきたモロッコが、領土問題という死活的な利益で「優遇」されて米国―サウジに傾いたことは、中東情勢の緊迫を象徴する

 5月1日、モロッコ政府はイランとの断交を宣言。モロッコからの独立を求める西サハラのポリサリオ戦線にイランが武器を供与しているという理由でした。

 しかし、突然の断交には、より広範な中東情勢の影響を見出せます。とりわけ、イランと敵対するサウジアラビアや米国による「囲い込み」が、スンニ派諸国のなかでも穏健派とみられていたモロッコを「陥落」させたことは、緊迫する中東情勢を象徴するといえます。

モロッコとイラン

 モロッコとイランの断交は今回が初めてではなく、これまでにもそれぞれが外交関係を断絶した経験があります。

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 1981年には、イランがモロッコとの断交を宣言。1979年にイスラーム革命で亡命を余儀なくされたイラン皇帝(シャー)を、モロッコ国王が庇護したことが原因でした。

 また、2009年にはモロッコがイランと断交。イラン高官が「バーレーンはかつてイランの14番目の州であった」と強調するなど、(スンニ派諸国の一角)バーレーンに対するイランの「不適切な言動」が理由となりました。

 これらの断交はその後、それぞれ回復されてきました。

 今回、モロッコがイランと断交した直接的な理由には、西サハラ問題があります。モロッコは西サハラの歴史的領有権を主張しており、この地に「サハラ・アラブ民主共和国」の建国を目指すポリサリオ戦線と対立してきました。モロッコ政府は、イランが支援するレバノンのシーア派組織ヒズボラが、モロッコの隣国アルジェリアに拠点を構えており、ここを経由してポリサリオ戦線に軍事訓練や兵器の提供などが行われてきたと主張。これがモロッコのイラン断交の直接的な理由となりました。

スンニ派のなかでの独自の立場

 ただし、その一方で、この断絶にはより広範な中東情勢の影響を見出せます。とりわけ、サウジアラビアとイランの対立の余波という側面は無視できません。

 イスラーム世界の西端に位置するモロッコは、スンニ派諸国のなかでも穏健派で、イランと必ずしも友好的でない一方、サウジアラビアとも一定の距離を保ってきました。

 サウジとイランの代理戦争と化しているイエメン内戦は、その典型です。サウジは2015年に宗派対立が激化したイエメンの内戦に介入し、スンニ派諸国に有志連合への参加を強く要求。これに部隊を派遣しなかったパキスタンには経済制裁が実施されました。このイエメン内戦に、モロッコはF-16戦闘機6機などを派遣してきましたが、2018年4月には撤退を決定しています。

 その一方で、やはりサウジとイランの対立が鮮明となったカタール断交の問題でも、モロッコは中立的な行動が目立ちました。サウジがイランとの関係やハマスなどへの支援を理由に、2017年にカタールと断交した後、多くのスンニ派諸国はサウジの鼻息を恐れてこれにつき合いましたが、モロッコはクウェートなどとともに仲裁を試み、食糧輸送を行うなど、カタールとの関係を維持した数少ないスンニ派諸国であり続けたのです。

モロッコへのアプローチ

 こうして独自の立場を築いてきたモロッコを、サルマン皇太子のもとで「足場」としてスンニ派の結束を目指すサウジアラビアや、サウジ主導のスンニ派諸国によるイラン包囲網の形成を目指す米国トランプ政権は、取り込みを図ってきました。

 その象徴は、4月27日に国連安全保障理事会で行われた西サハラに関する決議でした。

 先述のように、モロッコは西サハラを自国の一部と位置づけてきました。その方針は、西サハラに「広範な自治権」を認めるというものです。これに対して、ポリサリオ戦線は住民投票による独立を求めてきました。

 4月27日の国連決議は米国が提案したもので、「モロッコの提案が真剣かつ信用でき、現実的なもので、西サハラの人々の平和と尊厳を満足し得るもの」というトランプ政権の方針が反映されたものでした。過度にモロッコ寄りの提案は、サウジアラビアの同盟国である米国が、その中東政策を念頭にモロッコへ働きかけたものといえます

アフリカの切り崩し

 この決議は15ヵ国中13ヵ国の賛成で成立。この際、ロシア、中国、エチオピアの3ヵ国は、決議文がバランスを欠くと批判し、欠席しました。

 ここで重要なことは、安保理のアフリカの非常任理事国のうち、エチオピアを除くコートジボワールや赤道ギニアも決議を支持したことです。

 その多くが他国に支配された経験をもつアフリカ諸国は、西サハラ問題に関して伝統的にモロッコに批判的でした。そのため、サハラ・アラブ民主共和国は国連に加盟していないにもかかわらず、アフリカ諸国によって構成されるアフリカ統一機構(OAU)に1981年に加盟。モロッコがこれを不服として、逆にOAUから脱退した歴史があります。その後、2002年にOAUがアフリカ連合(AU)に改組されてからも、この構図は維持されていました。

 しかし、西サハラに不利な安保理決議に賛成する国が出始めた状況からは、モロッコだけでなく、サウジや米国、さらにこれら両国との協力を深めるイスラエルなどに切り崩しの跡を見出せます。

コートジボワールと赤道ギニア

 今回の決議を支持した国の一つであるコートジボワールには、国民の約半数にあたる89万人のムスリムのほとんどはスンニ派とみられます。しかし、同国政府は4月26日の安保理でサウジ率いる有志連合によるイエメンでの空爆を批判し、2015年のイラン核合意を擁護。ここからは、宗派が全てでないことがうかがえますが、その翌日の西サハラをめぐる決議ではモロッコ支持を鮮明にし、結果的にサウジの利益、イランの不利益を後押ししました。

 そこには、モロッコ自身のアフリカ政策の影響を見出せます。地中海の対岸にあたるフランスやスペインと経済的な関係が深いモロッコは、内陸のアフリカ諸国とヨーロッパの「つなぎ目」として、存在感を高めてきました。経済関係の強化をテコに、2017年1月にモロッコはAUに「復帰」。コートジボワールはその主な取引相手国の一つなのです

 4月27日の決議でモロッコを支持したもう一つのアフリカの国、赤道ギニア(ムスリム人口はほとんどいない)の場合、米国―サウジアラビア―イスラエルの「三角同盟」を支持するトーンがより鮮明です。やはり4月26日の安保理決議で、赤道ギニアはイスラエルとパレスチナの対立において双方が一方的な行動をとらないよう求める一方、「パレスチナと同様イスラエルにも生存権があること」を認めています。ここからは、微妙なニュアンスではあるものの、パレスチナ問題でイスラエルや米国、さらにサウジと近い立場をうかがえます。

 さらに、赤道ギニアはアフリカ屈指の産油国で、2000年代初頭から石油輸出を通じて米国との関係を強化してきました。その一方で、2017年5月にはサウジアラビアと初めて経済協力フォーラムを開催し、経済関係を急速に深めています。

モロッコにとっての死活的利益

 これらの切り崩しは、西サハラ問題をめぐるアフリカ内部の亀裂を大きくし、それが結果的にモロッコに偏った安保理決議に結びついたといえます。

 どの国にとっても領土問題は死活的な利益と位置づけられがちですが、モロッコにとって西サハラは譲れない一線です。中東情勢の緊迫化にともない、イランを支持するロシアや中国も、穏健派モロッコへのアプローチを強めてきました。このうちロシアは2017年12月にモロッコと軍事協定を結び、中国は「一帯一路」に基づくインフラ整備などを加速させていました。しかし、西サハラ問題で優遇されたことは、モロッコをして米国やその同盟国であるサウジアラビアに傾かせたといえるでしょう。

 とりわけ、5月12日までに米国政府がイラン核合意の破棄を決定するとみられる問題をめぐり、中東情勢は緊迫の度合いを増しています。スンニ派諸国のなかでも穏健派とみなされてきたモロッコがサウジや米国の「からめ手」によってイランとの断交に向かったことは、裏を返せばサウジや米国のイラン敵視の「本気度」を象徴するといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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