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「保育所落ちた」で動き始めても日本で「総活躍」が難しい理由―一つの比較政治学的雑感

六辻彰二国際政治学者
(写真:ロイター/アフロ)

「保育所落ちた」が大きな注目を集めて約1ヵ月が経ちました。保育所の拡充は民主党政権時代から遡上に上りながらもほぼ放置されてきたといってよいテーマですが、SNS時代の世論の圧力は、腰の重い政府を動かし始めたようにみえます。

個人的には保育所の拡充にもろ手を挙げて賛成します。その一方で、保育所の拡充は、子育てや働き方といった領域にとどまらず、「世界や社会をどうみるか」という遠大なテーマの一端を示しています。それは、保育所の拡充を含めた出産・育児支援に加えて、社会保障や労働環境の整備といった広い意味での福祉国家のあり方をめぐって、「個人の生活や福利を充実させる役割を誰(どこ)に期待するか」という考え方の対立があるからです。

「個人の生活や福利」は誰が守るか

かつて、どこの国や社会でも、高齢になったり、健康を害したり、あるいは何らかの事情で充分働くことができなくなったとき、または最低限の生活水準を維持できなくなったとき、人々は家族や地域社会を頼って生きていました。複数世帯が同居する大家族制のもと、高齢者や病人を家族が面倒をみることは当たり前で、子どもの養育も、年長の子どもを含めた家族・親戚、さらには地域社会が行っていました。「親がなくとも子は育つ」というのは、(核家族でない)家族やムラ社会が機能していた時代の考え方といえます。

ただし、それは助け合いの精神や情愛に基づく「美風」だったかも知れませんが、他に選択肢がなかったことも確かです。実際、家族の負担になる高齢者、病人、障害者が「ごく潰し」と呼ばれ、たくさんいる子どもの内の幾人かが「口減らし」の対象になるとなることは、日本でも、特に農村では、終戦前後まで珍しくありませんでした。「昔ながらの社会」が美しいばかりとは限りません。

このように「個人の生活や福利」が家族や地域社会に委ねられていた時代、国家や政府は基本的にこれに関与していませんでしたが、「人間として最低限の生活や尊厳が守られるべき」という考え方は、19世紀の欧米諸国、特にヨーロッパで発達しました。その背景には、産業革命の進展にともなって都市化や核家族化が進み、それまで個人の生活や福利の防波堤だった家族や地域社会のあり方が大きく変化したことがありました。家族や地域社会がそれまでの役割を果たせなくなるなか、年金、失業保険、健康保険、普通教育や保育といった公的制度が徐々に整備されていきました。これによって、20世紀初頭には国家が「個人の生活や福利」に深くかかわる時代がやってきたのです。

「個人の生活や福利」をめぐる対立

とはいえ、これらの公的制度は自然に生まれたものではなく、激しい政治闘争の産物でした。産業革命の進展によって生まれた都市労働者は、農業社会のもとで繭のように個人を保護していた大家族や地域社会の喪失に、とりわけ直面しやすい立場にありました。そのため、どこの国でも都市労働者が、折からの労働組合運動の高まりにともなって、「国家による個人の生活や福利の保護」を求める勢力となったことは、不思議ではありません。

その一方で、ニュージーランド(1893)やオーストラリア(1894)などを除き、20世紀の初頭に至るまで、ほとんどの国で成人女性に参政権はなく、男子普通選挙すら多くの国では第一次世界大戦後まで実現しませんでした。そのなかで、革命路線を掲げるマルクス主義団体だけでなく、1884年に英国で設立されたフェビアン協会(現在の労働党の母体の一つ)のように、普通選挙権の普及と議会制民主主義のもとで「国家による個人の生活や福利の保護」の実現を目指す社会民主主義団体も生まれました。

しかし、これらの運動は激しい抵抗に直面しました。特に富裕層や中間層といった当時の(男性)特権階級は、制限選挙のもとで投票権を保障されていただけでなく、「国家が何もしない状態」によって、労働者に対する10時間以上の労働の強制や勤務中の事故で負傷した労働者の一方的解雇などの「利益」を享受していました。そのため、これらの勢力は「政府が仕事を増やせば自由が損なわれる」、「自分のことは自分でするべき」という(古典的な意味での)自由主義の考え方の牙城となりました

どのような思想・信条も、それを強調するひとの置かれた立場と無縁ではありません(ドイツの社会学者カール・マンハイムのいう「存在拘束性」)。その意味では、自由主義であれ社会主義、社会民主主義であれ、普遍的な思想というより、特定の立場からの主張(イデオロギー)にならざるを得ません。その結果、20世紀の初めには「個人の生活や福利」が「持てる者」と「持たざる者」の間の大きな政治的争点として浮上したのです。

福祉国家の誕生

そのなかで発生した第二次世界大戦は、第一次世界大戦とともに、あるいはそれ以上に、それまでの世界のあり方を大きく変えるものでした。例えば、敗戦とともに日本では身分制や地主制が解体され、女性参政権の保障などの改革がGHQの主導によって行われましたが、戦勝国の側も大きな変化に直面せざるを得なくなりました。大戦中の1942年、英国で戦後の大方針として「ベヴァレッジ報告」がまとめられ、このなかで「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる社会保障制度の構築が打ち出されたことは、その象徴でした。

西側でも国家が国民生活に深くかかわる潮流が生まれた背景には、もはや戦前ドイツの「社会主義者鎮圧法」や日本の「治安維持法」に代表されるように、組織化された都市労働者の要望を抑え込むことが事実上不可能になったことがあります。ますます産業化が進み、都市労働者の社会的影響力が大きくなる一方、普通選挙が普及するなかで、その要望を抑え込むことは、どの政党にとっても次の選挙で自らに不利に働くからです。のみならず、大戦で戦場となり、戦後に不景気に直面していたヨーロッパ各国の状況は、米国をはじめ西側各国政府をして、都市労働者の生活不満を放置すれば、ソ連を中心とする共産主義勢力の浸透を許すことになるという危機感がありました。

このような背景のもと、西側先進国では19世紀型の「小さな政府」から「大きな政府」への転換が進むことになりました。それにともない、どの政治勢力も「国家が個人の生活や福利を保護すること」そのものは否定しにくくなり、結果的には政党間の違いが曖昧になっていったのです。20世紀米国を代表する社会学者の一人ダニエル・ベルは、共和党と民主党の差異の縮小を指して、「イデオロギーの終焉」と呼びました。自己責任の原理がとりわけ強い米国におけるこの状況は、西側諸国における「福祉国家」の普及を象徴します。

福祉国家のタイプ

とはいえ、西側諸国における福祉国家は、金太郎アメのようにどれも同じというわけではありません。ここに着目した分析で、学界で一躍スターダムにのし上がったのが、デンマーク出身の政治学者G.エスピン=アンデルセンでした。

アンデルセンによると、西側諸国における福祉国家のあり方は、自由主義モデル(米国が典型)、社会民主主義モデル(スウェーデンが典型)、保守主義モデル(ドイツが典型)の三つに分類されます。

この三分類は、三つの基準から成り立ちます。その三つの基準とは、脱商品化、階層化、脱家族化という概念です。

要約すると、このうち「脱商品化」とは、個人が労働力として自らを売らなくても生きられるか、を指します。高齢者、病人、失業者、主婦(夫)などの多くは自分を「商品化」していませんが、それがどの程度可能な社会か、ということです。

次に、「階層化」は文字通り、所得格差がどの程度あるか、ということです。

最後に、そして恐らく最も議論の余地のある基準である「脱家族化」とは、個人が家族に頼らずに生きられるか、を指します。それは特に「商品化」しにくい人々が、家族のなかの稼得者(多くは成人男性)に扶養されることが一般的でない、そして高齢者介護、病人のケア、育児などが「家族」を前提としない、という意味になります。

これらの基準にアンデルセンの分類を当てはめると、それぞれの脱商品化レベル―階層化レベル―脱家族化レベルは、

  • 自由主義モデル:低い―高い―中くらい
  • 社民主義モデル:高い―低い―高い
  • 保守主義モデル:高い―高い―低い

例えば、米国(自由主義モデル)では、自己責任の原理が強いために、働いて所得を得ずに、言い換えると自らを商品化せずに生きることは困難です(脱商品化レベルが低い)。その一方で、成果報酬などが一般的であることから、所得格差も大きくなりがちです。また、年金や健康保険も民間企業によるものが中心であるため、所得格差は受けられる社会保障の格差にも直結しがちです(階層化レベルが高い)。ただし、能力によって測られることが一般的であるために、性差による所得格差は小さく、そのために所得が高ければ女性が男性稼得者に依存する率も低くなります。ハウスキーパーやベビーシッターなど、家事労働を代替する民間サービスが発達していることは、これを支える条件になっています(これに従事するひとはメキシコ系など移民が多い)。とはいえ、所得が低ければ、必ずしもその限りではありません(脱家族化レベルが中くらい)。

次に、社会保障が充実していることで知られるスウェーデンなどの社民主義モデルでは、年金、失業保険、産休・育休休暇などの制度により、「商品化しにくい人々」の生活が基本的に保障されています(脱商品化レベルが高い)。所得が低くなりやすい人に対するサービスにより、所得格差は圧縮されます(階層化レベルが低い)。「高福祉、高負担」といわれるように、北欧の社民主義諸国では高い税率が特徴ですが、所得や納税額に比例した社会保障を受けられるため、中間層以上にとっても納得しやすい制度になっています。これは自由主義モデルと大きく異なる点です。米国では社会保障や公的サービスが「自分のことを自分で始末できないひと」に集中しやすい結果、納税だけ強いられてこれらのサービスから漏れがちな中間層が不満を抱きやすく、階層間の対立が激化しています。「全てのひとを対象にする」という意味で、社民主義モデルは「普遍主義」と呼ばれます。そして最後に、充実した社会保障は「個人」を対象にしているため、家族への依存度は低くなります(脱家族化レベルが高い)。

最後に、ドイツを典型例とする保守主義モデルでは、男性稼得者を中心とする伝統的な家族により、主婦、失業者、病人などの「商品化しにくい人々」の生活はカバーされます(脱商品化レベルが高い)。家族制度を重視する点で、イタリアなど南欧諸国でも同様です。その一方で、これらの国では、社民主義モデルのように一律の社会保障制度のもとにあるのではなく、職業組合の強い影響力(職人の多いドイツが「マイスターの国」と呼ばれることは、一面では高い技術力や真面目な気質を象徴しますが、他面では徒弟制度が浸透していたことをも示します)のもと、業種・職種ごとの所得格差は大きくなりがちです。社会保障も税金ではなく掛け金の比率が高く、それは現役時代の所得が年金にも反映されてくることを意味します(階層化レベルが高い)。これには、業種を超えた人材移動を低くしがちという側面もあります。そして最後に、年金など社会保障が世帯単位での給付で、高齢者の介護、病人のケア、出産・育児などが「家族による扶養」を前提とした制度設計になっているため、「個人の生活や福利」に求められる家族の役割は必然的に高くなります(脱家族化レベルが低い)。

「脱家族化」の影響

アンデルセンの研究は、先進国間の福祉国家体制の比較を可能にした点で、画期的なものでした。それに加えて、アンデルセンの研究で重要な点に、福祉国家のあり方を「世界」と表現することで、「福祉国家のあり方が人々のライフスタイルや考え方に影響を与える」ということを示唆したことがあげられます。

例えば、スウェーデンでは法的な結婚より同棲生活の方が主流です。個々人の「家族」への依存度が低い福祉制度になっている以上、法的あるいは伝統的な家族のあり方を選択する必然性は低くなるからです。また、男性の育児休業が整備されることにより、また政府が全額を負担する就労訓練などの普及により、女性の労働市場への進出は社民主義モデルで最も進んでいます。その結果、社会全体でいわゆるジェンダー・バイアスは低くなります。つまり、社民主義モデルの国は、他のモデル、特に保守主義モデルの国より、「個人」として生きることが国家によって容認・奨励される制度になっているのですが、出産・育児に必要なコストが低くなるため、北欧諸国の出生率は総じて保守主義モデルの国より高い水準にあります【新川敏光・井戸正伸・宮本太郎・真柄秀子,2004,『比較政治経済学』,有斐閣,p.171】。このような環境にある人にとっては、少なくとも「家族による扶助」を前提とした制度の国の人より、「個人」を単位としたライフスタイルを設計することが自然になるでしょう

社民主義モデルを生んだ条件

このような北欧の社民主義モデルは、しかし一朝一夕に構築されたものではなく、1929年の世界恐慌の後、段階的に拡充されてきました。そこには、これらの国の特殊事情があったといえます。

まず、北欧諸国には早くからプロテスタンティズムが普及し、「家族」を重視するカトリック教会の影響は強くありませんでした(ここがイタリアなどと違う点です)。「聖書と自らの対話」を重視するプロテスタンティズムは、その内部で差異はあっても、基本的には個人主義を培養する素地になりました。これは、個人を単位とする社会保障を早くから生む背景になったといえます。

しかし、プロテスタンティズムだけなら英国などでも同じのはずですが、そこには地理的、経済的な条件もありました。これらの国は人口規模も小さく(例えばスウェーデンの人口は現在でも約983万人で東京都より少ない)、周囲を英国、フランス、ドイツなどの大国に囲まれ、これらの国の輸出攻勢によって、下手をすれば自国経済が乗っ取られかねない状況が常にありました。そのなかで発生した世界恐慌は、国内が一致結束してあたる必要性をさらに広く共有させる転機となり、労働環境の整備と社会保障の拡充がパラレルに進行することになったのです。

そのなかで重要な役割を果たしたのは、労働組合と経営者団体、つまり「雇われる側」と「雇う側」が対等の立場で、しかも政府との三者の協議の場を設けたことです。協議のなかで、労働組合は賃金上昇の抑制に同意し、引き換えに経営者団体は雇用の確保と法人税の拡充に同意し、そして政府は増加した税収を社会保障というかたちで労働者に還元する制度を確立させていきました。これは、三者がそれぞれ負担を引き受けるもので、「三方一両損」のかたちに近いものです。

1930年代からこのように建設的な労使関係が構築された背景には、先述の「国内が一致結束してあたる必要性」があっただけでなく、国が小さいため、全ての労働組合や経営者団体が加盟する連合体組織が、それぞれ早くから形成されていたことがあります。それによって、「雇われる側」と「雇う側」の代表には強い権限があり、その合意がそれぞれの末端にまで浸透しやすい状況があったのです。また、くどいようですが人口が少ないため、労働組合と経営者団体それぞれの代表者と政府関係者が、大学の同窓生といったことも珍しくなく、このような人的関係も、英国やフランスで珍しくない対立一辺倒の労使関係を回避する条件になったといえます。

つまり、スウェーデンに代表される社民主義モデルの国では、個人が尊重される文化的背景のもと、早くから「雇われる側」の言い分が政策に反映されやすい環境にあり、これが「国家が個人の生活や福利を守る」制度を構築させていったのです。他方、その原因であり、同時に結果でもある個人主義は、伝統的な「家族」という枠組みを必ずしも重視しないものであり、それがひいてはパートナー制や同性婚など非伝統的な家族の形態を受け入れやすい素地にもしています。その意味で、社民主義モデルは北欧諸国の特殊事情が結実したものといえるでしょう。

日本の福祉国家体制

翻って、日本の状況を考えてみたいと思います。

アンデルセンによって打ち出された三分類は多くの研究者の関心を集め、様々な研究を派生させていますが、日本に関しては「保守主義モデルと自由主義モデルの中間くらい」という認識が一般的です。つまり、日本の場合、長く年金が世帯への付与であったように、男性稼得者を中心とする「家族」を基盤とする社会保障が構築されてきました。現代でも、介護や育児は「家族による扶助」を前提としています。その一方で、アンデルセンがその著作の日本語版の序文で述べているように、民間年金の支給額が年金支給額の20パーセントを超え、医療支出の約30パーセントが個人負担であるなど、民間セクターによる福祉が大きい点で、日本は米国と似ています【G.エスピン‐アンデルセン,2001,『福士資本主義の三つの世界』(岡沢憲芙・宮本太郎監訳),ミネルヴァ書房,p.ix】。

つまり、少なくとも西側先進国の間の比較で言えば、日本では「個人の生活や福利を守る」役割が家族と市場に委ねられる傾向が強く、国家の関与は必ずしも高くないのです。なかでも出産・育児に関しては、米国と異なり、ハウスキーパーやベビーシッターなど市場を通じて家事労働を代替する仕組みが未発達で、祖父母など家族内でのヘルプがなければ、少なくとも都市の核家族にとって子育てが難しい状況から、自由主義モデルより保守主義モデルの傾向が強いといえるでしょう。

繰り返しになりますが、それぞれの福祉国家のあり方は、アンデルセンがいう「世界」であり、その社会で生きる個々人の価値観や文化に強く影響を受けています。つまり、「家族が助け合う」ことを自明とする日本の福祉国家体制の構築は、戦後の日本型雇用慣行(年功序列・終身雇用)、自民党の長期政権(55年体制)を支えた一角が(大家族制が特に普及し、伝統的価値観が強い)農村であったこと、さらに労働組合がバラバラで都市労働者あるいは「雇われる側」の言い分を反映させる制度が発達しなかったこと、などに由来します。その意味では、戦後日本の社会に適応したものとして、現在の「家族による扶助」を前提とする福祉国家体制は発達したといえるでしょう。

スウェーデンに代表される社民主義モデルは、確かに国際的に評価の高いものです。しかし、先述のように、それは北欧諸国の特殊条件のもとで発達したものです。したがって、いかに社民主義モデルが素晴らしいものであったとしても、それがそのまま、日本を含むどこの国でも、全面的に適応できるとは言いにくいのです。

「総活躍」を阻むもの

このような「日本の事情」を強調する意見が、特に現在の日本の福祉国家体制を作り上げた側、つまり自民党や大企業から強調されたとしても、不思議ではありません。ただし、外部で評価が高いものに無批判に飛びつくのが軽薄であるのと同様に、「自らの特質」に固執しすぎて、その「特質の変化」をみて見ぬふりをするなら、それは頑迷といえます

日本において、経済や社会だけでなく、家族のあり方自体が変わりつつあることは、もはや隠しようもありません。日本の福祉国家体制を構成した一因である日本型雇用慣行は、もはや相当程度、弱体化したといえるでしょう。就労者の過半数は、もはや非正規雇用です。一方で人口の都市、なかでも首都圏への流入傾向は止まりません。農村の過疎化や、中小企業の後継者不足は、かつての農村や家族経営の商店や工場で一般的だった、「家族による扶助」を可能にする条件が失われつつあることをも示しています。長く支持基盤であり続けたJA(農協)の改革を自民党が押し切ったことは、高齢化と過疎化で農村がもはやかつての存在感を失いつつあることを象徴します。

少し話が飛びますが、仏教界から批判を受けながらも、アマゾンの「お坊さん便」にそれなりの需要があることも、家族のあり方の変化を象徴します。日本において、檀家制度は個人をイエのメンバーに位置づける制度でもありました(これと並行して、神社の氏子制度は、個人を共同体のメンバーに位置づける制度でもありました)。「お坊さん便」の盛況ぶりは、信仰心の問題だけでなく、檀家制度の衰退、ひいては「家族の一員であることによって個人が成立する社会」が弱体化しつつあることを示唆します

このように家族のあり方が変化し、多くのひとにとってその扶助が困難であるにもかかわらず、しかし日本では制度だけはいまだ保守主義モデルの色彩が濃いといえます。この背景には、「発言力の問題」があります。

先述のように、社民主義モデルの国では、政-労-使、つまり政府と「雇われる側」、「雇う側」が日常的に社会経済政策を協議する場が、早くから設けられていました。しかし、日本では「民間の声を反映させる」と称する政府の会議に呼ばれるのは、ほとんどの場合は経営者団体(特に経営三団体)の責任者や政府に立場が近い知識人で、「雇われる側」が定期的に政府と協議する機会はありません。それは政府だけの問題ではなく、政治力学の観点からみれば、労働組合が企業・団体ごとに分断されているばかりか、正規労働者と非正規労働者の間で加入資格が異なるなど、労働組合の政治勢力としての弱さにも原因を見出すことができます。さらに、年齢層が高いほど投票率が高いことは、政府が年金や介護には熱心でも、出産・育児を後回しにしやすい条件ともいえます

このようにしてみれば、早くから指摘されながらも、保育所の拡充が一向に進まなかったことは、不思議でもありません。そして、「家族による扶助」を自明視し、「個人の生活や福利」への関与に政府が総じて消極的な環境に大きな変化がない以上、安倍総理が「一億総活躍」を連呼しようとも、その実現には疑問符がつきまといます。

「繭のように個人を守る家族」への期待を弱める覚悟

その一方で、再三述べてきたように、福祉国家体制は社会のあり方や文化を反映したものであると同時に、個々人の価値観や嗜好にも影響を及ぼします。良し悪しはともあれ、日本の社会保障は長く保守主義モデルの色彩が濃厚でした。しかし、家族のあり方が変化するなか、そこに限界があるならば、全面的な移行は無理でも、自由主義モデルや社民主義モデルの要素を取り入れて行かざるを得なくなります。ただし、どちらもバラ色の選択肢とは限りません。自由主義モデルの場合、格差のさらなる拡大は避けられません。社民主義モデルの場合、高福祉と引き換えに高負担も当然受け入れなければなりません。そして何より、自由主義モデルの社民主義モデルのいずれでも、「脱家族化」レベルがさらに上がることは避けられません

ところが、日本では家族の結びつきが弱まっている一方で、個人の自立を自明とする価値観は弱いままです。あるイギリス人に「なぜ日本では若者の引きこもりが多いのか」と聞かれたことがありますが、それは「なぜイギリスでは若者のホームレスが多いのか」の裏返しです。つまり、成人であっても社会に適応できない子どもを家族が扶養することは日本では珍しくありませんが、成人になればあくまで一人の人間として扱う観念が強ければ、それは家から追い出されても不思議ではありません。そこまでいかなくとも、就職の決まっている大学4年生に、あくまで成績の観点から「不可」の評価をした場合、親が出てくることは珍しくありません(大学4年生にあくまで成績の観点から評価する教員はむしろ珍しいのですが)。

つまり、日本では「家族」の観念が弱まっているものの、核家族化の進行により、かえって親離れ子離れできないひとを生みやすくもしているのです。「家族による扶助」を自明視しない福祉国家のあり方を求めざるを得ない以上、それは「個人としての自立」を自明視する必要があるのですが、そこは見過ごされがちです。北欧のような社会が最上のものとは限りませんし、家族をはじめとする集団の結束と協調性は日本の長所ともいえます。とはいえ、社会の変化に対応し、「国家による個人の生活や福利の充実」を求めるためには、我々国民の側にも、「社会の荒波から繭のように個人を守る家族」への期待を、たとえ棄てないまでも、弱める覚悟が必要といえるでしょう

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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