事故死の入来智さん現役終盤は韓国でプレー 「いつも真剣でした」と当時のコーチが別れを惜しむ
日本のプロから初の外国人登録の日本人選手として韓国球界入りし活躍した、元投手の入来智さんが10日、地元宮崎で交通事故により亡くなったことがわかった。55歳だった。
入来さんは1990年にプロ入りし近鉄、広島、再び近鉄、巨人、ヤクルトで計13年間プレー。2003年に韓国に渡りトゥサンベアーズ入りすると、シーズン序盤は抑えを任され、5月途中からは先発に転向。39試合に登板し1完封を含む7勝11敗5セーブ、防御率3.74(リーグ7位)を記録した。
翌04年は台湾CPBLのLa Newベアーズ(現楽天モンキーズ)に移籍し、同年限りで現役を引退。引退後は故郷・宮崎で働く姿がテレビ番組で幾度か紹介された。
韓国でプレーした時の入来さんについて、トゥサンで投手コーチとして接していた山本一彦(登録名チェ・イルオン)さんはこう振り返った。
「入来はテスト入団でした。12月初めの寒い日、チャムシル球場に半袖姿で現れて一生懸命に投げていました。その時ボールを受けたキャッチャーのキム・テヒョン(前トゥサン監督)が『この球だったら勝てると思います』と言って合格したのを覚えています」
「入団が決まると、キャンプインの初日からブルペンで80球ほど全力投球。しっかりと体をつくってきたことに驚きました」
山本さんは入来さんに不思議な縁を感じたことがあった。
「シーズン中に悩んでいた入来を飲みに連れて行った時、自分の生い立ちを話し始めました。プロに行く自信はなかったそうですが社会人の時、チーム(三菱自動車水島)の先輩から『おまえはプロに行けるから頑張れ』と言われてプロを目指したそうです。その先輩というのが私の高校(下関商)の同期でライバルだった宇郷(誠)でした」
山本さんは「入来は自分の世界を持っていて、すべてにおいていつも真剣でした。ご冥福をお祈りします」と話した。
◇入来智さんのNPBでの通算成績:214試合35勝30敗2セーブ、防御率4.25。01年には自己最多の10勝を挙げヤクルトの日本一に貢献。オールスター戦にも出場し、弟・祐作(当時巨人)との兄弟リレーが話題になった。