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韓国監督が故・加藤博一さん(元横浜大洋)との写真を財布に忍ばせる理由【東京五輪・野球】

室井昌也韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表
ハマスタで指揮を執る韓国代表のキム・ギョンムン監督(写真:ロイター/アフロ)

2008年の北京以来、13年ぶりに行われているオリンピックの野球競技。前回大会で金メダルを獲得した韓国は、今回の東京五輪では決勝進出を逃し、7日12時からドミニカ共和国との3位決定戦で銅メダルを目指す。

韓国の監督は北京でもチームを率いたキム・ギョンムン監督(62)だ。だが元々は中日の抑え投手としても活躍したソン・ドンヨル氏(58)が指揮を執るはずだった。ソン氏は侍ジャパンの稲葉篤紀監督と同じ17年に代表監督に就任。任期は東京五輪までだった。

ところが18年夏のアジア大会での代表選考に関して、大会後に球界とは無関係なところから理不尽な追及を受け、ソン氏は同年11月に自ら職を辞した。代表監督が任期中に辞任するという危機的状況。そんな窮地に任せられる人物はただひとり、「北京で金」のキム監督だった。

期せずして再び代表チームのユニフォームに袖を通したキム監督。同監督が横浜スタジアムで采配を振るう姿を見て、その場に立つのは宿命だったのではないかと筆者は思っている。以前のコラムを再編集して以下に掲載する。

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韓国代表を率いるキム・ギョンムン監督には肌身離さず持ち歩いている写真がある。プレミア12を目前に控えた2019年秋、キム監督はズボンの左後ろのポケットから財布を出し、その一枚を見せてくれた。

キム監督がいつも財布に入れている加藤博一さんとの写真(写真:ストライク・ゾーン)
キム監督がいつも財布に入れている加藤博一さんとの写真(写真:ストライク・ゾーン)

キム監督の向かって右側に座るのは西鉄、阪神、横浜大洋でプレーし、大洋ではその俊足から「スーパーカートリオ」の一人として活躍した加藤博一さんだ。

バットを短く持ち、小さく構えた姿勢から野手の間を抜く打球を放ったプレーヤーとしての姿。そして当時では珍しく、シーズンオフのテレビ番組で自身のコーナーを持つという、明るくサービス精神旺盛なキャラクターで人気を集めた。

加藤博一さんとの写真を見せるキム・ギョンムン監督(写真:ストライク・ゾーン)
加藤博一さんとの写真を見せるキム・ギョンムン監督(写真:ストライク・ゾーン)

キム監督と加藤さんの出会いは、キム監督がOBベアーズ(現トゥサンベアーズ)の捕手だった29歳の時、1988年大洋の沖縄・宜野湾キャンプに同僚二人と参加したことに始まる。キム監督ともにキャンプに派遣され、現在、韓国代表の投手コーチを務める山本一彦(60、チェ・イルオン)さんはこう振り返った。

「キムさんは加藤さんたちと同じベテラン組で動いていて、加藤さんはよく面倒をみてくれたんです。キムさんはバットをたくさんもらったんじゃないかな。僕も加藤さんからハタケヤマのグラブをもらいました」

加藤さんとキム監督の縁は二人が現役を引退してからも途切れることはなかった。加藤さんは野球解説者当時、自費でキャンプ地取材に訪れるなど精力的に活動することで知られていたが、2004年にキム監督がトゥサンで初めて指揮を執った時も、加藤さんは大分県津久見市のキャンプに足を運んでいる。

加藤さんは7歳年下のキム監督のことを「ジャッキー」と呼んでかわいがった。大洋の遊撃手だった高橋雅裕さん(57)はその呼び名の理由を「キム監督はジャッキー・チェンに似ていたからですよ」と話す。

若い頃のキム監督の写真を見ると、下がった目尻と丸い鼻が印象的な端正な顔立ち。確かに香港の人気スターを思わせる。加藤さんの着想は、タレント・出川哲朗さんが同級生の内村光良さんを「チェン」と呼ぶのと同じだ。

キム・ギョンムン監督(写真:ストライク・ゾーン)
キム・ギョンムン監督(写真:ストライク・ゾーン)

高橋さんにキム監督が今も加藤さんの写真を持っていることを話すと「僕も持ってますよ」と言って手帳を開いた。

「加藤さん、僕の仲人なんです。ツーショットは持ってないんですよね。これは遺影の写真です」

高橋雅裕さんの手帳の中にも加藤博一さんの写真は収められていた(写真:ストライク・ゾーン)
高橋雅裕さんの手帳の中にも加藤博一さんの写真は収められていた(写真:ストライク・ゾーン)

多くの後輩に慕われ続けた加藤さんは2008年1月21日、肺がんで亡くなった。56歳だった。

キム監督と加藤さんの写真には2007.11.19という日付が記されている。加藤さんが亡くなる約2か月前、当時、キム監督は代表監督として北京五輪の出場権をかけた戦いを前に、沖縄で代表合宿を行っていた。この二人の写真はキム監督が練習休日に神奈川県まで足を伸ばし、逗子市の加藤さんの自宅を訪れて撮ったものだ。

二人が顔を合わせたのはこの日が最後となった。

「兄さん(加藤さん)が亡くなったと聞いて、急いで飛行機に飛び乗って日本に行きました。兄さんからは野球に対する姿勢をたくさん学びました。北京五輪に向けて日本の選手の誰を警戒した方がいいといったアドバイスももらいましたよ」

キム監督は絞り出すように加藤さんとの思い出を話した。

加藤さんとキム監督の両方を知る高橋さんは二人の関係をこう推察する。

「キム監督は加藤さんの葬儀で親族や他の友人と一緒に棺を担いでいました。キム監督は最高の人間。だから加藤さんもキム監督のことを頑張って欲しいと、ずっとかわいがっていたんじゃないですかね」

「頑張れ!!北京」と記された加藤さんの文字。キム監督はその言葉を胸に北京五輪に臨み、韓国代表は9戦全勝で金メダルを手にした。

そして今年、キム監督は再び五輪の舞台に立った。その戦いの場は、加藤さんが現役時代にダイヤモンドを駆け回った横浜スタジアムだ。

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筆者は3位決定戦が行われる7日の朝、加藤さんのお墓がある神奈川県・葉山の霊園に訪れた。感染症拡大による移動の制限がなければ、キム監督も大会期間中の休養日にこの場を訪れたかもしれない。

「頑張れジャッキー!」

そんな加藤さんの声が、ハマスタのキム監督の耳に響くか。

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韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表

2002年から韓国プロ野球の取材を行う「韓国プロ野球の伝え手」。編著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』(韓国野球委員会、韓国プロ野球選手協会承認)を04年から毎年発行し、取材成果や韓国球界とのつながりは日本の各球団や放送局でも反映されている。その活動範囲は番組出演、コーディネートと多岐に渡る。スポニチアネックスで連載、韓国では06年からスポーツ朝鮮で韓国語コラムを連載。ラジオ「室井昌也 ボクとあなたの好奇心」(FMコザ)出演中。新刊「沖縄のスーパー お買い物ガイドブック」。72年東京生まれ、日本大学芸術学部演劇学科中退。ストライク・ゾーン代表。KBOリーグ取材記者(スポーツ朝鮮所属)。

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