デビュー前の呉昇桓(元阪神)を知る日本人コーチ 「300セーブもするとは思わなかった」

2006年の花増幸二元コーチ(左)とオ・スンファン(写真:ストライク・ゾーン)

4月25日にKBOリーグ通算300セーブを達成したオ・スンファン(元阪神)がタングク(檀国)大からプロ入りしたのは2005年。その年からNPB、MLBでプレーした6シーズンを除く11年で300ものセーブを積み重ねた。

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そのオ・スンファンが、プロでまだ1セーブも挙げていない時に出会った日本人がいる。2004年から6年間サムスンライオンズでトレーニングコーチを務めた花増幸二氏(元日本ハム投手、65)だ。花増氏にオ・スンファンとの出会いを訊いた。

「04年の11月にサムスンは台湾で親善試合をしました。その時にドラフトで指名されたばかりのオ・スンファンも参加していたんです。ストレートは(球速)138キロから140キロ前半くらい。ドラフト2次指名の1番目と聞いていましたが、『そんなに凄いか?』と思いましたね」

花増氏は当時22歳のオ・スンファンの投球を見て、気になることがあったという。

「角度をつけたいといって上に向かって投げるようなフォームで、手首だけを使って投げていました。大学でそうアドバイスされたそうです」

「『それではケガをするよ。もっと前でボールを離すようにしたら』と話したら、『直したいです』と言ってきて、それからよく話をするようになりました」

プロ2年目当時のオ・スンファン(写真:ストライク・ゾーン)
プロ2年目当時のオ・スンファン(写真:ストライク・ゾーン)

オ・スンファンは翌05年の最初のシーズンを迎えるまでの間、ヤン・イルファン投手コーチ(当時)とフォーム修正に着手。球速がアップしたオ・スンファンは1年目からリリーフ投手として起用された。オ・スンファンが初セーブを挙げたのは2005年4月27日のLGツインズ戦だった。

「初セーブの日のことは正確には覚えていませんが、開幕から抑えをやって連続セーブを挙げていたクォン・オジュンの調子が悪くなって、7月にソン・ドンヨル監督(元中日投手)が、『(セットアッパーの)オ・スンファンと順番を入れ替える』と話したのは覚えています」

クォン・オジュンとのリレーは当初、2人のイニシャルから「OKパンチ」、順番が入れ替わってからは「KOパンチ」と呼ばれた(写真:ストライク・ゾーン)
クォン・オジュンとのリレーは当初、2人のイニシャルから「OKパンチ」、順番が入れ替わってからは「KOパンチ」と呼ばれた(写真:ストライク・ゾーン)

1年目の途中にクローザーとなったオ・スンファンは、力で打者をねじ伏せた。その年61試合に登板し、10勝1敗16セーブ11ホールド。防御率は1.18で、99回に投げて奪った三振は115個だった。チームは公式戦1位、そして韓国シリーズも制した。

花増氏はオ・スンファンについて「(1年目のシーズンを迎えたら)球が速くなって『韓国では通用するかな』とは思いましたが、300セーブもするとは、海外でも活躍するとは当時は思いませんでした」

「体は硬い方だし筋肉に頼る投げ方をしていました。ただ自分が変えたいと思っていることへのアドバイスはよく聞いて理解し、コツコツとやる選手でした。大騒ぎするタイプじゃないけど人懐っこかったですね」と振り返る。

リーグを代表する守護神の座に駆け上がったオ・スンファンは、翌06年3月の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で韓国代表入り。韓国はベスト4になったことで特例措置として兵役義務がある11選手の免除が決定した(※)。オ・スンファンもその恩恵を受けた。

オ・スンファンが出場した497試合はすべてリリーフでの登板。プロ入りから16年、38歳9か月でKBOリーグ300セーブを達成した。NPBでの80セーブ、MLBでの42セーブを合わせると422セーブを数える。

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※スポーツ選手の競技結果による兵役免除は、オリンピックでのメダル獲得と、アジア大会での金メダル獲得が兵役法で定められている。WBCは野球のみの大会で本来は兵役免除の対象ではないが、第1回大会では適用された。