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中日、西武の元中継ぎ投手・岡本真也 もつ鍋店主の今と韓国の元同僚の成長に感じる10年

室井昌也韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表
引退後、仙台でもつ鍋店を営む岡本真也(写真:ストライク・ゾーン)

今年の韓国KBOリーグが開幕して2ヶ月。約50試合を経過する中で、筆者はある選手の以前とは違う動きに目を奪われている。それはLGツインズの遊撃手、オ・ジファン(呉智煥、30)の守備での安定感だ。

そのことを日本人元投手に伝えたい

オ・ジファンは高卒2年目だった2010年にショートのレギュラーとして起用されて以後、活躍を続けているLGの看板選手。

打撃では16年に20本塁打をマークした長打力と、通算200盗塁に迫る走力を誇る。通算打率は2割6分台だが、記録には表れないここ一番でのビッグプレーを見せるのがオ・ジファンの魅力だ。

LGのスター選手、オ・ジファン(写真:LGツインズ)
LGのスター選手、オ・ジファン(写真:LGツインズ)

そのスター性は動きの多いポジションであるショートの守備でも発揮されてきた。一方でオ・ジファンは大事な場面での失策によって、試合の流れを変えてしまうことも多かった。そんな彼についたニックネームは「呉支配」。ジファンという名とゲームメーカーを意味する「支配」をもじった愛称で呼ばれている。

そのオ・ジファンの守備が今年は明らかにレベルアップしている。難しい打球や緊迫した場面でも、焦りや慌てた様子がないのだ。

筆者にはそのことを伝えたい人がいた。今から10年前、LGでクローザーを務めた岡本真也さん(45、以下敬称略)だ。なぜなら岡本はLG在籍当時、「オ・ジファンはハンドリングが雑」と嘆いていたからだ。

現在、宮城県仙台市の国分町で「うどん・もつ鍋也 真」を営んでいる岡本に「オ・ジファンの守備が上手くなった」と伝えると、開口一番、「ウソでしょ?」という驚きの声が返ってきた。

35歳の岡本が20歳の遊撃手に向けた助言

岡本はオ・ジファンのエラーをきっかけに負け投手になったことがある。

10年5月2日の対SKワイバーンズ戦(インチョン)。4-3でLGが1点リードの8回裏途中、LGの5番手投手としてマウンドに上がった岡本は、1死二塁で3番キム・ジェヒョンにショートゴロを打たせた。しかしショートのオ・ジファンは正面のゴロにバウンドが合わず落球。ボールを拾って一塁に投げるも間に合わず、LGのピンチは1死一、三塁に広がった。

岡本はその後、暴投とタイムリーで4-5とSKに1点のリードを許す。LGは9回表に5-5の同点にするも、9回裏も続投の岡本は伏兵のチョ・ドンファにサヨナラ弾を喫し、岡本は韓国10試合目の登板で初失点、初黒星を記録することになった。

LG当時の岡本真也(写真:ストライク・ゾーン)
LG当時の岡本真也(写真:ストライク・ゾーン)

当時、岡本は一度だけオ・ジファンにアドバイスをしたことがあるという。

「ボールは勝手にグラブの中には入ってこない。守備のスペシャリストの井端(弘和)はゴロがグラブに入るまで、“(不規則に)跳ねる、跳ねる、跳ねる”と思ってボールをギリギリまで見て、捕って投げているんだよ」

助っ人外国人投手の岡本が、15歳年下の内野手にわざわざ助言をするというのは、岡本によっぽど思うところがあったのだろう。加えてオ・ジファンは年長者が声を掛けたくなる雰囲気を醸し出していた。岡本は回想する。

「何でも、頑張り屋でしたね」

20歳だったオ・ジファンはすべてのプレーに全力で取り組み、エラーをすると一点を見つめ呆然と立ちつくしていた。決して悪びれた様子は見せず、「ミスをしても放っておけない」不思議な魅力を持つ若者だった。

2010年当時のオ・ジファン(写真:ストライク・ゾーン)
2010年当時のオ・ジファン(写真:ストライク・ゾーン)

10年を経て知る、元同僚の成長

岡本に今年のオ・ジファンの守備の映像を見てもらった。すると岡本は彼の顔つきを見て、「大人になったなぁ」とつぶやいた。オ・ジファンは30歳になった。

そしてオ・ジファンが三遊間へのゴロに軽やかな足さばきで追いつき、逆シングルでボールをグラブに収める姿を見て岡本は、「こういうプレーができるんだ。前だったらもうちょっと正面に入ろうとするか、捕るのが精一杯だったけど、足の運びがうまくなった」と感心した。

流れた10年の歳月。その間、岡本の人生もまた、変化していった。

ショートを守る現在のオ・ジファン(写真:LGツインズ)
ショートを守る現在のオ・ジファン(写真:LGツインズ)

中継ぎから抑え、そして引退へ

中日、西武で中継ぎ投手として活躍した岡本がLGで任されたのは抑え。岡本は4月を終わって1勝6セーブ。9戦連続無失点を続ける活躍を見せたことで、チームはポストシーズン進出ラインをキープしていた。

抑えといっても出番はリードした最終回1イニングに限らず、回またぎも多く、負担は大きかった。5月を過ぎると岡本は失点するケースが増え、チームも徐々に順位を落としていった。

「シーズン前半戦が終わったら、右ひじがすごく曲がっていました」と岡本は当時を振り返る。

そして、当時SKで打撃コーチを務めていた関川浩一・現ソフトバンクコーチに、後に岡本はこう明かされる。

「お前、クセがバレてたぞ」

「フォークの時は(右手を収めた)グラブが少し膨らんでいたみたいなんです。SKは僕が中日にいた時のアジアシリーズ(2007年)から、気がついていたそうです」

岡本は10年のシーズン、46試合に投げ、5勝3敗16セーブ1ホールド、防御率3.00という成績を残し、その年限りでLGを退団。翌11年、プロ入り当時の指揮官だった星野仙一監督が率いる楽天にテスト入団した。しかし1軍登板はなく11年のオフ、11年間の現役生活に終わりを告げた。

もつ鍋店店主としてピンチを迎えるも…

岡本が営むもつ鍋店は引退の翌年、12年7月にオープン。野球ファンや関係者も集う人気店だ。しかし他の飲食店同様に、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けた。

「4月は1日の売り上げが5,000円という日が、一週間から10日続きました」

厳しい状況を語る岡本。しかしその様子に悲壮感はない。現役時代、数々のピンチに直面してきたことで、少々のことでは動じなくなっているのだろうか。

見かけも10年前と変わりなく、実年齢よりも若い印象だ。

「若い子たちと一緒に働いているからじゃないですかね。バイトの大学生はオンライン授業のレポートの締め切りがあると言って電話しながら働いていて、『お前、仕事中だぞ』って言いましたよ」

岡本に注意される大学生、そしてオ・ジファン。今と10年前が重なるようで微笑ましかった。

2012年1月、引退記念トークライブでの岡本と筆者(写真:ストライク・ゾーン)
2012年1月、引退記念トークライブでの岡本と筆者(写真:ストライク・ゾーン)

◇岡本真也(おかもと・しんや)1974年10月21日京都府生まれ。社会人でプレーしていた00年、26歳の時にドラフト4位で中日に入団。04年には最優秀中継ぎ投手賞を獲得した。08年に西武に移籍。10年はLGでプレーし、11年に楽天入り。KBOリーグからNPBに復帰した初の日本人選手となった。NPBの通算成績は357試合登板、32勝19敗2セーブ92ホールド、防御率3.21。

「うどん・もつ鍋也 真」は仙台市地下鉄南北線、勾当台公園駅から徒歩3分。

韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表

2002年から韓国プロ野球の取材を行う「韓国プロ野球の伝え手」。編著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』(韓国野球委員会、韓国プロ野球選手協会承認)を04年から毎年発行し、取材成果や韓国球界とのつながりは日本の各球団や放送局でも反映されている。その活動範囲は番組出演、コーディネートと多岐に渡る。スポニチアネックスで連載、韓国では06年からスポーツ朝鮮で韓国語コラムを連載。ラジオ「室井昌也 ボクとあなたの好奇心」(FMコザ)出演中。新刊「沖縄のスーパー お買い物ガイドブック」。72年東京生まれ、日本大学芸術学部演劇学科中退。ストライク・ゾーン代表。KBOリーグ取材記者(スポーツ朝鮮所属)。

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