カープV戦士から韓国で悲劇のエースに 故・福士元投手を描いた映像作品を美大生が公開

武蔵野美術大生の卒業制作「玄界灘の落ち葉」のポスター(写真:ストライク・ゾーン)

今から40年前、広島東洋カープの2連覇に貢献し、のちにプロリーグ発足間もない韓国に渡った福士敬章投手(2005年に54歳で急逝)。

その福士さんをテーマにしたドキュメンタリー作品を武蔵野美術大学の造形学部映像学科の学生が作り、卒業制作「玄界灘の落ち葉」として学内で公開している。

韓国にプロ野球が誕生した1982年。当時の韓国球界はレベルアップのため、新浦壽夫投手(元巨人)ら日本でプレーする韓国にルーツのある選手たち(入団時、韓国籍ではない者を含む)を招いた。福士さんもその一人だ。

「チャン・ミョンブ(張明夫)」という登録名で福士さんが入団したのはサムミスーパースターズ。リーグ初年度、福士さんが加わる前年の勝率がわずか1割8分8厘という最下位の弱小チームだった。

1983年、当時100試合制だった同リーグで福士さんは60試合に登板。427回1/3という驚異的なイニング数を投げ、30勝16敗6セーブで最多勝のタイトルを獲得。防御率2.34を記録し孤軍奮闘の末、チームを3位に押し上げた。

2005年にイベントで再び集ったサムミのOBたち(写真:ストライク・ゾーン)
2005年にイベントで再び集ったサムミのOBたち(写真:ストライク・ゾーン)

福士さんを題材に選んだ韓国人留学生のイ・ヨンゴンさん(26)は福士さんが在籍したサムミの系譜を継ぐ、ヒョンデ球団の解体後に誕生したヒーローズ(現キウムヒーローズ)のファン。高校生の時に友人たちと野球談議をする中で、その時既に亡くなっていた福士さんの存在を知った。

イ・ヨンゴンさんは福士さんを「在日同胞としての悲劇でもあり、悲劇と喜劇が入り交じった本当にドラマチックな人生を送った人物」と感じ、深く興味を抱くようになった。

キャンパス内で福士投手の名前が入った特注のユニフォーム姿で作品について語るイ・ヨンゴンさん(写真:ストライク・ゾーン)
キャンパス内で福士投手の名前が入った特注のユニフォーム姿で作品について語るイ・ヨンゴンさん(写真:ストライク・ゾーン)

ドキュメンタリーでは現地の放送局による当時の試合中継や、福士さんのインタビュー映像。そしてイ・ヨンゴンさん自ら取材した元監督や記者、また福士さんとともに広島から韓国に渡り、苦楽をともにした木山英求さんらのインタビューで構成されている。作品では彼らの言葉が福士さんの生き様、人物像を浮かび上がらせていた。

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制作指導にあたった映像学科の石茂雄客員教授はイ・ヨンゴンさんと作品をこう評価した。

「彼は人間に興味がある。丁寧に取材をしないと背景や内面は描けないが、彼は日韓の関係や差別の問題なども創作しないで自然に収め、まとめてくれた」

また16日の制作展初日、作品を鑑賞した韓国への留学経験がある40代の男性は、「記録として貴重。福士さんらが韓国で果たした役割は大きいのに、日韓であまり知られていないし、どちらの国でも評価されていない。(この作品が)多くの人に見られればいい」と感想を話した。

イ・ヨンゴンさんは作品について、「みなさん今の日韓関係に思うことはあると思うけど、それは心の中に一旦収めてもらって、一人の選手がどういう生き方をしたのか、そこから我々が、今後の人生で何かを学べるか考えながら見ていただけると嬉しい」と語った。

加えて「野球が好きな方なら、日本ではあまり見たことのない試合の映像も含まれているのでその点でも楽しめると思う」とした。

卒業制作として作られた約60分のこの作品。イ・ヨンゴンさんは将来的に映像使用に関する許可を取り、韓国、そして日本で一般公開したいと考えている。

卒業・修了制作展が行われている武蔵野美術大学のキャンパス(写真:ストライク・ゾーン)
卒業・修了制作展が行われている武蔵野美術大学のキャンパス(写真:ストライク・ゾーン)

武蔵野美術大学の卒業・修了制作展は1月19日(日)まで東京・鷹の台キャンパスで開催。映像学科の五十余の作品は複数の教室に分かれて公開され、「玄界灘の落ち葉」は以下のスケジュール、教室で他の学生の2作品と同時上映されている。

1月17日(金)

・11:40~13:15 美術館ホール

・15:00~16:35 1号館103教室

1月18日(土)

・11:40~13:15 2号館206教室

・15:00~16:35 12号館201教室

1月19日(日)

・11:40~13:15 12号館201教室