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THE GOOD KIDSで海外でもできるようになったら面白い――原広明、大森はじめインタビュー

宗像明将音楽評論家
THE GOOD KIDS(撮影:冨田味我)

7月8日に下北沢クラブQueで開催されたTHE GOOD KIDSのデビュー・ライヴは、ソウルやファンクなどの強烈なグルーヴが渦巻くものだった。メンバーは、ヴォーカルとギターの原広明、ベースのtatsu(レピッシュ)、ドラムの茂木欣一(フィッシュマンズ、東京スカパラダイスオーケストラ)、パーカッションの大森はじめ(東京スカパラダイスオーケストラ)。そこにコーラスのWAY WAVE、キーボードの奥野真哉(ソウル・フラワー・ユニオン)が加わった編成だった。デビュー・ライヴだというのにチケットは早々にソールドアウト。長らく作曲家として活動してきた原広明にとっては、約20年ぶりにフロントマンとして歌ったライヴでもあった。

デビュー・ライヴの成功を受けて、10月29日には渋谷GRITで、ギターのフジイケンジ(The Birthday)、キーボードの松岡美弥子をゲストに迎えたライヴも予定されている。一度では終わらないバンドとなったTHE GOOD KIDSの今後の活動について、原広明と大森はじめに話を聞いた。ふたりは、1990年代にKINGBEESでともに活動していた仲間である。

2023年7月8日のデビュー・ライヴ(撮影:冨田味我)
2023年7月8日のデビュー・ライヴ(撮影:冨田味我)

単なるおじさんバンドになるのは嫌だった

――満員のデビュー・ライヴの感想はいかがでしたか?

大森:反省点は多々あるんですけれども、リハーサルの回数もそんなになかったのに、初めてのライヴとしてあそこまで持っていけて、すごくいいライヴになったと思います。初めてのメンツでやるので、どういう感じになるかも想像しかできないし、実際にやってみないとわからないところがあって。ライヴをやって今後の課題もできた感じですね。

原:やっぱり1回目だったんで、大森君と一緒でどうなるかわからないっていうのはあったんですけど、このバンドのイントロデュースはできたなって思いますね。反省点なんて、めちゃくちゃあります。ほぼ全部新曲を一挙にやるのは、初めての体験だったので、歌詞を覚えるのが大変でした。ダメな私のMCも(笑)、メンバーがどういう関係なのかを知って楽しんでもらおうっていうのが大きかったですね。

――しかも原さんにとっては、約20年ぶりのフロントマンでしたよね。

原:単発で歌ったりとかはしていたんですけど、本格的に歌ったのはThe 3PEACE(1997年~2002年に活動)以来なんで、「本当にできんのか?」みたいなところは自分でもずっとありました。でも、不思議と全然緊張しなかったんですよね。ずっとやっていたから体が覚えているっていうか。あと、メンバーが安心できる。大森君とは3年ぐらいKINGBEES(1985年~1995年に活動)でやっていたから、大森君がいてくれるとすごく安心するんですよ。95年ぐらいかな、僕が本当に音楽をやめようって思ったときに、吉祥寺の喫茶店で大森君に相談したんです。

大森:覚えてる。

原:大森君とザ・クロマニヨンズの(甲本)ヒロト君に相談してる。「絶対やめないほうがいい」って言ったんだよね、大森君。KINGBEESの「HARI HARI」という曲をすごく絶賛してくれて、「『HARI HARI』なんて言葉、誰にも書けない」とまで言ってくれて。どん底の僕は、ものすごく励まされたんです。そこから僕、スカパラを見ることを1年も休んでないと思いますよ。

大森:たしかに。一番知ってるもん。

原:しかも、一緒にバンドをやったことがあるのは大森君だけなんで安心感がある。大森君が視界に入っていると全然緊張しないんです。

――大森さんは、Queのような規模の会場でライヴをするのは久しぶりだったのでは?

大森:そうですね。奥野君や怒髪天の増子(直純)さんとかとやったのが最後だったんです(2005年12月30日の『K.O.G.A COVER NIGHT 2005』)。それもずいぶん前の話なんで、本当に久々です。

――スカパラだと、大きい会場ばかりじゃないですか。Queでライヴをするというのは、どんな感覚でした?

大森:でも、昔は本当によくやってた箱なんです。僕もスカパラに入るまでは、ずっとアマチュアが長かったんで。Queでやるのは、いろんなことを思い出しますね。そのころ必死だったんで。

原:ちょうどKINGBEESをやめてスカパラだもんね。

――1995年にスカパラのサポート・メンバーになって、1996年に正式加入ですよね。

大森:そうなんですよ。

――この間のライヴでは、大森さんがパーカッションだけではなく、歌ったりラップしたりもしていましたね。

大森:ラップは初めての経験なんで、すごく嬉しくて。「ラップやらない?」って原君に言われたときに、「俺、やりたい」っていう感じで。

原:今、新曲も大森君に歌ってもらう感じで作っているんです。僕、KINGBEESで大森君とずっと一緒にハモっていたのを、もう全部体が覚えてるんです。

大森:僕も覚えてますよ。KINGBEESでは、ほぼすべての曲でハモってますよね。

原:だからパーカッションっていうより、僕にとっては大森君はヴォーカリストなんですよ。WAY WAVEとの相性もいいし、歌に関してはフロントは4人みたいな感覚がありますね。

――デビュー・ライヴにして非常にグルーヴが濃い演奏でしたね。新バンドながらかなりの手応えもあったのではないでしょうか?

大森:WAY WAVEは今回初めてだったんですけど、欣ちゃんはスカパラでやってますし、tatsuとも他のセッショングループやっていて、奥野君もお仕事でやらさしていただいたことがあったんです。原君とはずっとKINGBEESでやってたので、ある意味、全員の音を知っているので、もう本当に安心しきってやってましたね。初めてのバンドなんだけど、想像がちゃんとつくミュージシャンで、安心してできるメンバーだったので、何も気にせずやりました。一番気になったのは、「原君って今どういう曲を書くのかな?」ということだったんですけど、このメンツだったら何をやっても大丈夫だろうとは思いました。

――今回、原さんのデモ音源を聴いて、どんな感想でしたか?

大森:KINGBEESからそうだったんですけど、「相変わらずいい曲書くな」って思いました。あんまり古くなかったのが、すごく嬉しくて。「原節」もちゃんとあるんだけど、最新の音もちゃんと入っていると思いました。このメンツだから、単なるおじさんバンドになるのは嫌だなと思って。

原:僕もそれはすごく意識してた。僕は手応えも何もなかったですね、無我夢中だったんで。もう緊張する暇もなかったんで。みんなライヴをいっぱいやってるけど、僕なんかもう10年以上ぶりでステージ立つわけじゃないですか。しかも、「JIMMY」っていう曲以外は全部歌詞は書き下ろしなんです。「HARI HARI」もラップにしちゃったんで、「なんで俺、ラップにしたんだろう」って思うぐらいでした。写経みたいです、写経。こんな受験勉強みたいにバンドの練習をしたのは初めてですね。だから、ライヴをやってても何も実感がないんですよ。MCも全然覚えてないんですよ。もう終わったときに「無」ですよ。ステージに立つときって、自分を空っぽにしたいんですよ、何かが入ってくるのを待つというか。自分の我で埋めちゃうと、あんまりいいライヴができないような気がして。実感が出たのは2日後ぐらいからですかね、Twitterでいろいろ感想を見て、こんなに盛りあがってたのかと。会場にいたのも、大森君や欣ちゃんのファンが多かったと思うけど、何が起こるのかわからなかったと思うんです。ただ、レピッシュのMAGUMIが来てくれて言ってたのは、「中盤ぐらいからお客さんがTHE GOOD KIDSに乗ってきてたのがわかった」って。

原広明(撮影:冨田味我)
原広明(撮影:冨田味我)

原君が音楽やめちゃったら嫌だなと思っていた

――1990年代、KINGBEESで一緒に活動していた当時のお互いの印象はどんなものでしたか?

大森:KINGBEESには、ドラムを叩いてた小島(徹也)に、「今こういうバンドでやってるんだけど、やらない?」って誘われたから入ったんです。92、93年ですね。一番最初の原君の印象は、本当にかっこよかったですよ。

原:本当に(笑)。

大森:本当。昔はスリムで、髪もパーマで大きくて。やっぱり若いから尖ってるんですけど、滲みでる優しさがあって。やっぱり男はみんな原君を好きになります。だから「原信者」が多いんですよ、すごく。

原:そんなの知らなかった(笑)。

大森:KINGBEESは、なんか舎弟みたいな人がうろちょろしてましたもん。謎の手伝いの人みたいな人が。原君は面倒見もよくて、下北のバンド界隈では、すごく頼れる兄貴みたいな存在だったんです。

原:それは初耳だよ(笑)。

大森:みんなそう思ってたよ。いまだに顔がすごく広くて、いろんな人と仲良しになるのが得意。当時は、ミュージシャンを目指している後輩は、本当によく慕ってた。僕もその頃は、本当に無我夢中でやっていて。とにかくパーカッションがうまくなりたくて、武者修行みたいに、いろんなバンドに顔を出していたんですね。いろいろやっていたら、やっぱり小島から「スカパラのメンバーが個人のバンドをやるから、そこでパーカッションやらない?」って誘われて、スカパラのマネジャーに「今スカパラ、パーカッションいないから、ちょっとサポートしてくれない?」って言われて、そこからスカパラに入ったんです。

原:一緒にハモるのがとにかく気持ち良かったんですよ。僕の中ではラッツ&スターみたいな。大森君、ピッチがすごいいいんです。

大森:ありがとうございます。

原:僕は自分の歌をあんまりうまいと思わないんですよ。tatsuに「存在感がある声」って言われるんですけど、あんまりピッチは自信なかったりするんで、大森君がいると安心するんです。僕からすると、大森君って毎年会ってるんです。欣ちゃんと今回、家が隣っていう偶然があったんですけど、大森君は欣ちゃんが入る前からスカパラにずっといるわけで。僕はスカパラ自体が好きなんですよ。

大森:ありがとうございます。

――原さんは、もともとはバンドマンだったけれど作曲家になるわけじゃないですか。そういう変化を大森さんはどう見ていましたか?

大森:KINGBEESの時代から、本当に作家として素晴らしいなと思っていたし、大好きだし、だから作曲家もなるべくしてなったんだなと思って。逆に良かったと思ったんですよ。The 3PEACEが終わってから、原君が音楽やめちゃったら嫌だなと思ってたんです。でも、自分の中では「また人前に立つバンドをやったらいいのにな」ってずっと思っていて。ライヴに来てくれたときに、「KINGBEESが復活するときにまたやらない?」って言われて、「おお、絶対やるよ」って言って、それを楽しみにしていたら、このTHE GOOD KIDSになったから良かったです。KINGBEESをやっても「ああ、懐かしいね」だけで終わっちゃっていたと思うんで。でも、THE GOOD KIDSは曲もどんどん増えて、安心しているところがありますね。

原:僕と大森君は安心する関係なのかもしれない。

大森:そうですね。お互いを見て安心する。

――大森さんは、原さんと茂木さんが新バンドをやるとなって、二つ返事でOKしたそうですね。

大森:やっぱり原君も、原君の曲も大好きなんですよ。また絶対やりたいなと思っていたんで。それに、またバンドをやってほしいと思ってたし。それでお声がかかったので、「それはやるよ」っていう感じですね。

原:僕は本当に恵まれてますね。あっ、玄関に人が来た。一瞬行っていいですか?

――どうぞ。大森さんからしたら、原さんがバンドマンじゃないともったいないな、という気持ちもありましたか?

大森:ありました。今、いないから褒めますけど、本当に当時すごくかっこよくて、憧れるアマチュアバンドマンだったんです。今、ちょっとおじさんになってしまいましたけど、でも一番強い武器が楽曲なんです。

原:(戻ってきて)なんか今おじさんってワードが聞こえたんですけど。

――何も言ってないですよ。

大森:何も言ってない(笑)。KINGBEESでやっていたときも、すごくカリスマ性のあるかっこいい男だったから、絶対に人を引きつけるものがあるんです。一作曲家としてやるのもすごくいいんですけど、歌声も大好きなので。

原:ありがとう。

大森:tatsuと同じ意見なんですけど、一回聴いたら忘れない歌声だし。だから歌ったほうがいいなと思うし、やっぱりバンドのほうがいいんですよね。ソロでやるというよりは。バンドのメンバーに助けてもらわないと暴走するときがあるんで。

原:たしかに、俺と欣ちゃんは危ういね。

大森:そうそう。思ったら、バーって行っちゃう。僕とtatsuが「まあまあ、もうちょっと冷静に」って。

原:だからバランスが取れているんですよ。それをいさめるWAY WAVEがいるんです。最終的に一番強いのはWAY WAVEですから。

――一番若い子たちにいさめられるという。

大森:そうですね。あと、一番若い子の感性をもらっとかないと、どんどん老けていくんで。

原:大事だよね。若い子に媚びないけど、一緒にやって一緒の目線でやる。

大森はじめ(撮影:冨田味我)
大森はじめ(撮影:冨田味我)

フジイケンジ(The Birthday)の参加も自然な人脈

――原さんは8月に沖縄でネーネーズと録音したそうですね。

原:何らかの形ではTHE GOOD KIDSに還元したいって思っています。偶然、ネーネーズとコンタクトが取れたので、ダメ元でレコーディングをお願いしたらOKが出たんです。この音源をどういうタイミングでどういうふうにして出すかは、今から考えるっていう感じですね。

――他のメンバーのみなさんはレコード会社の契約がありますもんね。

原:ひとつの手としては、音源は僕の名義で、ミュージシャンをフィーチャリングして出して、ライヴはTHE GOOD KIDSでやると。ライヴでしか体験できない音として、逆にレア度も上がりますし。

――10月29日渋谷GRITでのライヴは、The Birthdayのギターのフジイケンジさんも参加しますが、フジイさんはどういう経緯で参加することになったんですか?

原:ケンジは、最初にTHE GOOD KIDSのギターで声をかけてるんです。ギターを探して、最終的には途中で大森君にまでギターを相談した。

大森:「やらない?」って言われて。

原:そうそう、「大森君、パーカッションじゃなくてギターでやらない?」って。そのときも俺と欣ちゃんが「いいじゃん」って。

大森:僕も「やるんだったらやるよ」って言ったんだけど、一番冷静なtatsuが「それはやめよう」って言って。良かったです、ちゃんと冷静な人がいて。

原:ケンジは、今年はThe Birthdayのツアーでスケジュールが埋まってるし、サポートもやっているんで。でも、今回いろいろ発表された情報の手違いもあって、「どうしよう?」みたいなことを考えたときに、ケンジにゲストで出てもらうのはどうかなと考えたんですね。それで久しぶりに電話して話したら、The Birthdayのチバ(ユウスケ)君が今、入院していてスケジュールが空いていて、励ましたいなと思って。ちょっとおこがましいですけど。KINGBEESのとき、ケンジがゲストで一回出てるんです。だから、すごく大きなことっていうよりも、これもバンド人生の自然な人脈ですね。たまたまみんな音楽をちゃんと続けていたというのが共通点ですね、うちのメンバーも含めて。

――そうなると、10月29日の2回目のワンマンライヴはどんなライヴにしたいでしょうか?

大森:この間のQueの1回目のライヴを踏まえて、さらに多くのお客さんに知ってもらいたいですね。まだ1回目しかやってないので、まだバンドの色みたいなものが明確にガンとできているわけじゃないと思うので、ちゃんと骨格を作って2回目に挑みたいなと思っていますね。ダンス・ミュージックの要素も強いので、お客さんにも踊ってもらいたいし、聴かせるところはちゃんと聴かせたいですね。そういうところもうまくバランスを取っていきたいです。原君ともライヴが終わった後に、「こういう曲が欲しいよね」と話したんです。「僕たちのバンドはこういう感じですよ」というものを作って、今度のライヴに挑めたらなと思います。

原:1回目はとにかく無我夢中でやって、見た人に感想を聞いて回りましたね。ビデオを見て「ここ、歌詞飛んでるじゃん」とか「あんなに練習したのに、ギター間違えてるじゃん」とか、めっちゃくちゃあるんですけど、そういう細かいことじゃないんですよね。ライヴって、やっぱり空気を作れたか作れないかが重要だと思っていて。全部きちんときれいにやって、「はい、できましたけど、つまんなかった」っていうライヴよりは、「いろいろあったけど、楽しかったから絶対また見たい」っていうほうがいいライヴだと思うんです。ライヴだけはたくさん見ている自信があるんで。だから、ライヴバンドとしての魅力をさらに増強して、期待を裏切らないようにやりたいですね。あと、2回目に限らないんですけど、僕は海外でもやりたいんですよね。The 3PEACEは海外ばっかり行っていたし、スカパラもメキシコに行ったり、海外で鍛えられてるメンツだと思うんですよ。なんか本番に強いと思うんです、僕は海外でずいぶん度胸をつけられたんで。THE GOOD KIDSも海外でもできるようになったら面白いなって考えてます。

THE GOOD KIDS 2nd live!

2023年10月29日(日)GRIT at Shibuya

「THE GOOD KIDS 2nd live!」

https://eplus.jp/sf/detail/3907460001-P0030001

ゲスト フジイケンジ(The Birthday)、松岡美弥子(key)

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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