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いくつになっても新しいことはできる――THE GOOD KIDSの原広明、tatsuインタビュー

宗像明将音楽評論家
左からtatsu、原広明、茂木欣一、大森はじめ(THE GOOD KIDS提供)

2023年3月8日、原広明を中心とする新バンド・THE GOOD KIDSの結成が発表された。ベースはtatsu(レピッシュ)、ドラムは茂木欣一(フィッシュマンズ、東京スカパラダイスオーケストラ)、パーカッションは大森はじめ(東京スカパラダイスオーケストラ)という錚々たる面々。コーラスにはWAY WAVE、DJには8ronixが参加することもアナウンスされ、さらに7月8日の下北沢クラブQueでのデビュー・ライヴには、キーボードで奥野真哉(ソウル・フラワー・ユニオン)が参加することも追加発表された。

このバンドでヴォーカルを担当する原は、KINGBEES(1985年~1995年に活動)やThe 3peace(1997年~2002年に活動)といったバンドを経て、近年は作曲家として活動。2005年のAAAの「きれいな空」、2007年の東方神起の「Together」、2017年の乃木坂46の「まあいいか?」(HRK名義)など、J-POPのメインストリームで活躍してきた。

その原が、50代の今、なぜまたバンドを組もうとしたのだろうか? 原とtatsuに、THE GOOD KIDSのメンバーたちのそもそもの出会いから話を聞くことにした。

原広明とtatsuの出会いは明治大学

――原さんとtatsuさんは、いつ頃からの付き合いなんですか?

tatsu:僕が18歳で、原さんは大学の先輩で。

原:僕は19歳だったな。明治大学で、僕がLM研というサークルに入っていまして、そこに梶君(梶原徹也。THE BLUE HEARTSを経て、原とThe 3peaceでともに活動した)もいて、KINGBEESの初代ドラマーだったんです。

tatsu:原さんはLM研で、レピッシュはポップ研で、部室が隣だったんです。

原:僕は、tatsuが入る前からレピッシュは知ってるんです。

tatsu:先代のベーシストが卒業で辞めちゃうっていうんで、僕は後から入って。その前からKINGBEESとレピッシュは、お互い一目置くような存在で。

原:うちらの練習時間が18 時から20時で、レピッシュも同じ時間にやっていて、終わると出くわすんですよ。一緒によく喫茶店に行くような仲になって。

tatsu:僕は1年生でレピッシュに入って、2年生のときにもうデビューしてたのかな。KINGBEESは初期はビードバンドだったけど、音楽性もガラッと変化していって、ファンクやソウルをやりだしたり、早くからラップを取り入れたりしてたのを見てたんです。

原:よく覚えてるね(笑)。

――今回は原さんと、スカパラやフィッシュマンズで活動する茂木さんが再会したところからバンドがスタートしたそうですね。

原:KINGBEESがファンクっぽくなってからは、レゲエっぽいフィッシュマンズとよく一緒にライヴをやってたんです。あの時代ってビートバンドが多かったんで、横ノリが珍しかったんです。今回デザイナーをやってくれてる小嶋(謙介)も初代のフィッシュマンズのギターで、しょっちゅう遊んでたんです。スカパラの大森君も、もともとKINGBEESなんです。それで去年、スカパラを見にいくときに、大森君だけじゃなくて、たまには欣ちゃんに声を掛けてみようと思って。それをきっかけに「一緒にパーティーをしようよ!」となったんです。それから1か月ぐらいしてからかな、朝5時頃ボーッとしてたときに、「本当に自分のやりたいことはなんだろう?」って考えたんです。僕はずっと作曲だと思ってたんですけど、「ラップ」って降ってきたんです。自分でも「は?」って思って。ただ、作曲家は詞を書かないですよね。The 3peaceのときは言いたいことをガンガン言ってたわけなんです。コロナやウクライナのこともある時代になって、思うこともいっぱいあったときにそう感じたので、「やるならバンドかな」ってなんとなく思ったんです。それで欣ちゃんに気軽な感じで声を掛けたら、速攻で「やる」と言ってくれて。ベースはtatsuにしたくて、大森君はKINGBEESだったから僕から声を掛けて。そのタイミングで、ヤフオクでフェンダーのジョー・ストラマー・モデルが出てるのを見て、驚いて次の日に落札して、僕がギターを弾くことにして。いろいろ偶然が重なったんです。

tatsu:欣ちゃんと大森君がいるっていうから、僕は「ええっ!? どうやって口説いたの?」みたいな。忙しいスカパラが動くのは、すごく難しいので。

原:欣ちゃんはフィッシュマンズもやってるしね。

tatsu: So many tearsもやってるし、その欣ちゃんが乗り気っていうのはいい兆候ですよね。

――tatsuさんは、原さんから誘われて二つ返事でOKを?

tatsu:もちろんです。もう先輩ですから。原さんが留年したんで、途中で後輩になりましたけど(笑)。

原:先輩パワーを使ってるわけじゃないですよ(笑)。

――みんな古い付き合いなんですね。コーラスのWAY WAVEとは、どういう出会いだったんですか?

原:ライヴハウスに行ったとき、お目当ての前に出てきたのがWAY WAVEで、いきなりスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」で出てきて、ふたり歌もすごくて。その日、スティービー・ワンダーの「Don't You Worry 'bout a Thing」をやったんですけど、めっちゃ歌いこなしてて。スタッフさんと話すために、生まれて初めてチェキを買ったんです。

tatsu:写真を撮ったんだ(笑)。

原:写真を買ったの。話すために(笑)。

THE GOOD KIDS。左上から時計回りに茂木欣一、tatsu、原広明、WAY WAVE、大森はじめ(THE GOOD KIDS提供)
THE GOOD KIDS。左上から時計回りに茂木欣一、tatsu、原広明、WAY WAVE、大森はじめ(THE GOOD KIDS提供)

「自由」というのが自分にとってのヒップホップ

――さっきラップの話題が出てきましたが、原さんが影響を受けたヒップホップのアーティストは誰なんですか?

原:20歳ぐらいからパブリック・エナミーが来たら絶対見てました。あとはネイティヴ・タンの人たちですよね、ア・トライブ・コ-ルド・クエストやデ・ラ・ソウルとか。アレステッド・ディベロップメントも好きでした。最近はケンドリック・ラマーがずば抜けて好きです。

――小嶋さんがデザインしたアーティスト写真も、デ・ラ・ソウルの『3 Feet High and Rising』のオマージュになっていますね。

原:そうそう(笑)。今回のバンドも、実は最初、僕がサンプリングをけっこう入れてたんですよ。崎

――原さんからいただいたデモ音源も、大胆にサンプリングをしていましたよね。沖縄民謡だったり、井上陽水の「東へ西へ」だったり、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」だったり。

原:一回サンプリングで作って、そのサンプリングを全部抜いて、バンドで再現するのが面白いかなって。僕は同期を使うのも初めてなんで、それでどこまでグルーヴを出せるか、すごく楽しみです。

――AAAの「きれいな空」のセルフ・カヴァーもするそうですね。

原:「きれいな空」は、トラックも作ってあって、いい感じに昔のハウスみたいな感じです。

――そのAAAの「きれいな空」以降は、原さんはずっと作曲家生活が続いてきましたよね。振り返ってみてどんなものでしたか?

原:孤独ですよ。ひたすらメンタルがやられる仕事ですよ(笑)。コンペに出しても出しても、何も反応ないですから。毎週2曲出して、「悪い」っていう反応もないですから。去年は、もう頭がおかしくなるんじゃないかっていうぐらい締切りがあって。「5日で新曲を作るなんて、もう絶対無理だろう」って思って。でも、「俺、やれるんだ」ってわかったので、逆に感謝してるんですよね。すごく鍛えられたんです。

tatsu:今回、最初のリハから全曲が揃ってましたから。

原:こっちは自由に自分のやりたいことができるわけですから。

――でも、自分でバンドを動かすとなったら、すごくエネルギーを使うんじゃないですか?

原:そう思ったんです。最初は曲もないのにメンバーに声を掛けちゃって。

tatsu:あの時点では曲はなかった?

原:なかった。

tatsu:すごいですね。

原:やりたいことはあったんだけど、曲がない。しかも、ラップっぽいことはThe 3peaceでやってましたけど、それこそ10年以上ぶりだし。最初は自分で聴いて、「だっせえな、俺、これでやれるのかな」って不安が一番大きくて。でも、「関係ない」ってどっかで吹っ切れたんですよね。「言いたいことあるから、もうやろう」って思って。そうしたら、吹っ切れた瞬間にどんどんアイデアが浮かんできて、メンバーの顔も想像して、「じゃあここはこう演奏して」と考えたり。メンバーに恵まれたっていうことがでかいですね。梶君によく言われてたけど、「バンドマジック」がでかくて、ひとりでは曲ができてないと思いますね。

――tatsuさんから見て、原さんはどんなミュージシャンでしょう?

tatsu:KINGBEESがビートバンドからソウル、ファンクに行った時期が一番よく見てた頃で、代々木のチョコレートシティや下北沢の屋根裏によく見に行ってて。僕もファンクに一番ハマってた時期で、それを目の前でやってるバンドで、とにかくすごくかっこ良かったんです。昔からずっと好きなミュージシャンのひとりではあって、The 3peaceもやったりして方向性は変わるんだけど、原さんのパッションやエネルギーはすごいと思っていて、そこに引っ張られた感じですね。

――原さんは、今回の結成にあたって「グルーヴ」というキーワードを挙げていましたね。

原:バンドのグルーヴですね。ラップっていう縛りを一個決めちゃえば、逆に自由になれると思ったんです。どんなジャンルをやっても、僕の中でのヒップホップが核としてあるんですよね。別に韻を踏むのがヒップホップだと思わないし、言いたいことを言う、自由っていうのが、僕にとっての一番のヒップホップで。僕は好きなジャンルを特に決められなくて、「ひとつ言え」って言われたら、ヒップホップとしか言いようがないので、その自由さを、このバンドでできたらなと思います。

tatsu:バンドって、作曲者や中心人物がいて、その人が全部コントロールしたとしても、メンバーがデモをどう解釈するかによって変わるから、そこはやっぱりコンポーザーはコントロールし切れないところですよね。それはひとつのバンドマジックだと思うんです。特に大森君や欣ちゃんは、Go-Go King Recordersっていうバンドで堂島孝平君と一緒にやっていたことがあるんですけど、とにかくデモからどんどん離れていくし、もう全然自由にやっちゃうし、自由にできちゃう人なんです。今回の僕らの距離感や個性で、ここからまたいろんなことが変わっていくと思います。だからWAY WAVEがどれだけ化けるかは楽しみです、ポテンシャルがすごくあるので。

初期衝動でやった結果、それが新しいものになればいい

――THE GOOD KIDS は、7月8日にデビュー・ライヴがありますが、それ以降も活動する予定なんでしょうか?

原:僕はやりたいですけどね。

tatsu:スカパラのスケジュールがあるから。

原:でも、スカパラのふたりも、スケジュールさえ合えば全然やるって言ってくれてます。

――ゆくゆくはアルバムも?

原:作りたいですね、もちろん。

――先々までの話は、特にメンバー間ではしてないんですか?

原:今は特に話してないですね。スケジュールが忙しくて。特にスカパラ勢ですよね。今朝も「スッキリ」に出てて、今週メキシコに行くんでしょう?(※インタビューは3月中旬)

――でも、原さんのためだったら参加してくれるわけですね。

原:いや、そういうわけじゃなくて、tatsuも含めてみんな、スカパラじゃない、レピッシュでもない新しいことを楽しんでくれてるんじゃないかな。

――原さんは、ライヴをするのは何年ぶりなんですか?

原:ライヴ自体は、6年前にSUPER BADのドラムの遠藤(典宏)さんが亡くなったときに1曲だけ歌ったり。その前にはtatsuと梶君と一回だけThe 3peaceの曲をやっていて。

tatsu:今回は全部新曲で、お客さんも知らない。誰が来るかもわからないし。

原:僕は「思い出す」っていう作業をやりたくないんです。昔の音源を引っ張り出して歌詞を思い出すとか、全然興味がなくて、やっぱり今やるべきことをやりたいっていうのが一番大きかったですね。あとは、もういい歳ですけど、別にいくつになったって新しいことはできる。みんな自分でリミッターをかけるじゃないですか、「この歳になったら再結成」とか、そういうのに走るじゃないですか。でも、新しいことができるんだったらやればいいですよね。僕は、今年80歳のポール・マッカートニーに、僕の生涯ベスト1のライヴを見せられて、すごく励まされました。

――THE GOOD KIDSのメンバーは全員50代だけど、50代でも新しいことはできるんだと。

原:やっぱり今って訃報もすごく多いじゃないですか。それこそ現ちゃん(上田現/レピッシュ)も佐藤ちゃん(佐藤伸治/フィッシュマンズ)も亡くなっていて。今でも音楽やりたかったかもしれないけど、できなかった人たちが多いじゃないですか。鮎川誠さんもそうだし。僕は生かされてるわけですから、やんないわけがないんですよね。それだけで幸せだし、恵まれてると思うし。実際、「あ、できるんだ」って言ってくれる人がいたんです。音楽に関係ない人から、「励まされました」みたいに言われるんです。

tatsu:初期衝動があってやった結果、それが新しいことになっていればいいだけであって。「新しい音楽を発明しよう」みたいなものも、この時代はないので。すべてフラットになってるし、もう機械的な進化はほぼ打ち止めになってると思うんです。逆にもう今はレイドバックしてるし、グルグル何周も回ってる状態なので、やっぱりやる人間のモチベーションのフレッシュさっていうのが一番強いんだと思いますね。

――デモ音源を聴いてアフリカを連想した曲もありましたし、原さんからワールドミュージックの要素が出てくるといいなと期待しています。

tatsu:それは僕も期待ですね。

原:でも、「じゃあ、うちらにとってのトラディショナルなものってなんだ?」となったときに「ない」となる。tatsuは、宮沢和史さんと、それこそ世界を旅するような音楽をやってたわけでしょう? サンバから沖縄から。

tatsu:山梨県出身のミュージシャンが、沖縄とブラジルを背負って、世界中を回るというかなり不思議な活動を(笑)。

原:面白いのは、THE GOOD KIDSの4人って、全員メキシコでライヴをやってるんです。なかなかいないんじゃないですか。

――そうなるとチカーノっぽくなるかもしれない?

原:そこは安易に手を出さない。

tatsu:そうなんですよ。クンビアは手を出さないですね。

原:クンビアは実は注目してるんだけど。

tatsu:やっぱりへたにはできない。

原:その辺に関して僕の一番の原体験は、高校1年のときに、喜納昌吉さんをひとりで見にいったことなんです。そしたら、喜納昌吉さんが1曲歌ったら引っこんじゃったんです。「勝手にやってください」とか言って。頭にきて、僕が『BLOOD LINE』のLPとマジック持ったまんま、楽屋にひとりで乗りこんだんです。「喜納さん、なんですか、今日のライヴは!」って怒ったんですよ。喜納さんは僕の目をずっと見て、「君はいい目をしてるね」って言って。僕は「将来、喜納さんみたいな音楽をやりたいと思ってるんです」って言ったら、「君はどこの人ですか?」って言われたんです。「東京です」って言ったら、「じゃあ、東京の音楽やりなさい」って言われて。それで安易に沖縄の音楽はできないなって。やっぱり歴史とかいろいろわかったうえでないと、手を出せない感覚はありますね。でも、ヒップホップをわかっているのかって言われたら、わかってないかもしれないし。基本的に好きな音楽をやればいいんですけどね。

tatsu:そうなんです。それで最終的に後からいろいろ勉強してもいいし。勘違いがまた新しいリズムを生み出すこともあるし。

原:でも、ワールドミュージックは、ここから先のひとつのキーワードにはなると思いますね。

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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