Yahoo!ニュース

チーターズに92失点のサンウルブズ、次の試合にどう勝つか。【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
2月27日の開幕節があった秩父宮。オレンジのジャージィが人々の期待を背負う。(写真:ロイター/アフロ)

国際リーグのスーパーラグビーへ日本から初参戦するサンウルブズが、試合のなかった第2節を挟んで開幕7連敗を喫した。特に現地時間で2016年4月15日の第8節で、記録的な大敗を喫した。南アフリカはブルームフォンティンのフリーステイト・スタジアムで、ホームのチーターズに17―92で屈したのである。

この地には因縁があった。4年に1度おこなわれるワールドカップの1995年の南アフリカ大会で、日本代表が現世界ランク1位のニュージーランド代表に17-145でやられていたのだ。出場選手の1人で、2013年冬に42歳で現役を引退した東芝の松田努は、当時をこう振り返ったことがある。

「試合中、恥ずかしくて仕方がなかった。『こんな点差が開いて、まだ前半?』と。もちろんトライされるたびにこうしよう、こうしよう、と言い合っていたんですけど……」

この一件はしばし、列島のラグビー人気凋落の要因とされた。そのため今度のサンウルブズの敗戦は、早くも「ブルームフォンティンの悲劇再来」と報じられた。

試合後の堀江翔太キャプテンは、淡々と声を絞る。

「また来週も試合があるんで、チーム一丸となってしっかり建て直したい」

前日に起った熊本での大地震を受けて「毎試合、毎試合、何とか思いを伝えられるラグビーをしたいです」とも続けた堀江は、2015年のイングランド大会の日本代表として、過去優勝2回(そのうち1回は1995年)の南アフリカ代表を破ったメンバーの1人でもある。

チームの初顔合わせは開幕から約4週間前だ。短い準備期間を強いられながらも、「自分にベクトル向けな、しゃあない」。首脳陣の打ち出す戦術を5人のストラテジーグループで理解し合い、開幕前には「強みは皆が戦術を理解しているところ」と胸を張れるまでになっていた。前にチーターズとぶつかったシンガポール・ナショナルスタジアムでの第3節(3月12日)は、31―32と競っていた。

ではサンウルブズは、なぜ今回はそのような大敗を喫したのか。次、もしくは次以降の試合でどう戦えばいいのか。

大敗の背景

まず、両チームにとっての第8節の位置づけはどんなものだったか。

サンウルブズにとっては、シンガポール、南アフリカで計4試合をおこなう長期ツアーのラストゲームだった。

急造チームとあって選手層を不安視されていたクラブにあって、プロップの稲垣啓太、ロックの真壁伸弥、ウイングの山田章仁といったイングランド大会の日本代表が故障離脱を余儀なくされた。

ストーマーズとぶつかった第7節(DHL・ニューランズ・スタジアムで19―49と敗戦)ではコンディション調整のためか出場のなかったスタンドオフのトゥシ・ピシ、センターの立川理道が揃って復帰も、各選手の蓄積疲労が心配されていた。

一方、ここまで1勝5敗だったチーターズにとっては、試合のなかった前節を経て迎えたホームゲームだった。

第3節でのサンウルブズとの直接対決では、15点ビハインドで迎えたハーフタイムからリザーブに座らせていた主力選手を相次ぎ投入。逆転勝利にこぎつけている。

休養明けの必勝態勢で臨んだであろう今回は、第2節で後半から登場したレギュラーフロントロー陣に加え、当時の遠征に帯同しなかった南アフリカ代表ロックのルード・デヤハーらベストメンバーを揃えた。

実際に試合が始まれば、両チームの背景があからさまに発露されていた。

ボール保持率を表すポゼッションの値はサンウルブズが49パーセントでチーターズが51パーセントとほぼ互角だった。それでも大量点差が開いた背景にはまず、サンウルブズの1人ひとりの動作にあった。

走って各定位置に散る際の手足の振りの大きさ、攻防の最前線に突っかかる際の姿勢の高さ。堀江は後に「疲れもあったと思うけど、言い訳はできない」と話しているが…。

3-7と4点差を追う、まだ前半9分のことである。

フルバックのリアン・フィルヨーンのカウンターを皮切りに敵陣10メートルエリア右から左へ展開も、ピシからパスを受けたフランカーのトーマス・レオナルディがデヤハーら2人のタックラーに抱え込まれて球出しが遅れる。

サンウルブズはロックの大野均曰く「(ボール保持者への)早いサポート」が生命線だったが、この時は2つめのフェーズでそれが叶わなかった。

そして、3フェーズ目。

一気にテンポを上げるべく、ピシが左にいたウイングのパエア・ミフィポセチに球を回す。

が、その軌道へ、相手のインサイドセンターでキャプテンのフランソワ・フェンターが駆け込んでいた。インターセプト。そのまま加点された。3-14。

続く14分には、敵陣深い位置での攻撃からピシがゴロキックを試みるも相手に拾われる。ここからビッグゲインを許し、左、右と振られてフランカーのウゼアー・カシームのトライを許した。3-21。

守っても17分、センタースクラムを押し込まれるとその右側のスペースを破られる。さらに左にいくつかパスを繋げられ、デヤハーの突進をきっかけに今度は右を侵略される。

その頃には守備網は整備されておらず、折り返しのパスに反応したウイングのレイモンド・ルールにインゴールを割られた。3-28。立て続けに前進を許す過程で、ランナーを追いかけてタックルに走るサンウルブズのジャージィは皆無だったか。

攻防の起点、セットプレーでも苦しんだ。

スクラムでは、角度をつけたいわゆる「内組み」に手を焼いた。

チーターズの右プロップ勢は、中央で組むフッカーの堀江のいる「内側」の方角へ頭をねじ込み、左プロップの三上正貴を塊の外へ弾き出す。3対3で組み合う最前列の競り合いを実質的に3対2ににしたまま、好き放題に押し込んだ。

極端な角度をつけた組み方は反則を取られがちだが、その判定はあくまでレフリーの見立てに委ねられる。

開幕からサンウルブズが苦戦する空中戦のラインアウトでは、序盤のようなサインミスこそ減った。しかし、飛び上がって捕球するという基本的なスキルでエラーがあった。

痛かったのは、前半31分頃の1本か。

ナンバーエイトのエドワード・カークが密集の球へ絡みつき、チーターズのノット・リリース・ザ・ボール(球を手離さない反則)を誘う。直後のプレー選択機会で敵陣深い位置左でのラインアウトを獲得も、レオナルディが楕円の宝を叩き落としてしまう。

1分後には、攻守逆転したチーターズのウイング、セルジール・ピーターセン(跳躍力と走力を示したこの午後、4トライ!)が逆側のインゴールへ駆け抜けていた。ハーフタイムのスコアは3-45となった。

体調と頭を整える

サンルブズは日本時間の4月17日夜に帰国する。休む間もなく23日、東京は秩父宮ラグビー場での第9節に臨む。相手のジャガーズは、世界4強のアルゼンチン代表に相当する。ここまでわずか1勝と苦しむが、1人ひとりのタックルの強さなどでゲームの質を保っている。強敵だ。

サンウルブズにとっては、大敗直後の強敵とのホームゲーム。最良の準備こそが望まれる。

まずはコンディショニングだ。

突進力とタックル後の素早い起き上がりで組織を円滑にした稲垣、相手が複数人で絡む密集へたった1人で応戦できる真壁、大声が飛び交うなかあえてささやくことでチャンスボールを得られる山田と、復帰して欲しくてもすぐに復帰してもらえない選手は少なくない。

もっとも、残された選手のうちベストのメンバーがベストな体調でグラウンドに出られることこそ、勝負の土俵に上がる最低条件となろう。予算の関係上、サンウルブズにはコンディショニングに関わるスタッフの数が多くない。コーチ陣との連携で練習量をコントロールするなど、オーダーメイドでの管理も必要となるかもしれない。

セットプレーは、サンウルブズにとっての「基本」の再確認が必須か。

シーズンが中盤に差し掛かった頃、左プロップの三上が「いままでは敵がどうこう以前に、プレッシャーを受けた時に自分たちの姿勢(すなわち、基本の形)が崩れてしまっている」とスクラムの課題を語っていた。裏を返せば、自分たちなりの「基本」はあるのである。

もちろん、相手の分析も不可欠だ。

当事者にとってこの比較はうんざりだろうが、イングランド大会の日本代表は執拗なスカウティングでも光っていた。サンウルブズには、関西地区の大学で実績のあるクリス・ミルステッドが分析担当となっている。第2節で3トライを挙げた山田は、自らがトライを挙げたワイドな展開攻撃の背景を「スタッフの方から、そこ(ボールのある地点の逆サイド)が弱いという話があった」と語っている。

例えば、ジャガーズはどんどんボールを繋ぐ意図からか、相手のタックルに差し込まれたところで無理にボールを放り投げようとする。そうした傾向を踏まえ、スピリチュアルリーダーであるフッカーのアグスティン・クレービーキャプテンらキーマンの癖を見抜き、ボール奪取と得点へのロードマップを共有する…。そうしたプランニングの内容こそがチームの色を表し、相手にとってのストレスを生む。

もし接戦に持ち込めば、当日のベンチワークも勝敗を左右するファクターとなりうる。先のチーターズ戦、リザーブのロックであるファアティンガ・レマルを登場させる際、退いたのはデヤハーに締め上げられていたリアキ・モリではなく、倒れては起きてを繰り返した大野だった。もしかしたら、かねてチーム内で共有していた交代策だったかもしれない。

ただ、クロスゲームで真に求められるタクトは、事前のプランニングとアドリブの総和である。

アリスター・クッツェー。このほど南アフリカ代表ヘッドコーチに就任した2012年の同国協会選定年間最優秀コーチ賞受賞者は、2015年度に率いた神戸製鋼での職務中に「(選手交代は)その場で事前の予定と違ったことをする場合もある」といった内容の話していた。

泥にまみれても

もっとも、以上の項目はプロクラブにとっては釈迦に説法だろう。むしろ、常人が想像しえない改善策を打ち出せていればそれに越したことはない。少なくとも、ラグビーが好きでラグビーの仕事をしている人たちが、そう簡単に誇りを失うわけはあるまい。

2012年10月。日本人初のスーパーラグビープレーヤーとなった田中史朗は、契約が決まった瞬間について語るテレビインタビュー中に涙を流している。「気持ち悪いですよね、すみません…」と言葉を失った。2014年に同リーグへの日本チームの参画が決まった頃は、「1年で結果を出せなければ出されたり(除外されたり)する」「(自分の加入に関わらず)世界と対等に戦えるチームを作って」とあるべき方向性について語っていた。

田中と同時期にスーパーラグビーデビューを果たした堀江は、「日本にスーパーラグビーのチームがあったら子どもたちにも憧れを持ってもらえる」と喜んだものだ。選手が揃わず消滅の危機に瀕した2015年夏には、他クラブのオファーを蹴って率先して契約。ここでミソがつけば、後進の世界挑戦へのハードルが高くなると感じたからだ。

サンウルブズが歴史的な1歩を踏み出す前段階で、すでにこのような歴史がある。来週末はきっと、きっと、泥にまみれても誇りと職業倫理を失わぬ人間がグラウンドに立つはずだ。そうでなくてはいけない。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

すぐ人に話したくなるラグビー余話

税込550円/月初月無料投稿頻度:週1回程度(不定期)

有力選手やコーチのエピソードから、知る人ぞ知るあの人のインタビューまで。「ラグビーが好きでよかった」と思える話を伝えます。仕事や学業に置き換えられる話もある、かもしれません。もちろん、いわゆる「書くべきこと」からも逃げません。

※すでに購入済みの方はログインしてください。

※ご購入や初月無料の適用には条件がございます。購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。

向風見也の最近の記事