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チーフス先発の山下裕史、ワールドカップで「日本代表はそんなに強うない」と?【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
穏やかな笑顔。芝に立てば激しいタックルとスクラムで魅せる。(写真:アフロ)

昨秋のラグビーワールドカップイングランド大会で日本代表が歴史的3勝を挙げたとあって、同国出身選手の海外進出が相次いでいる。

今季、世界最高クラスのリーグ戦であるスーパーラグビーに初挑戦するのは山下裕史である。京都産業大学を経て神戸製鋼入りした身長183センチ、体重120キロの30歳だ。スクラム(大男が8対8で組み、押し合うすプレーの起点)を最前列で組み合う、右プロップのポジションを務める。

同ポジションに故障者が続いたニュージーランドのチーフスに加入し、開幕から2戦連続で先発出場中だ。いまは得意のスクラムで苦しむなど、洗礼を浴びている。それでも首脳陣からの評価は、低くないとされる。同僚で、イングランド大会時のジャパンのキャプテンだったリーチ マイケルとの共演が期待されている。

外国人に見劣りせぬ体格を誇り、国際間の真剣勝負にあたるテストマッチに49試合、出場してきた。4年に1度のワールドカップはイングランドで初体験し、過去優勝2回の南アフリカ代表を34-32で破った9月19日の予選プールB初戦(ブライトン・コミュニティースタジアム)では後半13分からグラウンドに立っていた。ジャパンにとって、大会24年ぶりの白星を得た。

1月上旬、神戸市内で単独取材に応じた。議題はワールドカップとその前の直前合宿についてだが、世界における日本の立ち位置や当時の日本代表の特異性を示唆する内容となっている。

以下、一問一答(の一部)。

――あの南アフリカ代表戦。ベンチで観ていて、どう感じましたか。

「通用しているなとは思いました。やはり試合をする前は、『身長2メートル、体重100キロ』みたいな数値でしか相手のことがわからない。でも実際にやってみたら、ラインアウト(タッチライン際での空中戦)もキープできたし、スクラムでもボールを出せた。やってみて、余裕シャクシャクではないけど、お手上げでもなかった。そこが大きかったですよね。皆がイケるという兆しに向かっていけた」

――スクラム。どうでしたか。

「最初はヤニー・デュプレッシー(相手の右プロップ)が内側(日本代表の中央部分)へ来る(頭をねじ込む)のに対して、組みづらそうでした。でも、マイボールも出ていたし、悪くはなかった。一番悪かったのは、最後だけ。カーンがトライする前のやつ」

――ウイングのカーン・ヘスケス選手による逆転トライを導く、ノーサイド間際のスクラムのことですね。日本代表が上手く組んでいるようにも映るのですが…。

「相手も(一時退場処分で)1人少なかったし、こっちの8番(スクラム最後列のナンバーエイト)がナキ(突破力のあるアマナキ・レレイ・マフィ)。しっかりスクラムを組めばどうにかしてくれる…と、(相手の反則を受けて)スクラムを選択したんですけど…。

ただ、最後のやつでは、相手の2、3側がアーリー気味(中央のフッカーと右プロップが、レフリーの相図より速めに組み込んできた。ルール上は反則)。そんで、木津(武士、途中出場のフッカー)が組み直しになったと思って力を緩めてるんですよ。それで、右に流れているんです。進み方がへたくそだった。

あそこで、フーリー・デュプレア(南アフリカ代表のスクラムハーフ)は、日和佐(篤、日本代表のスクラムハーフの)にプレッシャーをかけに行ってるんですよ。その時、日和佐は一切ボールを触っていない。こちらのフランカーかナンバーエイトがボールを抑えていた。この時、もしデュプレアがボールに飛び込んでいたら…。

よく年末とかに、あの時の映像がテレビで流れたじゃないですか。最後のカーンのトライシーンの場面には僕もにやけますけど、スクラムのところから映っているやつを観たら…ぞっとしてしまいますね」

――本当に、紙一重での勝利だったのですね。しかしその結果、大会中から日本国内でラグビーブームが起こり、勝ち点争いが話題になりました。10月3日のサモア代表戦(ミルトンキーンズ・スタジアムmkで26―5と勝利)。議論の的となったのは、後半30分に敵陣で相手の反則を奪った場面です。当時のリーチキャプテンは、トライを狙いに行く選択ではなくペナルティーゴール(PG)での着実な加点を狙いました(失敗)。結局、4トライ以上を奪って得られるボーナスポイントは得られませんでした。

「俄然、PGでいいんじゃないですかね。日本は、無理くりトライが取れるチームではない。あの試合ではセットプレー(スクラムやラインアウト)でアドバンテージがありましたけど、本来相手だって弱いわけではない。こっちにも肉体的疲労はありましたし、PGで相手の首を締めに行く選択でいいと思う。あそこでボーナスポイントがあったら決勝トーナメントとか言われてますけど、それは僕らがスコットランド代表に勝っとけばよかったので(9月23日、グロスターのキングスホルムスタジアムで10-45と敗れている)。世界ランクでは、僕らよりサモア代表の方が上。ランキングが上のチームには、積み上げで勝ちに行った方がいい」

――ちなみに、その勝ち点争いが国内で話題となったことについてはどう思っていましたか。日本代表陣営は「考えない」と強調していましたが。

「話題になるのはいいと思います。でも、『日本代表、そんなに強うないで』という話です。歴史的なことはしたつもりですけど、(強豪との)地力の差はすごくある。それに、もし日本代表があそこでトライを取れるようなチームだったら、もうちょっと早いことワールドカップで勝っていると思います」

――そんななか、ワールドカップでは結果は残した。周りの期待感が高まるなか、2016年以降のジャパンは…。

「選手も、大変やと思います」

――結局ジャパンはワールドカップ史上、予選プールで3勝を挙げながら8強入りできなかった初めてのチームとなりました。どんなチームでしたか。

「いいチームでした。勝ったせいでもあると思いますけど、帰国後も周りの人にチームの雰囲気がよかったと言われます。その雰囲気がチームを盛り上げていた。6月に閉じ込められていた分、その中のコミュニティーが強くなった。同じ釜の飯じゃないですけど、常に一緒にいた。15年に関しては、家族よりも一緒にいましたね」

――「6月」。4月からの宮崎合宿にあって、もっとも過酷だった期間ですね。1日2、3部練習は当たり前、そのうえに…。

「ワールドカップというターゲットはありましたけど、近くにターゲットはない。春は週末にアジアラグビーチャンピオンシップの試合があって、それが気晴らしにはなりましたけど!」

――「練習の間の昼寝と通常の就寝時間の違いがわからなかった」と話す選手もいました。

「僕は極力、昼寝をしないようにしました。夜にどれだけ寝るかに賭けていました。昼に寝ても回復にはなりますけど、(寝起きで)身体もしんどうなるし、夜に寝られなくなるし。8時くらいにアイスバスに入って、9時には寝てましたね。宮崎って、テレビのチャンネルも2つしかない。『次は、月9です』みたいなコマーシャルがあるんですけど、その『月9』が始まる時間に別な番組が始まる。ホテルのプールで働くお兄さんに、『どうしてるんですか』と話しかけました。『ケーブルテレビが普及しています。ただ、それに入っていない人は…。まぁ、裏と表しかないんで、慣れたら楽ですよ』と」

――理不尽を乗り越えろ。それがエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチのプランでした。

「(ひたすら耐える)日本人の良さというか、弱さに付け込まれて…。と、言えば聞こえは悪いですが、そこに確かな意図があった。それを完遂できた時、南アフリカに勝てた」

――真っ只中、それに気づきましたか。

「いや、全然。グラウンドとホテルの距離が近くて、僕らはあそこしか往復していない。敷地内に温泉はありますけど、夜に入りに行っても次の日に5時から練習がある。(リラックス)できない。肉体もですが、何より精神的にしんどかったですね。

不思議なもので、帰国後の報道を観ても、『エディーさんが監督でよかった』という声はあまり聞かれないですよね。皆、別にエディーさんのことは嫌いではないんです。僕も、彼に勝たせてもらったと思っています。しんどいことをしたから勝てた、と。でも、無茶苦茶なことをやっていたから…。もし、負けていたら…やばかったですね。可能性としてはありましたよね。向こうも、ワールドカップで日本に負けにきているわけではないですし」

――勝利の要因はハードワーク。さらにもうひとつ、7月から合流したスーパーラグビー組の存在ですね。

「それも、チームが小さくまとまらんかった要因だと思います。あの頃やったパシフィック・ネーションズカップ、負け越しているんです(1勝3敗)。でも、そこに落胆している選手もいなかった。グロスターでのジョージア戦で、ぐっとまとまりました(9月5日、13―10で勝利。前年の直接対決で苦しんだスクラムを互角に持ち込んだ)」

――その試合中、途中で退いた山下選手がベンチ外でフッカーの湯原祐希選手をスタンドに呼び寄せていました。スクラムの状態について意見を聞くためだけに。

「信頼を置いている人なので、どうなっているかを観て欲しかった。湯原さんには『それだけか!』と言われましたけど。湯原さんは技術も備わっていますし、気持ちも強い。湯原さんと俊さん(前キャプテンの廣瀬俊朗)は試合に出られずに終わりましたけど、あの2人が頑張っているから頑張らなあかんと思えました。皆が。

しんどいことをして、ワールドカップでメンバー外。つまらんと言えば、つまらんですよね。もしあの位置にいる人が腐ってしまえば、リザーブ陣も含めて反乱分子のようになってしまうかもしれなかった。ただ、そのポジションに腐らない人がいたから、チームは一丸になれた…。エディーさんは、そういうことも考えてメンバーを選んだのかなと思います」

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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