ペレスとソラーリの逆転の一手。カンテラーノ登用がレアル・マドリーの救済策に。
レアル・マドリーが、完全に息を吹き返している。
2018-19シーズンのスタートは、決して思い通りではなかった。クラシコの大敗をきっかけに、リーガエスパニョーラ第10節を終えたところでフレン・ロペテギ前監督が解任された。
後任に選ばれたのはサンティアゴ・ソラーリ監督だ。カスティージャ(Bチーム)から昇任する形で指揮官ポストが定まると、マドリーは連勝街道を突き進んだ。
■カンテラという救済策
ソラーリ監督を迎えたマドリーは、リーガで12試合を戦い9勝1分け2敗という成績を残している。だがソラーリ政権で、変わったのは勝敗のダイナミズムだけではない。
マドリーは今季開幕前にクリスティアーノ・ロナウドを放出した。2009年以降、438試合に出場して450得点を記録していた絶対的なエースを、手放す。フロレンティーノ・ペレス会長の大きな決断だった。
ロペテギ指揮下において、忘れ去られていたルーカス・バスケスやマルコス・ジョレンテに出場機会が与えられ、セルヒオ・レギロン、フェデリコ・バルベルデ、ヴィニシウス・ジュニオールが重宝されている。また、ハビ・サンチェス、クリスト・ゴンサレス、フランシスコ・ガルシア、フィダルゴがトップデビューを飾った。
元々カスティージャで指揮を執っていたソラーリ監督のよく知る選手たちが、次々にチャンスをつかんでいる。ペレス会長の「プランB」が機能し始めた。
過去を遡れば、長きにわたり活躍するマドリーのカンテラーノが出現するのは、クラブが繁栄を迎えている時ではない。危機的状況にある時期だ。
1985年に「結成」されたハゲワシ部隊、1994年にトップデビューを飾ったラウール・ゴンサレス、1999年にトップデビューを果たしたイケル・カシージャス。常に困難な状況下で次代を担う選手たちが生まれてきた。
■ペレスの変化
「第一次ペレス政権」で、マドリーは2000年から2004年の間に2億1500万ユーロ(約264億円)を費やしている。
ルイス・フィーゴ(移籍金6000万ユーロ)、ジネディーヌ・ジダン(7300万ユーロ)、ロナウド(4500万ユーロ)、デイビッド・ベッカム(3750万ユーロ)が次々に加入して、銀河系軍団が誕生した。
だが第二次政権において、ペレス会長に明らかな変化が見て取れる。その背景には、フットボールのグローバル化がある。マンチェスター・シティやパリ・サンジェルマンといったアラブ諸国の大富豪がオーナーを務める、「国家クラブ」と形容されるようなところとの競争を強いられるようになり、ペレス会長は若手推進プロジェクトへと舵を切ったのである。
夏と冬に開かれる移籍市場で、すでに名を馳せている選手たちを巡っては、マネーゲームで国家クラブに分がある。バルセロナが契約解除金2億2200万ユーロ(約270億円)でネイマールをパリ・サンジェルマンに攫(さら)われたのは、その最たる例だ。
ゆえに、ペレス会長は早い段階で若い選手に目を付け、将来性と成長を見込んで獲得する方針を掲げた。当時16歳のヴィニシウスを獲得するため、マドリーは移籍金総額4500万ユーロ(約55億円)を支払った。18歳以下の選手に関していえば、史上最高額だった。
■光と影
彼らがマドリーで長年活躍すれば、ペレス会長としては喜ばしい限りだろう。あるいは、競争に敗れ出場機会を求めて移籍を志願したとしても、資金潤沢なクラブに高値で売れる可能性は十分にある。
ただ、物事には光と影がある。「若いプレーヤーに賭けるのは良い。だけど、レアル・マドリーというクラブでは、簡単には認められない。ある日は持ち上げられ、別の日には叩かれる。それがビッグクラブの重圧だ。才能とパーソナリティーを持ち合わせ、かつ成熟していなければいけない」と語ったのは、19歳の若さでマドリーに加入した経験があるセルヒオ・カナレスだ。
マドリーで成功を収められなかったのはカナレスだけではない。ノルウェー期待の新星だったウーデゴーア、アトレティコ・マドリーからの禁断の移籍を果たしたテオ・エルナンデス...。未成熟な選手のビッグクラブ移籍やトップチーム昇格は常にリスクと隣り合わせなのだ。
また、ソラーリ監督がカンテラーノを重宝する一方で、イスコやマルセロといった選手が弾き出される形で出場機会を激減させている。このまま行けば、彼らの移籍は免れない。
野心に満ちながらも経験が不足している選手の台頭と、主力流出の可能性。これは、ある種の博打である。ペレスの張ったカードは、果たして正解なのかーー。真の救済は戴冠と共に訪れる。