レアル・マドリーの「王朝」を陰で支えた男。ベンゼマに芽生える得点者としての責任感。
パートナーの才能を引き出せる選手というのが、いる。
その最たる例がカリム・ベンゼマだ。ベンゼマはレアル・マドリー加入以降、クリスティアーノ・ロナウドの最高の相方として、プレーしてきた。この2選手が常時前線に並ぶようになってから、マドリーは実に16個のタイトルを獲得している。
しかしながら、この夏に変化が訪れる。C・ロナウドがユヴェントスへの移籍を決めたのだ。
ベンゼマが追う、影。それはC・ロナウドのものなのか。それともーー。
■王朝が築かれた背景
チャンピオンズリーグ3連覇で、マドリーは文字通り「王朝」を築いた。その王朝が築き上げられた背景には、「BBC」の存在がある。
「BBC」が確立されたのは、カルロ・アンチェロッティ政権である。ガレス・ベイル、ベンゼマ、C・ロナウド。高速カウンターで欧州を席巻して、マドリーは悲願であったデシマ(クラブ史上10度目のCL制覇)を達成した。
だが、この成功体験がベンゼマの足枷となる。
C・ロナウドがいる限り、ベンゼマは「9,5番」だった。C・ロナウドのためにスペースを空け、前線で起点となり、決定的な場面においてもエースがフリーであればパスを選択した。
かつて、リオネル・メッシの才能を解放させるために、バルセロナがベンゼマ獲得を検討していたという。2009年夏のことだ。だが最終的にバルサはズラタン・イブラヒモビッチを獲得。ベンゼマはマドリー移籍を決断した。
奇しくも、バルサがすでにベンゼマのパートナー役としての能力を見抜いて一方で、マドリー加入当初のベンゼマには、「典型的な9番」として期待があった。マドリディスタはサンティジャーナ、ウーゴ・サンチェスを思い起こしていた。彼らのような活躍を。C・ロナウドの引き立て役を演じながら、それがベンゼマの重圧になっていた。
■犬と猫
2010-11シーズン、ジョゼ・モウリーニョ当時監督は「犬を連れて狩りに行きたいが、それができなければ猫を連れていくしかない」とベンゼマの決定力を批判した。
この発言に、ベンゼマが気を良くしていたはずはない。それでも彼は自らのプレースタイルを変えようとせず、「特権階級」に置かれていたC・ロナウドを援助する役割を担い続けた。年間40得点を保証するC・ロナウドを、無碍に扱う指揮官はいなかったからだ。
ベンゼマがマドリーに加入してから年間25得点以上を記録したのは2010-11シーズン(26得点)、2011-12シーズン(32得点)、2015-16シーズン(28得点)の3シーズンのみである。
ベンゼマはこれまで、いわゆるマドリーの攻撃における「処理装置」だった。マドリディスタにとって、潤滑油として機能する彼は、いわば「執事」のようなものであった。
だが、レアル・マドリーの王朝は、彼なくしてあり得なかったはずだ。
今夏の移籍市場。最終日が近づいたところで、フロレンティーノ・ペレス会長が獲得を決めたのはマリアーノ・ディアスだった。ハリー・ケイン、ネイマール、ロベルト・レヴァンドフスキ...。多くの名前が補強候補に挙げられたが、メディアを満足させるための補強が行われることはなかった。
ペレス会長とフレン・ロペテギ監督のベンゼマへの信頼は厚い。異なる種類の責任が、ロシア・ワールドカップで傍観者とならざるを得なかった男を刺激している。