スペイン代表の黄金時代の終焉。指揮官解任劇の余波と、生じていた歪み。
余りにも、あっけなく散った。前々回王者の去り方としては物足りなかった。
ロシア・ワールドカップ決勝トーナメント1回戦で、スペインはロシアに敗れた。ベスト16敗退が決まっている。
ロシアW杯の勝敗を決したのは7月1日ではなく、6月13日だろう。これはスペインがフレン・ロペテギ監督を解任した日付だ。
■スタイルを放棄
ロペテギ監督はレアル・マドリーに媚薬をかがされ、自分を見失った。マドリーのフロレンティーノ・ペレス会長はチャンピオンズリーグ3連覇の偉業に酔いしれるでもなく、後任決定を急いでいた。スペインサッカー連盟のルイス・ルビアレス会長は代表の価値を守るために監督交代を決断した。三者三様の思惑が、スペインという国を揺るがした。
クラブ、代表、協会間の関係は良好とは言えず、何が不足しているのかを把握できないまま、本大会を迎えた。いや、その「お家騒動」こそが、スペインの本当の課題を包み隠してしまったのだ。
スペインは自らのスタイルではなく、勝利に拘った。近年欧州のフットボール界に渦巻く勝利至上主義が、そうさせたのかもしれない。常にスコアボードを意識してプレーしていた。ロシア戦のアンドレス・イニエスタのベンチスタートは象徴的だった。
あの試合では、4-1-4-1が採用されるべきだった。観る者を魅了した、初戦ポルトガル戦の布陣だ。ロシアに、クリスティアーノ・ロナウドのような選手はいない。だがイエロ監督はカウンターを警戒してダブルボランチを選択。リスクを冒す攻撃フットボールに、どこか歪みが生じていた。
スペインのロシア戦におけるパス本数は1137本。これはW杯1位の数字だ。2位のドイツ(2010年大会のアルジェリア戦/801本)を大幅に上回り、史上最高記録となっている。なお、スペインのパス成功率は91%で、ポゼッション率は79%だった。だが11選手が自陣に籠り、守りに徹したロシアを崩すことはできず、PK戦で敗れた。
スペインはW杯で4回PK戦までもつれ込み、そのうち3回敗れている。ロシア戦の前、最後に敗れたのは2002年日韓大会の準々決勝韓国戦だ。その時、主将を務めていたのがフェルナンド・イエロ現監督だった。
■黄金時代を謳歌したスペイン
Lo que mal empieza, mal acaba.
ロ・ケ・マル・エンピエサ,マル・アカバ
「始まりが悪ければ終わりも悪いものになる」
日本には「終わり良ければ総て良し」という諺があるが、スペインでは序章と終章を繋げる考え方がある。ロシア大会のスペインは、まさに自国の諺を体現していた。
ただ、そもそもスペインは「勝ち切れない」チームだったのだ。
上手いが、勝てない。ドイツやイタリアなど、勝負強さを誇る国々に、どこか見劣るところがあった。
スペインが「壁」を破ったのは、2008年のことだった。故ルイス・アラゴネス監督に率いられたスペインはEURO2008で優勝を達成した。
「クアトロ・フゴーネス(四人の創造者たち)」と呼ばれたシャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、ダビド・シルバ、セスク・ファブレガスが確かな技術力で中盤を制圧。圧倒的なポゼッションを武器に欧州の頂点に立った。
後任のビセンテ・デル・ボスケ監督が「甘美なる移行」と称した転換期は、問題なく過ぎていった。新たにセルヒオ・ブスケッツ、シャビ・エルナンデスが組み込まれた中盤は依然として構成力が高く、ポゼッションを高めて仕留めるスタイルは洗練されていった。かくして、2010年ワールドカップ、EURO2012で主要大会3連覇を成し遂げる。
2014年W杯でグループステージ敗退しても、当時の協会はデル・ボスケ監督を信頼し続けた。
その大会後にシャビとシャビ・アロンソが代表を去ったが、ブスケッツ、シルバ、イニエスタと、システムの解釈能力が高い選手を軸に、再び世界の頂点に立てるだけのチームが出来上がっていた。しかし、結果は付いてこなかった。
黄金期のスタートとなったEURO2008の初戦で、スペインに1-4で大敗したのがロシアだった。そのロシアに敗れ、スペインは2018年W杯に別れを告げた。イニエスタは代表引退を表明している。黄金時代の終焉。始まりと終わりを意識する大会が、スペインに現実という鐘を打ち鳴らした。