やはり甲子園は球児たちを待っていた! 交流試合開幕
全国の高校球児にとって特別な夏。特別という響きは、本来ならこの場合には当てはまらない。春も夏も、最大の目標である「甲子園」を奪われたからだ。それでも、やはり甲子園は球児たちを温かく待ってくれていた。センバツ出場の32校による1試合限定の「交流試合」で、夢の甲子園が現実になった。特別な、かけがえのない時間が始まった。
リモート打ち合わせで宣誓
開幕試合に登場する大分商と花咲徳栄(埼玉)の2校だけによる開会式では、両校主将が選手宣誓を行った。大分商のエース・川瀬堅斗(3年)と1年夏から甲子園で活躍する徳栄の4番・井上朋也(3年)は、オンラインでリモート打ち合わせをしていた。「『宣誓!』は声を合わせようか」などと話し合いつつも、両者はエースと4番で、試合の行方を左右する間柄。井上が「調子はどう?」と聞くと、「順調です」と川瀬が答え、探り合いに。最後は井上が、「あんまり厳しい球は投げないでください」と懇願?すると、川瀬は苦笑いするしかなかった。
息ぴったりの満点宣誓
そうしたハンディを感じさせないくらい息の合った宣誓は、締めの「最後まで戦い抜くことをここに誓います」も声を合わせて、100点満点の出来だった。両校の控え選手と保護者だけのスタンドから起こる拍手は、その数が何倍にも聞こえた。テレビやラジオ、ネットで視聴していたファンも、拍手をしていただろう。コロナ禍に巻き込まれた現在の高3世代の代表が、将来、彼ら彼女らは、きっと立派な大人になるに違いないと確信させてくれた瞬間だった。
川瀬は立ち上がりの失点悔やむ
さて試合は、川瀬が立ち上がりに制球を乱し、これに乗じた徳栄が、6番・渡壁幸祐(3年)の適時打などで3点を先制。エース左腕の高森陽生(3年)が中盤以降の大分商の追い上げを凌いで3-1で逃げ切った。川瀬は、7月初旬に痛めた左太もも肉離れの影響からか、立ち上がりに球が浮き、変化球が抜けたが、中盤以降は本来の投球を取り戻した。注目の井上との対決は、2四球を与えたものの、厳しい内角攻めもあって無安打に抑えた。川瀬は、「立ち上がり、(甲子園の)雰囲気に負けてしまった」と悔やんだが、「小さいころから甲子園はずっと夢に描いていた。プレッシャーの中でもしっかり投げろ、と教えてもらった」と、夢の甲子園で得た経験を糧に、次のステージをめざす。
明徳が巧者ぶり発揮しサヨナラ
第2試合は、鳥取城北の打線が、甲子園経験豊富な明徳義塾(高知)のエース左腕・新地智也(3年)を8回に攻略。3番・河西威飛(いぶき=3年)の逆転二塁打などで4点を奪って勝利目前かと思われた。しかし試合巧者の明徳は、8回裏の攻撃で、果敢な走塁を見せて相手守備をかく乱し、1点差に迫る。9回も2死1、2塁と追い詰められたが、4番・新澤颯真(そうま=3年)が、右翼頭上を抜く逆転三塁打を放って、5-4で鮮やかなサヨナラ劇を演じた。
「静かで集中できる」明徳監督
明徳の馬淵史郎監督(64)は、「8回に1点差に迫って、相手にプレッシャーをかけられた。あのまま(3点差)なら、すんなりいっていた。ずっと硬かったが、8、9回に力を出せた」と、ほっとした表情。両校のスタンドからはそれぞれ手拍子が聞こえ、「ああいう野球もいいね。ブラスバンドがなく、静かで集中できる」と、ベテラン監督も甲子園で新しい発見をした様子だった。
難病克服の城北エースは感謝忘れず
十中八九、手にしていた勝利がすり抜けた城北のエース左腕・阪上陸(3年)は、右翼からの再登板で痛打を浴びた。敗戦後はしばらく立ち上がれず泣き崩れていたが、取材には気丈に応じ、「最後に甘さが出た。あそこで投げ切れてこそエース」と悔しさをにじませた。甲子園の地元でもある兵庫県伊丹市の出身で、中学時代に腎臓の難病で野球どころではない時期もあった。それでも山木博之監督(45)は、身体的ハンディを承知で受け入れてくれた。練習を休んで大阪まで通院することも認めてくれたという。「元気に野球ができるようになり、甲子園に出る夢もかなえられてよかった」と、周囲への感謝の言葉も忘れなかった。
勝負に徹した4校
1試合限定の交流試合は、時に勝敗を度外視した「温情」があってもいいと思っていたが、この2試合に関しては、4校すべてが勝負に徹していた。徳栄を除く3校は、独自の「県大会」で優勝を逃している。それでも選手たちは、最後まで全力プレーを見せた。甲子園が特別な場所であり、選手たちに大きな力を発揮させてくれることを再認識した次第だ。