Yahoo!ニュース

落下した植木鉢が住民に直撃。事故か、故意か?手袋に泥をつけた認知症の父に疑念を抱く息子を演じて

水上賢治映画ライター
「誰かの花」で主演を務めたカトウシンスケ  筆者撮影

 こういういい方は、本人に失礼に当たるかもしれないが、いまもっとも顔が定まっているようで定まっていない俳優といっていいかもしれない。

 それぐらい、いろいろな顔をみせてくれているのが、カトウシンスケだ。

 チンピラやアウトサイダーのような不良性を帯びた人間も似あえば、誠実な人間を演じても無理がない。

 そして、どの役も一度みたら忘れられない強烈なインパクトを放つ一方で、どこかキャラクターしない匿名性を保つ。

 横浜の老舗映画館「横浜シネマ・ジャック&ベティ」の30周年の企画作品として届けられた奥田裕介監督の長編第二作「誰かの花」でも、カトウは間違いなく主人公として物語の中心にどっしりと根差しながら、どこかほかの登場人物たちと同等に並んでいるように映る。

 日本映画界に欠かせない俳優になりつつある彼に訊く(第一回第二回)。(全五回)

役に触れた瞬間を大切にして、その積み重ねをまた役に反映していく

 前回の最後に、「分からないことを前提に、演じながらいろいろなことに気づいて、演じていった」と語ったカトウ。

 では、孝秋という役をつかんだと思える瞬間はあったのだろうか?

「そうですね。

 なかなか言葉で伝えずらいんですけど、演じながら『あ、孝秋ってこういうこと考えていたんだ』と思う瞬間があるんです。

 そういうときは近づけたようば感覚になります。ただ、それもほんとうに近づけたかはわからない。

 それから、はじめは『なんでこんなことが台本に書かれているのだろう』と思っていたことが、演じていって役を積み重ねることで『なるほどそういうことか』と気づかされることもある。

 それもその役をつかんだ感触に思える。

 煙が立ち込めていて、そのモヤの外枠らしきあたりをさっと触れたぐらいに過ぎないんですけど、なんか手にふれた感触が残っている。

 それぐらいでも触った実感がもてることはとても僕にとってはすごく重要で。

 そういう役に触れた瞬間を大切にして、その積み重ねをまた役に反映していく。

 するとまた役でみえていなかったことがみえてくるんです」

自分が生き残っていることへの罪悪感みたいなものも

孝秋の中にはあるかもしれない

 そういう中で、孝秋という人間をどのように感じていたのだろうか?

「人をはぐらかすようにヘラヘラしてるけど、根底には罪の意識があるというか。

 それは、父がもしかしたら今回の事件というか事故に関わっているかもしれない。けどそれを言い出せない加害側としての罪の意識がまずある。

 一方で、彼の一家は孝秋の兄を数年前に事故で亡くしていて、被害者遺族でもある。

 でも、父や母は前を向く選択をした。多くの時間を笑って過ごそうとした。

 ただ、どこか釈然としない孝秋は、『あすなろ会』という被害者遺族の会にどっちつかずで足を運んでいる。

 そこには兄の死をこのまま忘れてしまっていいのかという罪の意識がある。相手に対する憎しみの気持ちが薄れていく事に怯えてさえいるかもしれない。

 また、家を訪れるたびに孝秋は認知症の父が自分を兄に見間違うばかりか、兄のことばかりを覚えている。

 この状況に接する中で、孝秋は父が自分より兄を愛していたのではないかという気持ちになってしまうところがある。

 自分の中にも兄はどこか憧れで、背中を追いかけていたところがあった。

 そうなると、自分の存在がとても薄く感じてしまい、『兄よりも俺がいなくなった方がよかったのではないか』という自分が生き残っていることへの罪悪感みたいなものも孝秋の中にはあるかもしれない。

 孝秋は自分を責めているところがある。

 だから、あんまり人に素直な態度で接することができない。それがあのなんともいえない『へらへら』しているところに現れているのかなと思いました。

 彼のへらへらは不真面目さじゃなくて、シリアスゆえにそうしていないと自分を保てないところがある。

 なんでここまで苦しい境遇に置かれてしまったのかなと思いましたね」

「誰かの花」より
「誰かの花」より

孝秋にとってあの同僚は唯一気を許している人物

 人知れず苦しみを抱えた孝秋が唯一、自分の心情を吐露できるのが、職場の同僚の作業員。

 合いの手ひとつも返さない彼に、孝秋はひたすら自分の身の回りに起こったことを一方的にしゃべり続ける。

 そこには、孝秋の本心がにじみ出てくる。

「ほんとうに孝秋にとってあの同僚は唯一気を許している人物で。

 ほんとうに一方的に話すだけなんですけど、孝秋はなにか答えがほしいわけではない。

 変に同情されたり、優しくされたくもない。

 あの同僚との一方的なやりとりが、孝秋にとって唯一、心情を吐露できる場所であり、同時に、自分に言い訳したり正当化したり、自分に向き合う場所なんだと思います。自分も気づかぬ本心と出会う時間なんですよね。それが彼には必要で気が休まる時間なんだろうなと。

 ほんとうに、孝秋は気の休まる場所がないんですよね。

 実家にいきながら、ふらりとパチンコにいってしまうのも、なにか実家にずっといられない。ちょっと逃避しているところがある。

 そもそも実家にも行きたくていっているわけではない。

 認知症の父がいて、おふくろが大変そうで、息子としての義務としていっているようなところがある。

 ただ、いけば、父に兄と間違えられたりと、いたたまれない気持ちになることばかり。ほんとうはめちゃくちゃショックなんだけど、それを母親に言うわけにもいかないし、自分で飲み込むしかない。

 それぐらい直視できないことが多すぎて、気が休まるところがないんですよね、孝秋は」

(※第四回に続く)

【カトウシンスケインタビュー第一回はこちら】

【カトウシンスケインタビュー第二回はこちら】

「誰かの花」ポスタービジュアル
「誰かの花」ポスタービジュアル

「誰かの花」

監督:奥田裕介

出演:カトウシンスケ、吉行和子、高橋長英、和田光沙、村上穂乃佳、

篠原篤、太田琉星

全国順次公開中

公式サイト → http://g-film.net/somebody/

場面写真およびポスタービジュアルは(C)横浜シネマ・ジャック&ベティ30周年企画映画製作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

水上賢治の最近の記事