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騒音おばさんから現代日本が見えてくる映画「ミセス・ノイズィ」。天野千尋監督と篠原ゆき子が考えたこと

水上賢治映画ライター
「ミセス・ノイズィ」 天野千尋監督(右)と主演の篠原ゆき子(左)

 現在も続くコロナ禍では、テレワークが一気に拡大。現在も基本、仕事は自宅作業という日々が続いている人もけっこう多いのではなかろうか? 

 そこで日中、自宅にいると、ちょっとした近所の騒音や、お隣さんの生活音が気になってしまって仕事に集中できない経験をした人は少なからずいるはずだ。

 映画「ミセス・ノイズィ」は、まさにいまのコロナ禍で起きても不思議ではないご近所トラブルが題材。一見すると隣人同士の対立をユーモアを交えながら描いたコメディ映画の様相になっているが、マスコミ報道やネットの在り方といった日本社会の問題点に一石投じる

 自らの身に寄せて考えたいことがつまった1作を、手かけた天野千尋監督と主演を務めた篠原ゆき子の対談から紐解く。

映画「ミセス・ノイズィ」より
映画「ミセス・ノイズィ」より

「騒音おばさん」のその後のネットでの噂が着想のきっかけ

 まず、題名から察しがつく人は多いと思うが、作品は、十数年前にしきりに報道された「騒音おばさん」が着想のきっかけ。この騒動を二人は当時どう受け止めていたのだろうか?

天野「テレビのワイドショーで話題になってた時は、『変わったおばちゃんがいるな』という、たぶん多くの人が思ったであろう感想ぐらいで終わっていましたが、その後、ネットの中で、『実はおばちゃんの方が被害者だった』との噂が広まっているのを知りました。テレビとは真逆で、一躍おばちゃんが悲劇のヒロインに祭り上げられていたんです。

 このネット情報は、噂の域を出ないもので実際はどうか分からない。彼女は悲劇のヒロインなのか、それともテレビで報じられていたようにトラブルメーカーなのか。真実は不明なのに、ネットの中で多くの人間が関心を寄せて、本人不在のところで異様に盛り上がっていた

 当時、漠然となんですけど、人と人のディスコミュニケーションや対立、その人の裏表を描きたいと考えていて、この事件を巡るとりわけネットの反響は、そこにぴったりはまる気がしたんです。実際のことは当人たちにしか分からない。それなのに、彼女の人物像が勝手に形成されて独り歩きしていく。つまり、人と人の間でコミュニケーションが生じて対立し、そこに第三者の目が勝手に入ってきて、対立がエスカレートしていってしまう。こういう構造が今の社会にはあるんじゃないかなと。そこがこの作品の出発点になりました」

篠原「私はそこまであの事件のことは知らなかったです。ワイドショーで目にはしていましたけど、どこか遠く、テレビの中の話だと思っていました。だからネットでそんなことが盛り上がっているとはまったく知りませんでした」

「ミセス・ノイズィ」 天野千尋監督(右)と篠原ゆき子(左) 筆者撮影
「ミセス・ノイズィ」 天野千尋監督(右)と篠原ゆき子(左) 筆者撮影

私にとっては、わが身に重なるところがあって、心が痛む物語でした(篠原)

 作品は、事件をモチーフにしてはいるが、天野監督が書き下した完全なオリジナル・ストーリー。篠原演じるまだ手のかかる娘を抱えた小説家の吉岡真紀が、引っ越し先の隣人の若田美和子と、ある騒音をめぐって対立することに。その喧嘩をネタに真紀は小説を執筆。それがマスコミ、さらにはネットで拡散されて、大騒動へと発展していく様が描かれる。

 ただ、物語が進行していくにつれ、真紀が敵視していた美和子の行動や言動には理由があったことが明かされていく。

篠原「最初に脚本を読んだときは、真紀にすごく感情移入したんですね。真紀は小説家で自分は役者ですけど、私も同じようにスランプになって悩むことはあるし、うまくいかない時期も確かにあった。うまくいかないとどうしても自己中心的になって目の前のことしかみえなくなり、周囲に迷惑をかけてしまう。自分もそういうところはあるなと(苦笑)私にとっては、わが身に重なるところがいくつかあって、ちょっと心が痛む物語でした

天野「私も真紀と似てる部分はあり、突っ走って何かやらかしてしまい、後になって後悔するタイプ(苦笑)。周りが見えなくなってしまう。ただ、真紀はカッとなるとそれをコントロールできなくなって表に出してしまいますが、私は怒りに関してはあまり表に出しません。イラッとすることは多々あるんですけど、『この人にもたぶん事情があるんだろうな』とか、心の平穏を保とうとするんですよね。だから、人が対立しているところを見るとソワソワして悲しい気持ちになる。その反面、肯定するわけではないんですが、どこか本気でぶつかっているようにも映って、人間らしくておもしろいと思ってしまう自分もいる。その両面を描きたい気持ちはありました」

映画「ミセス・ノイズィ」より
映画「ミセス・ノイズィ」より

昨今、線引きして、即排除みたいな世間の空気がある気がする(天野)

 真紀と美和子の対立の事の発端はほんの些細な思い違い。少しばかりの相手への思いやりや配慮、少しだけ対話を交わすコミュニケーションがあったら、おそらく起きていない。ただ、そうした些細なすれ違いが大騒動に発展してしまう。そのことはコミュニケーションが一方通行になりがちな現代の社会の在り方をどこか物語っている。

天野昨今はどことなく、線引きして、即排除みたいな世間の空気がある気がするんです。一度失敗すると、即座に『悪』とされて切り捨てられてしまうような

 たとえば今回の物語だったら、『ノイズ』が対立の引き金になってますけど、『騒音』=『悪』、『それを出した人』=『悪』=『不必要』みたいになって、社会から除外されてしまう。しかも、その騒音を出した背景の事情には全く目が向けられず、コミュニケーションが不在のまま『悪』だと片付けられてしまう。もしかしたらそこで対話があったら改善、問題が解消されていたかもしれない。寛容さがどんどん失われていることへの危機を感じたところはありました

篠原「いまのコロナ禍の社会をみてもそうですよね。なにかキーワードだけで一部の人がターゲットにされて悪者にされてしまうようなことがいくつも起きている。字面だけで判断してしまうのはほんとうに怖い。そのことは心に止めておきたいですよね

天野「今のSNSを中心に起きるバッシングって直接関係のない人のところからはじまるケースがほとんど。しかも軽い気持ちで周りにちょっと告げるぐらいの発言が、一気に集合して拡大して、巨大な凶器になってしまう。この危うさについては意識すべきだと思います

外国人からは『日本はいまだにこういう夫婦の在り方がスタンダードなのか』との声

 このようにメディアや現代社会の歪みを問題提起する一方で、本作は、裏テーマではないが、夫婦および男女の格差について言及しているところもある。

天野「作る前は、夫婦間やジェンダーの問題についてあまり考えていませんでした。ただ、作っていく過程で気づかされたというか。日本はまだまだ母親が子育てや家事を全部担う風潮が根強い。真紀は作家という自分の仕事があって、夫との間に小さな子供がいる。しかし、スランプ気味で小説が書けていないので、収入が減っている。これに対して、夫は稼いでいるので、家事と育児を真紀が担うのは当たり前みたいなことになっている。出産を機に妻がキャリアを伸ばしにくくなり、こういう状況になる夫婦は、日本に多いと思います

 実は、真紀に関しては、私はもっと自分の立場を強く主張する女性にしてもいいかなと思っていました。けれど編集を進める中で、私たちより上の世代の男性を中心に、『なぜ真紀は夫にあんなに口ごたえするのか』とか、『たいした稼ぎも無いなら、家事育児くらいちゃんとやってくれよ』といった意見が多くあり、結局少し控えめにしてしまったんです」

篠原「終盤に、真紀が旦那に謝るシーンがあるんですけど、逆に女性たちからは『あそこは謝る必要あるの?』といった意見がけっこうありましたよね」

天野「そうそう。そうなんですよね。海外の映画祭でも上映する機会があったんですけど、外国人の方からは『日本はいまだにこういう夫婦の在り方がスタンダードなのか』という意見をいくつもいただきました(苦笑)。ある意味、この作品は、いまの日本におけるジェンダーギャップも映し出しているのかなと思いましたね」

 日本社会に厳然とある諸問題が垣間見えてくる「ミセス・ノイズィ」。あなたはこのドラマの中に何をみるだろうか?

映画「ミセス・ノイズィ」より
映画「ミセス・ノイズィ」より

「ミセス・ノイズィ」

監督・脚本:天野千尋

出演:篠原ゆき子、大高洋子ほか

TOHO シネマズ 日比谷ほか全国公開中

場面写真はすべて(C)「ミセス・ノイズィ」製作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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