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中国で日本の着物を着ていたらPCR検査を受けられなかった話

宮崎紀秀ジャーナリスト
日本といえば着物。東京五輪の閉幕式に小池都知事も着物で登場(2021年8月8日)(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 中国の福建省の厦門で、日本の着物を着た女性がPCR検査を受けようとしたところ、現場にいたボランティアから追い返される一幕があった。その際の映像がネットで流れ、中国ではホットな話題になっているが、中国人にはこの出来事がどう見えるのか?

検査拒絶は和服だから?

 その映像には、薄紫色の和服を着た若い女性が、赤いビブスをつけた男女2人のボランティアに両脇を挟まれるようにして、検査会場から遠ざけられているとみられる様子が映っている。

 男性ボランティアが「ダメだ。ダメだ。来ちゃダメだ」と言っており、こう続ける。

「こんな服を着て、どこに行けるの?服を替えておいで」

 女性ボランティアが後を継ぐ。

「服を替えたら、もう一度おいで」

 それに対し、和服を着ていた女性は、特に抵抗するでもない。戸惑う様子を見せながらも「ハイ、ハイ、わかりました」というような仕草で従って「服を替えておいで」と求められたことに対しては指で「OK」マークを示した。女性はそのまま現場を立ち去ったようだった。

 女性の和服の胸にはネームプレートがついており、日本料理店で働く中国人の店員が、仕事の合間に検査を受けに来たものだとみられた。

中国人の3つの反応

 これに対する中国のネット民の反応は、だいたい3つに分かれる。

 1つは、「ボランティアの行為は正しい」派。この派の論拠は、「和服を着るのは、愛国的ではない」という短絡的な発想。

 中国では、「愛国無罪」などと言われ、日本と聞けば、過去を持ち出して批判しておけば間違いないから、書き込みにもヒネリがなく、あまり面白くない。具体的には次のような意見。

「国辱を忘れるな」

「ボランティアは問題ない。和服を着る人の方が問題ない、という意見があるということは、愛国教育の先はまだ道のりが長い」

和風擁護派

 もう1つは「何を着るのも個人の自由で、ボランティアの行為は越権行為である」派。ボランティアの行為を「偏狭な民族主義」と厳しく批判する声もある。

 私の感覚では、実はこの派がもっとも多いように思った。書き込まれた意見もウイットがあって面白い。

「着物が綺麗。私は自分が好きなものを着る。まさか国内では中国の伝統の服でしか街を歩けないわけ?」

「注意しておくけど、中国人が来ている服や住まいは、みんな現代化つまり西洋化している。分かっている?」

「ワクチンを打ちに行く時に、何を着なくてはいけないかの規定は見たことがないと思うけど」

 シャツ、ジーンズ、パンツやブラジャーも外来品だと指摘した上で、こんなのもあった。

「まさか、PCR検査には裸で行けってか?」

ネットが騒ぎすぎ?

 3つ目は、メディアやネットが「騒ぎすぎ」派。

「女性は抵抗もせず、従っているから多分(和服で現れたのは)故意ではない」「ボランティアも服を替えるように言っただけで、きつい言い方をしてもいない」などの意見の上で、女性にもボランティアにも寛大にあたるべきだ、との立場である。

「当事者たちは騒いでいないのに、ネットでは何を騒いでいるの」

 中国メディアによると女性は厦門にある日航ホテルの日本料理店の従業員。広報担当者によれば、PCR検査を受けるよう通知を受け、着替えるには時間がかかるので、制服である和服のまま、行ってしまったのだという。制服のままで外出してはいけないという規定はあるものの、彼女は入ったばかりでその規定を知らなかったのだろう、という。

 広報担当者は「全くの不注意で、いかなる政治的な立場を代表するものではない」と強調したという。

「精日」が摘発された過去

 おそらく今回の件の背景に「精日」の問題がある。

「精日」とは2018年頃によく中国のメディアやネットで使われた言葉で、精神が日本人化した中国人、とでも説明できるだろう。

 ただ、中国が問題視したのは、第二次世界大戦時の日本や日本軍を崇拝すると同時に、その裏返しで中国を侮辱するかのような言動を取った若者たち。当時、ネット中継などで日本の中国への侵略を正当化するような言論が出たり、旧日本軍のコスプレをして抗日戦争の記念碑の前などで記念写真を撮ってネットに拡散させたりする“事件”が頻発した。

 ちょっとした流行のようにもなり、中国当局がそうした行為を厳しく取り締まった過去がある。

 王毅外相は、ある記者会見で「精日をどう思うか?」と質問され、指を突き出し「中国人のクズだ」と言葉を荒げるパフォーマンスまで見せた。

着物=反中ではないはずだが...

 中国当局が、アニメや料理なども含め、日本文化の一切を敵視しているわけではない。それが許されないほど中国に「日本贔屓」が増えている現実もある。

 当時、中国共産党の青年組織である「共青団」は、日本の漫画を見たり、日本料理を食べたり、優秀な日本の文化を好きだったりすることは「『精日』ではなく、個人の合法的な権利であり、全く正常な現象」と見解を示した。

 だが、長い反日教育と「精日」取り締まりの記憶が刷り込まれた一部の人の頭の中では「正常」と「異常」を冷静に判断できず、人目につく場所での和服の着用に「不穏」のアラートが鳴った可能性がある。

 言い換えれば、今回の件は、そうした中国社会の歪みを示す一例でもある。

ジャーナリスト

日本テレビ入社後、報道局社会部、調査報道班を経て中国総局長。毒入り冷凍餃子事件、北京五輪などを取材。2010年フリーになり、その後も中国社会の問題や共産党体制の歪みなどをルポ。中国での取材歴は10年以上、映像作品をNNN系列「真相報道バンキシャ!」他で発表。寄稿は「東洋経済オンライン」「月刊Hanada」他。2023年より台湾をベースに。著書に「習近平vs.中国人」(新潮新書)他。調査報道NPO「インファクト」編集委員。

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