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怒る、怒鳴る、落ち着かない重度認知症の人から、穏やかさ、その人らしさを引き出す「スヌーズレン」とは?

宮下公美子介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士
心地よい感覚刺激で五感に働きかける「スヌーズレンルーム」(ノテふるさと提供)

五感に働きかける「スヌーズレン」

照明を落とした部屋に入り、ゆらゆらとゆっくり揺れるイスに座る。目の前には、キラキラと光る泡が舞う円柱(バブルチューブ)や、蛍光色に光るファイバーの束、穏やかな光を発するボール。

それらにぼんやりと目を向けながら、肩にハンディバイブレーターを当ててこりをほぐしていると、自然と呼吸がゆっくりと深くなるような不思議な感覚を覚える。これが、筆者の「スヌーズレンルーム」での体験だ。

「スヌーズレンルーム」は、「センサリー(あるいはセンソリー)ルーム」と呼ばれることもある。2022年に国立競技場で行われたサッカーの試合で、感覚過敏のある子どもなどが落ち着いて観戦できる仮設の「センサリールーム」が設けられたことを覚えている人もいるかもしれない。

「スヌーズレン(Snoezelen)」とは、1970年代にオランダで始まった、重度知的障がい者を対象に開発されたもの。寝かせきりになりがちだった重度知的障がい者に、心地よい感覚刺激を体験してもらうことを意図し、余暇活動として開発された。

光や音、振動、匂い、さわり心地など、その人にとって心地よい様々な「感覚」に働きかけることで、気持ちや行動を穏やかに変えていく「多重感覚環境(MSE:Multi-Sensory Environment)」のことを指す。

重度の知的障がい者が“寝かせきり”になりがちなのは、意思疎通が難しく、どのようなケアが本人にとって心地よいかを見出しにくいからだ。

同じように、認知症が重度になった高齢者も意思疎通が難しくなると、介護する側が適切なケアを探り当てられず、手をこまねいてしまいがちだ。

しかし、言葉では気持ちを表現することが難しい障がい者も、「うれしい」「楽しい」気持ちは、表情、声、あるいは体温や心拍などに表れる。そして認知症が重度になった人も、心地よい環境の中で好ましい刺激を受けることによって、それまで見ることができなかった「その人らしさ」を表すことがある。

「スヌーズレン」は、その助けになるセラピーとして活用されているのだ。

特別養護老人ホームノテふるさとのスヌーズレンルーム。泡がきらめくバブルチューブに耳を当てると、胎児が母親の胎内で聞いている胎内音のような音が聞こえ、気持ちが穏やかになる(ノテふるさと提供)
特別養護老人ホームノテふるさとのスヌーズレンルーム。泡がきらめくバブルチューブに耳を当てると、胎児が母親の胎内で聞いている胎内音のような音が聞こえ、気持ちが穏やかになる(ノテふるさと提供)

認知症の人の暴言・暴力は感覚処理の不具合が影響

言葉でのやりとりが難しくなった重度認知症の人は、ケアをする側からすると、「急に怒り出した」「突然、暴力を振るってきた」と感じることがある。しかしそれは、認知症という病気によって引き起こされているものだと、作業療法士で認知症介護指導者の新岡美樹さんはいう。

新岡さんは、特別養護老人ホームノテふるさと(北海道札幌市)でスヌーズレン開発推進室室長として、重度認知症の入所者に対して、スヌーズレンを実践しているセラピストだ。

「認知症は、脳の大脳皮質にゴミがたまることが発症原因の1つと言われています。ゴミがたまって、感覚の処理がうまくいかなくなる。それで感覚が過敏になり、ちょっと触られてもとても不快に感じたり、反対に感覚が鈍くなって反応が乏しくなったりする。そんなバランスの悪さが、暴力や暴言を引き起こす原因の1つなのではないかと言われています」(新岡さん)

最近の認知症研究では、五感の刺激が認知症の症状を改善することがよく取り上げられていると、新岡さんは言う。

「海外では以前から、多重感覚刺激の効果についての研究が進み、ケアの現場で実践されています。例えば韓国では、すでにスヌーズレンについての研修制度が確立していて、有資格者が実施することが定められているそうです。

残念ながら日本では、認知症を対象にしたセラピーについて言えば、普及もまだこれからという段階です。

スヌーズレンは知識がないまま支援し、ただ部屋で過ごしてもらうだけでは十分な効果は得られません。

しかし、どのような感覚刺激がその方にとって有効かを探り、利用者に寄り添って支援していけば、一定の効果が得られるという手応えを感じています」(新岡さん)

特別養護老人ホームノテふるさと・スヌーズレン開発推進室室長の新岡美樹さん。スヌーズレンと出会えて、自分自身もセラピストとしての考え方が変わったという(ノテふるさと提供)
特別養護老人ホームノテふるさと・スヌーズレン開発推進室室長の新岡美樹さん。スヌーズレンと出会えて、自分自身もセラピストとしての考え方が変わったという(ノテふるさと提供)

いくつもの「快」刺激が重なるスヌーズレン

感覚刺激を活用したセラピーは、歌を歌ったり楽器を演奏したりする音楽療法や、自由に絵を描く絵画療法などがよく知られている。

このほかにも、懐かしい写真などを見ながら昔のことを思い起こして話をする「回想法」や、砂の入った箱の中に人や動植物、建物、乗り物などのミニチュアを自由に置くことで、そのときの思いを表現したり、遊んだりする「箱庭療法」なども、感覚刺激を活用したセラピーと言えるだろう。

スヌーズレンが、こうした感覚刺激を活用したセラピーの中でも、特に特徴的なのは、いくつもの「快」刺激の中に身を置くことができることだ。

では、いくつもの快刺激を受けることで、重度認知症の人にどんな変化があらわれるのだろうか。

新岡さんに、スヌーズレンを提供している利用者について聞いてみた。

スヌーズレンとは、オランダ語で「クンクンにおいをかぐ」という意味のSnuffelen(スヌッフレン)と「うとうとする」という意味のDoezelen(ドゥースレン)をかけ合わせた造語(ノテふるさと提供)
スヌーズレンとは、オランダ語で「クンクンにおいをかぐ」という意味のSnuffelen(スヌッフレン)と「うとうとする」という意味のDoezelen(ドゥースレン)をかけ合わせた造語(ノテふるさと提供)

明らかに表情が穏やかになった重度認知症の男性

一人は、「ダメだ」「助けて」「どうしたらいいんだ」と言いながら、施設のフロアを落ち着かない様子で歩き回る男性。肌への刺激が気になるのか、いつも着ている服を脱ぎたがるのだという。

スヌーズレンルームでは、まずゆらゆらと揺れるイスに座ってもらう。部屋には昭和の歌を流し、目の前のプロジェクターには男性が好むスイーツなど食べ物の映像を映し出す。

「肩が凝っているのでバイブレーターを肩に当てて振動覚、圧覚などを入れると、だんだん落ち着いてくるのですね。肩の感覚を調整しながらイスを軽く揺らしていると、『気持ちいいね』という言葉が出てきます。

何分かそうしていると、ご自分でバイブレーターを持って肩をほぐしはじめるのです。それがご本人にとって一番心地良い感覚なのですね」(新岡さん)

男性は日頃から、施設職員に「肩をもんであげようか」と声をかけるなど、もともと肩のマッサージに関心があることを、新岡さんは把握していた。

「肩への刺激を受け入れてくださったので、そのあとタクティールケアという両手でやさしく触れる触覚刺激のマッサージを、オイルを使って行います。そうして、その方に合う、気持ちよく過ごせる多重感覚の刺激を取り入れていくのです」(新岡さん)

様々な「快」刺激を受けながらスヌーズレンルームで過ごしていると、男性は混乱した状態が改善され、表情がどんどん和らいでいく。

最初は、言葉でのやりとりがほとんどできない状態だった男性。

しかし落ち着いてくると、食べ物の映像を見ながら、「おいしそうだね」と言い、「何が食べたいですか」という問いに「やっぱりお寿司だね」と答えるなど、会話も成立するようになる。

最後はいい笑顔も見られ、日頃介護している職員たちが見ると、その違いに驚くのだという。

フロアで介護しているときには見られない、いい笑顔がスヌーズレンによって引き出されることもある(写真は本文とは関係ありません)
フロアで介護しているときには見られない、いい笑顔がスヌーズレンによって引き出されることもある(写真は本文とは関係ありません)写真:イメージマート

40分間、イスに座って踊り、“推し活”する女性

もう一人は、「うるさい」と言いながらテーブルをバンバンたたき続ける女性。

スヌーズレンルームでは、以前、ファンクラブに入っていたという好きな歌手のライブ映像を見ながら、歌に合わせて両手を振り上げ、声を出し、“推し活”をし続けるのだという。

「スヌーズレンは約40分間行うのですが、40分間ずっと手を振り、声を張り上げて応援するのです。それも、ちゃんと映像の歌手の動きに合わせて。終わるころには涙を流して、『今日は良かった。今晩、寝られるかな』と言いながら、フロアに帰っていくのですが、ぐっすり眠れているようです」(新岡さん)

こうした変化を介護職員、看護職員と共有することで、ケア方法も見直されているという。

「この女性には、薬の調整より非薬物介入のスヌーズレンが効果的だという共通認識を得られました。それと、この女性はお風呂が好きではなかったのですが、入浴時にこの歌手の曲を介護職員に流してもらうことで、嫌がらずに入ってくれるようになりました。

居住フロアの職員とも、そうしてここでの体験の情報を共有しながら、よりよいケアを一緒に考えていけたらと思っています」(新岡さん)

“推し活”する若者たち顔負けの熱いエネルギーで、女性は40分間、手を振り声を出して、”推し”を応援し続けた
“推し活”する若者たち顔負けの熱いエネルギーで、女性は40分間、手を振り声を出して、”推し”を応援し続けた写真:アフロ

スヌーズレンは一般の人のストレス解消にも

好きな歌手のライブ映像は、居住フロアのテレビで見ることもできそうだが、なぜわざわざスヌーズレンルームで見るのだろうか。

「居住フロアでは、視覚的にも聴覚的にも刺激が多過ぎて、感覚処理がうまくいかない重度認知症の人は、好きな歌手の映像でも5分と集中できません。だから、スヌーズレンルームのように集中できる心地よい環境が必要なのですね。

あの環境が集中力を高め、ご本人にとって大事な“推し活”ができることが、良い効果をもたらしているのだと思います」(新岡さん)

新岡さんは今、ノテ福祉会と同じ「つしま医療福祉グループ」に属する日本医療大学の認知症研究所や、スヌーズレンの機器を開発している東洋大学と共に、スヌーズレンによる重度認知症ケアの研究を進めている。

「今後は、重度認知症の方のウェルビーイング向上に、スヌーズレンがどのような効果があるかなどを、明らかにしていきたいと考えています」(新岡さん)

スヌーズレンのセッションを行うとき、新岡さんは、利用者が好む感覚刺激をあらかじめ介護職員から聞き取り、どうすれば受け入れやすいかを考えた上で取り組んでいる。

セッションでは、感覚刺激を媒介とした会話や感情の共有など、セラピスト(支援者)の役割も非常に重要だからだ。

「そういう点では、誰でも気軽にできるセラピーではありません。それだけに、早く専門知識を持つ支援者による、効果的なスヌーズレンを広めていければと思っています」(新岡さん)

海外では、社内にスヌーズレンルームを設置し、一般社員のストレス解消に活用している例もあるようだと新岡さんは言う。スヌーズレンによる多重感覚刺激は、障がいや認知症のある人だけでなく、広く様々な人に対して、良い影響を与えられる可能性を秘めているのだ。

スヌーズレンが今後、世に広く普及していったとき、どのように活用されるのか。楽しみにしていたい。

介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士

高齢者介護を中心に、認知症ケア、介護現場でのハラスメント、地域づくり等について取材する介護福祉ライター。できるだけ現場に近づき、現場目線からの情報発信をすることがモットー。取材や講演、研修講師としての活動をしつつ、社会福祉士として認知症がある高齢者の成年後見人、公認心理師・臨床心理士としてクリニックの心理士、また、自治体の介護保険運営協議会委員も務める。著書として、『介護職員を利用者・家族によるハラスメントから守る本』(日本法令)、『多職種連携から統合へ向かう地域包括ケア』(メディカ出版)、分担執筆として『医療・介護・福祉の地域ネットワークづくり事例集』(素朴社)など。

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