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屋根まで浸水した川越の老人ホームは、なぜ全員が無事避難できたか

宮下公美子介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士
台風で浸水被害。多数の要介護者を抱える老人ホームはどう対応すべきか?(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

120人の入居者を2時間程度で移動

異常な降水量で、広範囲に浸水被害をもたらした台風19号。埼玉県川越市も、越辺(おっぺ)川の堤防が決壊し、浸水被害が広く発生しました。

その川越市で、特別養護老人ホーム「川越キングス・ガーデン」は平屋建ての棟では屋根に達するほど浸水し、周囲から完全に孤立するという被害に遭っています。

老人ホームでこうした被害が起きると、悲しいことにこれまでは犠牲になる方が出ることがありました。ケアをゆだねた施設で、大事な家族が災害の犠牲になるなど、考えたくもないことです。

しかし、この施設では一人の犠牲者を出すこともなく、全員を無事避難させることができました。なぜでしょうか。報道の情報から考えてみます。

施設はいつ異常に気付いたのでしょうか。

職員が浸水に気づいたのは13日午前2時ごろ。施設には当時、入居者ら約120人がいた。施設の介護福祉士正木一也さん(45)によると、ゴボゴボという音に職員が気づいた。「玄関などから水が入ってきて水位がどんどん上がった」

 20人以上の職員が総出で、移動に介助が必要な人を車いすやベッドごと平屋建ての棟から3階建ての別棟へ移動させた。水は平屋の壁の半分ほどの高さまで上がり、明け方には停電したという。

出典:朝日新聞DIGITAL 2019年10月13日18時26分

テレビのニュース報道では、この停電によりエレベーターが使えなくなり、職員が入所者を担いで2階に避難させたと伝えていました。

施設で深夜の夜勤帯に勤務する職員は、介護保険制度での人員配置基準でいえば、入居者120人規模の施設なら通常5人程度。20人以上の職員がいたということは、台風に備えて通常の夜勤者以外に多数の職員が泊まり込んでいたと思われます。この施設の災害対応への意識の高さを感じます。

同じくテレビニュースで、この施設の施設長が、年1回、避難訓練を実施していたことから、職員がスムーズに避難誘導を行うことができたと話していました。

避難の経緯についてはこのように報じられています。

この施設は以前も大雨が降った際に水につかったことがあったため、台風の接近に伴って市と定期的に連絡を取っていたということです。

施設の責任者からは13日午前3時ごろ「水位が上がってきたので2階建ての建物に避難を始めている」という連絡があったということです。

そして、午前4時ごろに市が連絡を入れた際には「全員避難を終えた」と話していたということです。

出典:NHK NEWS WEB 2019年10月13日 15時03分

その後、警察などにより、入居者は3階建て(NHK NEWS WEBでは「2階建て」と報道)の建物から順次救助され、13日夕方には、全員が近くの避難所に移っています。

今回の台風では広範囲に浸水被害が出ている(フリー画像*今回の台風による浸水の画像ではありません)
今回の台風では広範囲に浸水被害が出ている(フリー画像*今回の台風による浸水の画像ではありません)

日頃の備えが全員の無事避難を実現

120人もの入居者全員を、無事、スムーズに避難させた「川越キングス・ガーデン」。この施設の浸水被害対応を参考に、他の施設も災害時の対応をしっかり整備してほしいですね。

報道からの情報から、この施設が全入居者を無事避難させることができたのは次のような理由が考えられます。

  1. 年1回、避難訓練を行っており、避難の際の手順、職員が取るべき行動が身についていた
  2. 過去の浸水経験から、台風への危機意識が高かった
  3. 台風への対応について、行政と連絡を取り合っていた
  4. 異変に気づき、すぐに行動を起こした

特別養護老人ホーム、有料老人ホーム、認知症グループホ-ムなど、多数の要介護者をケアする入居施設では、災害時に入居者をどのようにして安全に避難させるかについて、常日頃からその対応を考え、備えておく必要があります。

2017年には、「水防法・土砂災害防止法」が改正され、浸水想定区域や土砂災害警戒区域内の「要配慮者利用施設」の管理者には、避難確保計画の作成と避難訓練の実施が義務付けられています。「要配慮者利用施設」とは、老人ホームなどの社会福祉施設や学校、医療施設等を指しています。

国土交通省では、避難確保計画作成の手引きを「要配慮者利用施設の浸水対策」のサイトで公開しています。

しかし、全国にある要配慮者利用施設6万7091施設のうち、2019年3月末現在、避難確保計画を作成しているのは、その3分の1程度の2万4234施設にとどまっています。

「全員無事避難」には管理者以下職員全員の強い思いが必要

避難確保計画作成が義務化される以前、入居者8人のある認知症グループホームで災害時の避難対応の話になった時、「夜勤の時、職員はたった1人です。8人の要介護者を全員無事に避難させるのは、実際には無理ですよ」と管理者がつぶやくのを聞いたことがあります。

管理者の災害対応の発想が「全員無事避難は無理」という前提では、職員も「無理だろう」と考えます。これでは、全員を無事避難させるのはまず不可能です。

そうではなく、「どうすれば全員を無事に避難させることができるか」という前提で、知恵を出し合う必要があります。あるグループホームでは、近隣住民と話し合いを重ね、災害時には避難に協力してもらう約束を取り付けました。

また、近隣住民と日ごろから密な関係を築いている別のグループホームでは、浸水被害の恐れがあるとき、反対に、やや高台にあるそのグループホームに住民が避難してくるようになりました。「ここに来れば安心だから」と住民たちは言っているそうです。住民との間にこうした信頼関係があれば、災害時、相互に助け合いながら避難のすべを確保できそうです。

いざというときに、管理者が指示しなくても各職員が声を掛け合い、スムーズに動けるレベルまで訓練を重ねることも大切です。また、職員全員が、「絶対に全員で無事避難する」という強い思いを共有することも必要です。

ラグビーワールドカップでは、選手全員が「絶対に勝つ」という思いを共有し、規律を守る動きが体に染みつくほど練習を重ねたことで、決勝トーナメント進出という一つの目標を達成しました。

「川越キングス・ガーデン」では毎年の訓練によって、「全員で無事避難」という思いを共有し、自然に体が動くまでの備えをしていたのではないでしょうか。

平時の「川越キングス・ガーデン」(「川越キングス・ガーデン」フェイスブックより引用)
平時の「川越キングス・ガーデン」(「川越キングス・ガーデン」フェイスブックより引用)

この老人ホームの災害対応から学ぶべきこと

もちろん、地震や火事のような突発的な災害では、どれだけ備えても、十分な対応を仕切れないことがあるかもしれません。しかし、今回の台風のように、あらかじめ被害が想定される災害であれば、事前の準備で被害を軽減することは可能なはずです。

過去の教訓を活かすことも重要です。浸水被害、地震での被害を受けたとき、何が課題となったのかを検証し、それに備える体制を整える。これを繰り返していけば、様々な災害への対応力が高まります。

この施設では、おそらく、行政との連絡を取ることの重要性も感じたのでしょう。避難開始の際に連絡を入れるなど、非常事態にもかかわらず適切に連絡を取っています。行政との情報交換は、その時々の浸水状況や救助の状況を把握するのにも役立ったことと思われます。

そして、特筆すべきなのは、異常を感じた際の対応が迅速だったことです。深夜2時ごろに異常を感じて避難を開始し、エレベーターが使えなくなったにもかかわらず、午前4時には避難を完了しています。

異常に気づいて即行動を起こすことは、平時に考えると簡単なように思えます。しかし、実際には行動の結果を恐れて決断に時間がかかったり、手順に迷ったりするものです。迅速な対応ができたのは、対応フローが明確化され、それが訓練で身についていたからだと思われます。

そもそも、要介護の高齢者を移動させるのは、健康な人を移動させるのとは全く違います。それぞれの心身の状態を十分に把握した上で、誰から順番にどのようにして移動させるかなど考慮すべきことが多く、備えがなくてはスムーズに行うのは難しいものです。

今回、入居者120人規模の特別養護老人ホームでも、日頃の備えがあれば、こうして全員の無事避難を実現できることが明らかになりました。

入居施設関係者には、これまで「全員の無事避難は無理かもしれない」と、災害対応に、内心、消極的だった方もいるかもしれません。しかし、入居者にとっては職員が命綱です。「川越キングス・ガーデン」の災害対応を参考に、自法人の施設で「どのようにすれば、『すべての』入居者を無事避難させることができるか」を真剣に考えてほしいと思います。

異常気象が年々、顕著になっており、これからもこうした被害は増えていくのかもしれません。避難確保計画が立てられているか、効果的な避難訓練が行われているかなども、今後は老人ホーム選びの視点に加えていくことが必要になりそうです。

最後になりますが、被災者の方々は今も、大変つらい状況のさなかにあることと思います。一日も早く、元の生活を取り戻すことができますようお祈り申し上げます。

介護福祉ライター/社会福祉士+公認心理師+臨床心理士

高齢者介護を中心に、認知症ケア、介護現場でのハラスメント、地域づくり等について取材する介護福祉ライター。できるだけ現場に近づき、現場目線からの情報発信をすることがモットー。取材や講演、研修講師としての活動をしつつ、社会福祉士として認知症がある高齢者の成年後見人、公認心理師・臨床心理士としてクリニックの心理士、また、自治体の介護保険運営協議会委員も務める。著書として、『介護職員を利用者・家族によるハラスメントから守る本』(日本法令)、『多職種連携から統合へ向かう地域包括ケア』(メディカ出版)、分担執筆として『医療・介護・福祉の地域ネットワークづくり事例集』(素朴社)など。

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