戦争体験の風化への答え 「沖縄・慰霊の日」に感じた希望

沖縄本島北部・本部町八重岳、ここに国頭支隊の野戦病院があった。(筆者撮影)

雨の中の「慰霊の日」

6月23日は沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」。筆者が沖縄に住んでいた4年間も含めるとこの日を沖縄で迎えるのは8回目となった。沖縄は例年だと6月20日頃から真夏の天気になり、強い日差しの照りつける中で祈りや慰霊の式典が行われる。今年は、梅雨明けが遅れていて、時折土砂降りの雨が吹き付ける荒れ模様の中での「慰霊の日」となった。

屋外の慰霊の塔前での式典は風雨のために中止になった(沖縄県立名護高校・筆者撮影)
屋外の慰霊の塔前での式典は風雨のために中止になった(沖縄県立名護高校・筆者撮影)

私は、今回摩文仁や糸満市内など南部ではなく、初めて北部での慰霊の式典に参列した。県立名護高校で行われた「南燈慰霊之塔 慰霊祭」だ。

現在の名護高校の母体となる旧制沖縄県立第三中学校と同じく沖縄県立第三高等女学校の生徒、卒業生で、満州事変以降戦場で死んだ人々を追悼するもの。三高女からは、山中の陸軍野戦病院に看護助手として10人が動員され、一人が亡くなっている。

また沖縄戦で旧制三中の高学年の生徒たちの多くが鉄血勤皇隊の少年兵として動員され、37人の戦死者を出している。

荒れ模様の天気のため屋外の慰霊塔前での式典ができず、急遽用意された室内での式典になった。

旧制中学校、高等女学校から新制高校になってからの卒業生と教職員、生徒たちおよそ二百人が出席していた。

私は、長年にわたって沖縄戦の劇画を描き続けている新里堅進さんに誘われて、かつて若者たちが苛烈な体験をした現場である本部町八重岳の戦跡をめぐったあと、慰霊祭に参加させていただいた。

慰霊祭で献花する人々(筆者撮影)
慰霊祭で献花する人々(筆者撮影)

戦争体験の風化

戦後74年という歳月は、沖縄戦、あるいは戦争の継承ということにおいてどういう意味があるのだろうか。いま、誰もが慰霊の言葉を口にするとき、戦争体験者が少なくなってきていると述べる。私自身、10年以上前から戦争体験を次世代につなぐ活動を続けて来ている。ただ、戦争体験を伝える上ではっきりとした「解」は、今もわからない。

むしろ何をしても戦争体験の風化は止めることはできないのではないかと焦りが募って来ていた。先月ビザなし交流で国後島を訪れた35歳の丸山穂高衆院議員(当時日本維新の会所属)が、「北方領土を取り戻すのに戦争しかないのでは」と人前で公言したことを聞いて、戦争の持つ殺害と破壊という不可逆性がなぜ議員になるような若者の心に届いていないのかと暗澹たる思いを抱いた。

その風化に対して若者は

でも、昨日の名護高校での慰霊祭での言葉を聞いて、そして会場で配られた新聞の号外で摩文仁での沖縄全戦没者追悼式で小学6年生の山内玲奈さんの詩を目にして、若者が戦争についての知識を得た上で戦争と戦争が奪ったこと、平和とは何かに強く想像力を働かせようとしていることに希望を持ったのだった。

以下は、名護高校の生徒代表、座間味じゅんやさんの慰霊の言葉。

米軍による住民や日本兵が潜んでいた壕への無差別な火炎放射攻撃、あるいは味方の日本軍が捕虜になるなら集団自決することを住民に促していたことに言及して、

「両軍を狂気に追い込み、この小さな島を戦場にしたのは戦争です。終戦から74年経った今も悲惨で残酷な戦争の実態を語り継いで、平和の振興に力を尽くす方々がいます。私たちが今幸せに暮らせているのは、平和のための絶え間ない努力のおかげなのです。しかしながら、戦争体験者が年々減っていく中、戦争について知らない世代が増えています。沖縄戦を風化させず語り継いでいくことは、世界が平和で幸せであるための私たちの使命なのです。」と述べて、自分たちが戦争を語り継ぐ決意を示した。

生徒代表で慰霊の言葉を述べる座間味さん(筆者撮影)
生徒代表で慰霊の言葉を述べる座間味さん(筆者撮影)

語り継ぐ決意を語った小学生

この式典の時、名護高校の会場では沖縄タイムスの「慰霊の日特別号」の号外が配られた。そこに掲載されていた、全戦没者追悼式で小学6年生の山内玲奈さんが朗読した詩も心打つものだった。やはり、語り継がれてきた戦争体験を自らのものにしながら、思い切り想像力を伸ばした言葉になっていたのだ。

山内玲奈さん(糸満市立兼城小学校)「本当の幸せ」から一部を抜粋させていただく。

 青く澄みわたる空

 この空は

 どんなことを思ったのだろうか

 緑が消え街が消え希望の光を失った島

 体が震え心も震えた

 いくつもの尊い命が奪われたことを知り

 そんな沖縄に涙したのだろうか

さらに詩の途中にこうある。

 

 体験したことはなくとも

 戦争の悲さんさを

 決して繰り返してはいけないことを

 伝え継いでいくことは

 今に生きる私たちの使命だ

沖縄全戦没者慰霊式典での山内玲奈さんの詩の朗読

戦争を伝えるために今だからできることを

この慰霊の日の二人の若者の言葉は、私たちがやるべきことを指し示してくれたような気がする。こうした若者の心を広く届けて若い世代をつなぐためにデジタルを始めあらゆる手立てを使うということだ。

昨日、八重岳をともに巡った新里堅進さんの描いた沖縄の女子学徒の物語を舞台化してこの夏東京の俳優座で上演すべく制作に動き始めた。

沖縄戦を描き続ける新里さんと八重岳の戦跡を巡った
沖縄戦を描き続ける新里さんと八重岳の戦跡を巡った

NHKが「#(ハッシュタグ)あちこちのすずさん 」というキャンペーンを始動させた。すずさんは、映画「この世界の片隅に」の主人公。すずさんをキービジュアルに、SNSなどを舞台に若者に身近な人の戦争体験を集めて投稿してもらい、投稿されたエピソードを様々な番組にしようというもの。

NHKによる「#あちこちのすずさん 」の取り組み

私が所属するYahoo!ニュースもこれに連携、同じ世界観を活用して戦争体験を収集してアーカイブすることにした。戦後74年、「戦争体験の風化」を社会課題として捉えて多くの若者に自ら動いてもらうムーブメントを起こすことが狙いだ。

Yahoo!ニュース、「#あちこちのすずさん」の取り組み

あらゆるデバイス、プラットフォームを活用して戦争体験を風化させずに未来につなぐ、まだ手遅れではなく、今だからできることがたくさんある。そして、そのことにはっきりと気づかされたのが今年の6月23日だった。