文武両道を貫く王者候補。その名はピカソ

　前世界バンタム級４団体統一王者の井上尚弥（大橋）が進出するスーパーバンタム級。タイトル承認団体で最大勢力を誇るＷＢＣ（世界ボクシング評議会）で現在３位にランクされるアラン・ダビ・ピカソ（メキシコ）にスポットライトを当ててみたい。ピカソ（22歳）に関して調べたり、メキシコ人の記者にたずねたりすると、「メキシカンスタイル」と呼ばれる同国のボクサーの中では異彩を放っていることがわかる。それは天才芸術家と同じ苗字を持つ偶然だけではない。

　アグレッシブな戦法が尊ばれ、時にはバイオレンスの渦中に身を置き、豪快な性格が多いメキシカンボクサー。その中でピカソは典型的な文武両道を貫くプロスペクト、世界王者候補である。リングの世界で規律に厳格で妥協しないトレーニングに没頭するとともにメキシコ国立自治大学（ＵＮＡＭ）で科学全般にわたって学問にいそしむ学生の一面を持つ。学士ボクサーはメキシコでも珍しい存在ではない。だが彼は頭脳明晰であるだけではなく、専門分野は生物学、体の器官の働きを研究する生理学、薬学から物理学にまで及ぶ。ＵＮＡＭの関係者に聞いたところ、彼が学ぶ学部は新しく、イノベーションとして注目を集めているそうだ。そして「大義名分は人間の健康をサポートすること」（同関係者）だという。

パワーアップして一気に躍進中

　ボクシングと最先端のサイエンス。二足のワラジを履くピカソはこれまで24勝13ＫＯ１分無敗。2017年３月にプロデビューした当時から2020年あたりまでは判定決着が多く、パワー不足と線の細さが指摘されたりもした。しかし最近６試合連続ストップ勝ちとその不安を払しょく。昨年４月にＷＢＣ傘下のＮＡＢＦ（北米連盟）スーパーバンタム級王者に就いた。元世界４階級制覇王者エリク・モラレス氏の特別コーチが効果的だとも言われる。

　パワーアップと総合力の向上に磨きをかけるピカソ。メキシコの映像メディア「ラ・エスキーナ・デル・ボクセオ」のエドムンド・エルナンデス記者は「来年には世界チャンピオンになると思う」と語る。そして「すでにピカソの知名度は何人かのメキシコの世界チャンピオンを上回っている」と明かす。その理由は学生としてもボクサーとしてもソーシャルメディアを有効に活用しているからだという。

ネリとＳＮＳで張り合う

　ソーシャルメディア（フェイスブック）ではあの男、ルイス・ネリ（メキシコ＝ＷＢＣスーパーバンタム級２位）とのバトルが勃発。上位ランカー同士の対決ムードが高揚している。メキシコシティ出身のピカソがティファナのジムで練習するネリに刺客を送り込んで脅した――。そうエルナンデス氏は話すが、これはネリがパブリシティー効果を狙って広言したもので、真実ではないと思われる。そんな事が起こったら大事なキャリアに重大な傷がついてしまう。

　同記者はネリｖｓピカソは、すぐには実現しないと見ている。両者はメキシコで同じプロモーション（サンフェル・ボクシング）にプロモートされ、潰し合いは回避したい思惑があるからだ。それでもいずれ２人は戦うだろうと同記者は太鼓判を押す。ＷＢＣは、７月25日に有明アリーナでＷＢＣ・ＷＢＯ世界スーパーバンタム級統一王者スティーブン・フルトン（米）に挑む井上を１位に抜擢している。フルトンに勝った井上が、後述する挑戦者決定戦をモノにしたピカソを相手に防衛戦に臨む未来の展望が見えてくる。

　もう一つ、ピカソが寵児となっている背景には出身地が関係する。2000年７月22日メキシコシティの中心部に近い、物騒なことで有名な「テピート」で生まれたピカソは生存競争にもまれてサバイバルしながら成長した。同郷にはサッカーの元メキシコ代表選手で、“クアウテミージャ”という珍技を考案したクアウテモク・ブランコがおり、元世界王者など強豪ボクサーの産地としても有名な場所である。そこから這い上がり、学業でも一目置かれることが彼のカリスマ性を増幅する。

八面六臂の人生

　ちなみに自身もＵＮＡＭを卒業したエルナンデス氏は「彼はボクシングで得た収入を勉学に投資している」と考察する。ピカソ本人もメキシコ紙のインタビューで「ボクシングはビジネスだ。お金を貯めて、いずれは科学とテクノロジーの会社を設立したい」と明かしてはばからない。

　この姿勢は「ボクシングを道具として考えている」と指摘されても反論できないかもしれない。だが他方でピカソはメキシコの「ＳＩＮＤＥ」という非営利団体が初めて契約したアスリートとして、才能に恵まれながら資金不足や負傷などが災いしてキャリア続行を断念せざるを得ないボクサーやアスリートたちに就職を斡旋する事業にも就いている。これはスペインのスポーツ紙「ＡＳ」のメキシコ版が伝えた。

　まさに八面六臂。メキシコのスポーツ紙「レコード」によれば、３年前にはＮＡＳＡ（アメリカ航空宇宙局）が招集した特待生候補の一人に挙がったという。これもメキシコ教育界の最高峰で学ぶバックグラウンドが影響したのだろう。それでも彼はボクサーのキャリアを優先した。それが正解だったことは、この３年間で証明されている。

複数階級で４団体統一の野望

　“レイ・ダビ”（ダビド王）のニックネームを持つピカソの最新ファイトは３月４日、メキシコ・ユカタン半島のメリダで行われた。相手の中堅選手ケビン・ビジャヌエバ（メキシコ）に対し２ラウンドからペースを握ったピカソは６ラウンド、左ボディー打ちでダウンを奪い、この回１分26秒ＴＫＯ勝ちを飾った。

　試合が近づくと講義はオンラインで受講しているというピカソは、メキシコシティでトレーニングを行うと同時に積極的に出げいこに行っている。上記のようにモラレス氏の指導を受けるため米カリフォルニア州と国境を接するティファナに出かけ、同じく北部ソノラ州エルモシーヨでは“ガジョ”ことフアン・フランシスコ・エストラーダ（メキシコ＝ＷＢＣ世界スーパーフライ級王者）らを擁するアルフレド・カバジェロ・トレーナーに弟子入り。そしてレジェンド、元３階級制覇王者フリオ・セサール・チャベス氏（メキシコ）から個人的なアドバイスを受けていることも見逃せない。チャベス氏とは最近、テレビコマーシャルで共演。知名度アップの一因になっている。

　バックアップ体制も整い、ＷＢＣがリクエストしたスーパーバンタム級挑戦者決定戦は入札でサンフェル・ボクシングが20万500ドル（約2600万円）を提示して落札。米国のＴＧＢプロモーションズを抑えてライース・アリーム（米＝ＷＢＣ４位）戦の興行権を獲得した。アリームは難敵だが、モンスター井上の背中が見えてきたと言えるだろう。

　ナイーブそうな外見とは裏腹にピカソの野望は果てしなく広がる。

　「５年以内にスーパーバンタム級で４団体統一チャンピオンになり、フェザー級とスーパーフェザー級でも同じ偉業を達成したい」

ノーベル賞を目指す

　彼が大願成就するためには井上は避けては通れない巨大な関門になりそうだ。近い将来「井上ｖｓピカソ」の文字がメディアをにぎわすことになるかもしれない。さらに学業の分野では「プロボクサーとして初めてノーベル賞を受賞したい」と発言。熱意に燃える。

　いよいよキャリアの正念場を迎えるピカソのもう一つの夢はＵＮＡＭの敷地内にあるエスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ（1968年メキシコ・オリンピックのメイン会場）で満員の観衆を前にリングに上がること。それは尊敬するチャベスが1993年、同じメキシコシティのアステカ・スタジアムに13万人の観衆を集めボクシングの最大観衆記録をつくった過去に対抗することを意味する。

　巨匠パブロ・ピカソの名言の中に「できると思えばできる、できないと思えばできない。これは揺るぎない法則である」というものがある。メキシコの22歳の士気が高ければ高いほど目標に近づくのではないか。モンスターの新たなライバルになりそうな俊英から目が離せない。