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海外スポーツビジネス挑戦の苦労を楽しむ~ポルトガル・サッカーリーグ・アナディアFCの中村彰会長

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
学生を前に熱弁を振るうポルトガル・アナディアFCの中村彰会長=筆者撮影

 ヨーロッパ・サッカーにチャレンジしているのは、何も日本人選手だけではない。ポルトガルのサッカーリーグ3部のアナディアFCの中村彰(あきら)会長もそうだ。一時帰国した49歳会長がこのほど、日本体育大学の横浜・健志台キャンパスで、特別講義を開催。「苦しみながらも何かの成果を得ていくのは楽しい。夢に挑戦し、新しい価値の創造を」と熱弁をふるった。

 スポーツマネジメント学部のゼミナールの一環で、「グローバルなスポーツビジネスに挑戦するオモシロさ」というテーマだった。ラフな白いワイシャツ姿。小麦色の肌の中村さんは2020年10月、アナディアFCの経営権を獲得し、1年前に家族(妻と8歳、5歳の男の子)と共にポルトガルに居を構えた。苦労続きで、この1年、ゆっくり眠れたのは「365日のうち、4、5日」という。「人生で一番濃い1年間だった」と言葉に充実感を漂わせる。

 「いわば非日常の連続です。これまでと文化も違えば、人間性も違う、言葉も違うし、コミュニケーションも金銭感覚も違う。すべて違うけど、それを乗り越えて現地の人と信頼関係が生まれればオモシロい。人がやっていないことにチャレンジする、海外にチャレンジする、それって心が弾みだすんです」

 中村さんは愛知県生まれ。3歳からサッカーに熱中し、小学校の卒業文集には「夢のプロサッカー」と題した一文を書いた。当時、東京であった欧州と南米のリーグ優勝クラブ同士の世界一決定戦「トヨタカップ」に刺激されたそうだ。<サッカーが大好きです>と冒頭に書き、こう綴られている。<将来、サッカーのプロになりたい。プロになって、日本だけでなく、ブラジルやフランス、ヨーロッパとか、サッカーの盛んな国でプレーしたい>と。

 愛知・刈谷高―早大と進み、川崎フロンターレのプロ選手となった。ただ怪我もあって、2年で現役引退。親会社の富士通で働き、川崎フロンターレのスタッフとなった後、サッカーを離れて中堅の建築会社で10数年働いた。

 中村さんは「仕事をするって何だろう」と学生に問いかけた。教室がざわつく。

 「最終的に、会社から給料をもらうのは、お客さんがおカネを会社に払って、僕らが仕事をし、それがビジネスとして回っているわけ。人っておカネを払うのは基本的にうれしい時でしょ。つまり、仕事って、うれしさをお客さんにどこまで提供できるのかということ。僕は、“おカネを払うための喜びって何だろう”っていつも考えながら仕事をしてきた」

 中村さんは建築会社に勤務しながら、「いつか、もう一回サッカーに関わる仕事をしたい」とずっと考えていたという。願えば叶う。45歳で建築会社を離れ、知人とサッカー関連会社と建築コンサル会社を立ち上げた。

 その後、コロナ禍でヨーロッパのほとんどのクラブがスポンサー集めや経営に苦労している時、中村さんはあえて、ポルトガルのアナディアFCに投資することを決めた。アナディアはポルトガル中部に位置するブドウ農園や歴史建築物がある街で、アナディアFCは1926年創立の伝統のあるクラブ。「街の社会の一部として、そのサッカークラブがある」と説明する。

 ポルトガルはさほど裕福な国ではない。何度かだまされた。「ごまかす、ウソをつく人が多い。僕の目を見て、“俺を信用しろ”という人ほどウソをつく」と笑う。でも、誠実、かつ真摯に仕事をし続けていたら、まじめな人が寄ってきた。人脈も広がっていく。「地元に愛されるクラブにしたい」としみじみと漏らした。

 クラブ経営は投資と似ている。「ステップアップ・リーグ」と言われる3部のクラブにはアフリカや南米の若手が集まってくる。いわばショーケース。ここで成長し、2部、1部のクラブ、あるいは海外のビッグクラブに移籍していく。この移籍に伴う金銭が結局、クラブを潤すことになる。だから、選手の価値も、クラブの価値も、常に拡大を目指している。

 学生から、世界で活躍するビジネスパーソンに必要なことは?と聞かれると、中村さんは即答した。「ウソをつかない。がんばる。負けても弱音を吐かない。なんとか努力する。考える。苦難を乗り切る力かな」。では、学生時代にやるべきことは?

 「英語を勉強しよう。ほかの勉強も。僕の後悔のひとつは学生時代、サッカーばかりで、勉強をほとんどしなかったこと」

苦笑いを浮かべ、こう続ける。

 「(大学時代)いろんなことをインプットするのがとても重要。みなさん、今はお金を払って勉強しているじゃないですか。社会人になったら、反対におカネをもらう。その時、おカネをもらうために、自分が何を提供できるか、なのです。今、親がおカネを払っているのに、何も勉強で得られていないというのなら、おカネをドブに捨てているようなものだよ。社会人になると、仕事に忙殺されて勉強できなくなる。だから、今はゼミの研究や大学の勉強を通し、人脈を広げたり、何かをインプットしたりしてほしい」

 座右の銘は?

 「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)。つらい思いをしても、あきらめずに、どんどん前に進んでいくこと。僕は順風満帆な人生ではなかった。でも、人生、負け勝ち、最後には勝つんだ」

 そういえば、中村さんは先日、早大サッカー部の先輩にあたるサッカー日本代表元監督の岡田武史・FC今治会長から話を聞いた。学んだことは?と聞けば、「覚悟」と言った。

 「覚悟があれば、いい人が集まってくる。僕も本音を言えば、もう後戻りできない。突っ走るしかない。やるしかない」

しばし、沈黙。こう、漏らした。

 「アナディアをポルトガルのFC今治にする。地元と密着して、社会性のあるクラブとなって、地元の誇りにもなって、市民と一体化した存在にならないといけない」

 チャレンジングな人生はワクワクする。就活に臨む学生に対して、何事かに熱中すること、チャレンジすること、やりたいことを探すこと、くじけず目標達成までやり続けること、そういったことの貴さは伝わっただろう。グローバルなスポーツビジネスのオモシロさも。

 【中村彰(なかむら・あきら)】1973年、愛知県生まれ。中学・高浜FCジュニアユースー愛知・刈谷高―早大で活躍し、川崎フロンターレに入団。24歳で現役引退、富士通入社。川崎フロンターレのスタッフをした後、建築会社「NENGO」勤務。45歳で退社後、建築コンサル会社を設立。2020年10月、ポルトガル・リーグ3部のアナディアFCの経営権を取得。同FCの会長となる。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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