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混迷の東京五輪の光と影とは。分断の閉会式で考える。

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 異例尽くめの東京五輪が8日夜、無観客の閉会式でしずかに閉幕した。何事にも光と影がある。「テレビショー」と化した式典に現場で目を凝らすと、新型コロナ下ならではの『分断』『矛盾』『カナシミ』が見えてきた。

 午後8時、式典が始まった。開会式の時に国立競技場の外から記者席に届いていた五輪の抗議デモのシュプレヒコールが聞こえてこなかった。なぜかといえば、この日は競技場周りの規制エリアが拡大されていたからだった。国立競技場周りの道路はブロックされていた。閉会式の始まる前、規制区域のフェンス際では、歩いている人が警察に対し、「なぜ規制するのだ」との怒りをぶつけていた。

 参加国の国旗が入ってきた後、午後8時20分、競い合った選手たちが、競技場の4カ所の角のゲートから続々と入場してくる。演者たちの通り道を確保するためか、コロナ感染予防として選手間の距離を保つためか、芝生のフィールドは3つのエリアにボランティア・スタッフの壁で分断され、ひとつに交わることはできなかった。1988年のソウル五輪からすべての夏季五輪を取材してきたけれど、閉会式での各国選手入り乱れての入場はひとつになるものと思っていた。

 五輪運動とは、国際平和の建設に寄与することである。その象徴として、世界のトップ選手たちが五輪に集い、戦い、交流する。そういえば、選手村でもコロナ感染対策として、選手同士の交流は極力、避けられた。

 午後8時40分、すべての参加選手が入場し終わった。でも他国の選手とひとつになって踊ることはできない。ほとんどの選手がマスクをしていたが、それを外している選手の姿も。

 日本選手団は赤いウエア。この日試合を終えたばかりの銀メダルの女子バスケットボールチーム(これは快挙!)は肩を組んで閉会式を楽しんでいるようだった。日本は史上最多の金メダル27個を獲得し、銀14個、銅17個を合わせた総メダル数58個も史上最多だった。1年延期の中、とくに「地の利」は大きかっただろう。

 例えば、金メダルを量産した柔道(9個)、レスリング(5個)の日本代表選手は選手村には入らず、五輪期間中も、施設の充実したナショナルトレーニングセンター(NTC)を拠点としていた。

 取材した金メダルシーンでいえば、五輪至上主義とは無縁のスケートボードの若手選手たちの関係性や競技を楽しむ姿は新鮮だった。

 さて閉会式の続きだ。時折、テレビ向けに中継されている映像が場内の2つの大型ビジョンに映る。国立競技場の屋根から大量の光の粒がフィールドに降り注ぎ、渦を巻きながら空中に浮かび上がると、五輪のマークに変わるという演出があった。これは中継映像用のCGで、現場にいると、何もわからない。

 「光のショー」もしかり。競技場の選手たちのためではなく、世界のテレビ視聴者のためである。それでは、選手たちは退屈するに決まっている。式典が進むにつれ、帰る、帰る、選手が帰る。

 演出のメッセージは正直なところ、よくわからなかった。コンセプトは『多様性』と『調和』か。和太鼓演奏やソロダンスなど、その世界の第一人者によるパフォーマンスがあった。大型ビジョンでは、全国各地の祭りが紹介されていく。

 1964年東京五輪の入場行進の曲だった坂本九さんが歌う名曲『上を向いて歩こう』も流れた。あぁノスタルジー。昼間にあったマラソンの表彰式も行われた。

 次の2024年パリ五輪の紹介の演出は、ライブのパリの映像が流れた。エッフェル塔広場に大勢の人たちが集まり、柔道の国民的スター、リネールらメダリストが祝福を受けているシーンが映し出された。空軍のアクロバット隊が大空に「トリコロール(三色旗)」を描く。リオ五輪の閉会式での”安倍マリオ”と違い、経費は安価、効果は抜群である。うまいものだ。

 午後10時、東京五輪パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長が「みなさんは困難を乗り越えた本物のオリンピアンです。どうかこの景色を忘れないでください」と呼びかけた。

 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長のスピーチがつづく。よかった。バッハ会長の演説は開会式の半分の8分弱だった。開会式で連発した「ソリダリティ(Solidarity=連帯)」という言葉は3度しか出てこなかった。

 バッハ会長のスピーチが始まると、帰る、帰る、選手がどんどん帰る。もうフィールドに残っている選手は、開催国の日本選手など、入場した選手の4分の1程度か。おそらく、テレビの中継には選手不在のガラガラのフィールド、芝生に寝転んでいる選手の姿は映されてないだろうが。

 そういえば、バッハ会長は記者会見では、「東京五輪は成功」と強調した。テレビの五輪視聴率の高さに触れ、「日本人は大会の開催を非常に受け入れている」とのたもうた。詭弁だろう。国民はスポーツに興味を持っているだけで、視聴者全員が東京五輪そのものを受け入れているわけではない。

 午後10時15分。聖火の火が消えた。閉会式のメッセージは何だったのか。東日本大震災からの復興絡みの演出がもう少し、あってもよかった。あるいはもっとシンプルな式典をして、新たな時代の「コンパクト五輪」をアピールしてもよかった。

 閉会式からの帰途、国立競技場の外の道路から、唐突に抗議デモのシュプレヒコールが聞こえてきた。規制が解除されたのか。「命を返せ~」。期間中、新型コロナの感染者数は増え続けた。感染対策をとりながらも、五輪関係者も連日、新型コロナに感染していた。

 菅首相も、バッハ会長も、「東京五輪と感染拡大は無関係」と言い続けた。何の検証もせず、都合のいい解釈を押し通す。事実としても、心情としても、人流を促進させる東京五輪が感染拡大と無関係であるはずがなかろう。

 国立競技場周りの規制エリアの外には大勢の人々でごった返していた。花火だけでなく、閉会式の様子を少しでもいいから垣間見たいのだろう。少しでも近づき、祭典の雰囲気を共有したいのだろう。

 五輪期間中の競技場の周辺にも、カメラやスマホを持った人々の姿が多々、あった。わずかな規制フェンスの隙間から競技会場の内の様子を見ようとする。これって、本能か、好奇心か。新型コロナゆえの無観客は仕方ない判断だった。是非はともかく、無観客は、東京五輪の価値を半減させた。

 政府と東京都は、この国家的プロジェクトのため、8年の歳月と3兆円といわれる巨費を投じてきた。費用対効果はどうだったのか。この五輪は日本に何をもたらしたのか。だれが得して、だれが損したのか。

 どう転んでもIOCはぼろ儲けの構図が出来上がっている。東京五輪が莫大な赤字を抱えることになれば、我々の税金も使われることになろう。1千数百億円をかけて造った国立競技場の年間維持費は約24億円と言われている。こういった五輪関係施設は「負のレガシー(遺産)」になるかもしれない。

 この五輪は、準備段階でトラブルが続出した。今年に入っても、東京五輪パラリンピック組織委員会の森喜朗会長ほか、開閉会式の演出担当者が不祥事で辞任した。1年半前、安倍晋三首相(当時)は「完全な形で開催する」とのたもうて、東京五輪の1年延期をごり押しした。その結果、どうだったのか。いつも責任の所在があいまいなのだ。

 この猛暑にあって、バッハ会長のいう「最適の時期」とはとても思えない。果たして「安心安全」な大会だったのか。菅首相の言っていた、「コロナに打ち勝った証」って何なんだ。なぜ、緊急事態宣言下の東京で開催したのか。矛盾では。どだい、東京五輪の理念とビジョンは最後まで明確には提示されなかった。

 今月24日には、東京パラリンピック大会が開幕する。この状況だと、またも無観客となるだろう。各会場が観客のいないカナシミにあふれることになる。

 国民の東京五輪開催の賛否は分かれた。五輪運動が結果として、人々の分裂を生んでいる。確かにアスリートが全力で挑戦する姿は尊い。素晴らしかった。

 だが自分を棚に上げて言えば、メディアは東京五輪開催となれば、批評精神はどこへやら、アスリート賞賛を無邪気に報道し続けた。スポーツの持つ力を伝えようと、感動の涙、悔恨の涙をリポートした。ある種のジレンマを抱えながら。それが平和と友好という理念の実現にどう貢献するのかも伝えないといけない。

 五輪会場をあちこち回り、運営のスタッフ、ボランティアの頑張りには頭が下がる思いだった。ありがとうございました。また全国各地から動員された地方の警察たち、ドクターや医療従事者の献身的な仕事ぶりにも敬意を表すべきである。

 心配するのは、人々が五輪に冷ややかになることである。今回、IOCの商業体質やバッハ会長の厚顔さは知られることになった。政治、ビジネスに取り込まれ過ぎている五輪はもう、日本で開催する必要はない、との声が広がらないだろうか。

 2019年のラグビーワールドカップ日本大会は本当に盛り上がり、はやくも再招致の話が出ている。では、五輪はどうか。この分だと、2030年冬季五輪の招致を目指している札幌市の活動にも悪影響を与えることになるかもしれない。

 結局、この東京五輪は成功だったのか、失敗だったのか。何を持って成否を判断するのか。我々はまず、いろんな視座から、五輪準備の過程や結果をきちんと検証して記録する必要がある。とくにメディアが、だ。

 そして、10年後、20年後、あるいは30年後、国民によって、歴史のひとコマとして最終的に判断されることになる。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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