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銀メダルの女子日本代表。162センチの司令塔、町田瑠唯が示したバスケットの美徳とは。

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
女子バスケットボール決勝戦で奮闘する町田瑠唯=8日・さいたまスーパーアリーナ(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

 涙でも笑顔でもなく、涙の笑顔という表現がふさわしかった。東京五輪の最終日、8日の女子バスケットボール決勝。日本代表は75-90で王者米国に完敗した。終了のブザーが鳴ると、ベンチに下がっていた町田瑠唯(るい)は顔を少しゆがめ、チームメイトと健闘をたたえ合った。

「複雑な気持ちでした」と28歳は正直に漏らした。

 「やっぱり目標は金メダルだったので、終わった時、悔しい気持ちがありました。でも、みんなが笑顔だったので、つられて…。やり切った気持ちと、この舞台を楽しんだという気持ちが笑顔になったのかなと思います」

 小さな日本代表を象徴するポイントガード、身長162センチの町田。コートで交錯する米国のエース、203センチのブリトニー・グリナ―とは実に41センチもの差があった。身長差は、スピードと頭と技術と体力とチームワークでカバーする。

 五輪連覇中の米国の強さはもちろん、分かっていた。1次リーグでは17点差で完敗していた。この日の決勝。米国はさらに日本を分析し、日本の躍進を支えてきた3点シュートを簡単に打たせてくれなかった。準決勝まで41%を誇った成功率が、決勝では31本中8本の26%まで落ちた。

 当然ながら、パスの起点、町田も徹底マークを受けた。司令塔は言葉を足した。

 「自分だけでなく、シューター陣にハードについてきていて、なかなかシューター陣が気持ちよく3ポイントを打てなかった印象です。相手を崩すのに時間がかかったというか、相手のシュートがなかなか落ちなかったので、ディフェンスからブレイクする形に持っていけなかったところがありました」

 町田はコート全体を見渡して、素早い動きとパスで攻撃を組み立てる司令塔である。得点に直結した「アシスト」数は準決勝では18本だったが、この日6本だった。米国の大きな壁は崩せなかった。米国は大きいだけでなく、個人個人のスキルもあった。

 「1次リーグの時より、ディフェンスをアジャストされ、プレッシャーをかけられてきました。こちらもアグレッシブにプレッシャーをかけたんですけど…。(米国選手が)シュートを打つぎりぎりまで、全員が最後まで合わせるとか、徹底していけば、アメリカを違う形で崩せたんじゃないかと思います」

 今大会の女子日本代表は初めて決勝に進んだ。準決勝進出も初めてだった。女子代表が目標にしたのが、かつてのサッカー日本代表の「なでしこジャパン」だった。2011年ワールドカップを制し、12年のロンドン五輪で銀メダルに躍進し、女子サッカーブームを巻き起こした。

 またバスケットボールの男子は八村塁らの活躍で脚光を浴びている。五輪前、町田は「女子も注目してほしい」と言っていた。

 「女子は結果を出さなきゃいけないとわかっていました。決勝まで行って、女子バスケがいろんな方に見てもらえて、いいオリンピックになったんじゃないかと思います」

 五輪前、女子代表のトム・ホーバス監督はずっと、「金メダルを獲る」と口にしていた。ほとんどが笑っていた。

 「トムさんが金メダルを獲ります、金メダルを獲ります、と言ったことに対して、誰も信じてなかったと思いますけ。正直、自分たちも獲れるのかなという気持ちがあったんです。でも、トムさんが言い続けて、自分たちもそれを信じるようになって、バスケットができたことが、今回の結果につながったんだと思います」

 ホーバス監督は、日本語で「ルイ(町田)はすごいですよ」と評した。

 「小さいけど、頭がいいです。視野が広いです。ルイは長い間、この日本のバスケットをやってきたから、自信持っています」

 北海道・旭川市の出身。小学2年でバスケットを始めた負けん気の塊はひたむきな努力を積み重ね、日本代表まで上り詰めた。2016年リオデジャネイロ五輪では控えだったが、今大会では先発の座をつかんだ。

 からだが小さくとも、自らを鍛え、信じ、考え、挑みかかる気概があるなら大きい選手にも対抗できる。そんなバスケの美徳を、町田は体現してきた。

 町田はもちろん、バスケットボールを大好きだ。だから、女子バスケの人気拡大、そんな使命感が頭をもたげてきた。だから、東京五輪のメダルがほしかった。

 表彰式後のミックスゾーン(取材エリア)。約10分間。町田は大事そうに、ずっと右の手の平で胸にかけた銀メダルを抱えていた。

 「今回、こうやって、銀メダルを獲ることができて、いろんな人が女子バスケットボールの魅力を知ってもらえたし、世界に通用するということも伝わったと思います。そういった意味で、この銀メダルは重いです」

 狭い通路のうしろを190センチ台の米国選手が笑いながら歩いていく。その前では、162センチのからだに直径85ミリの銀メダルが輝く。夢と言っていたメダルを、とうとう獲得できた。いわば希望のメダルだ。小さくても世界と伍することができる、それを実証してくれたのだった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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