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平和とピエロを愛した元ラガーの画家、岡部文明さんの没後初個展

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
岡部さんの遺作の前に立つ範子さん(22日・銀座「うしお画廊」)=筆者撮影

 もう1年も経つのか。元ラガーの画家、岡部文明さんが天国に召されて。このほど、没後初となる個展が、東京・銀座のギャラリー「うしお画廊」で1週間、開かれた。題して『岡部文明展―サーカスという小宇宙』。個展最終日の5月22日の昼下がり。故人の遺した数々の白壁の絵を見ながら、妻の範子さんがしみじみと漏らした。

 「まだずっと、彼とは一緒に人生を歩いている感じなんです。ここに来られた方も、楽しそうに絵を見てくれました。彼も喜んでくれていると思います」

 岡部さんは16歳の時、ラグビーの練習中に頸椎を骨折、その後、車いすの生活を余儀なくされた。でも、絵画と出会い、約50年間、魅了されたサーカスとピエロを描いてきた。テーマが「愛と平和」。2019年ラグビーワールドカップ(W杯)期間中、横浜の赤レンガ倉庫で1カ月半の『愛と平和の岡部文明展』を開いた。

 その絵画展の帰途、疲れ果てた岡部さんはこの銀座のギャラリーを訪ね、今回の個展のスケジュールを立てたのだった。岡部さんは故郷福岡に帰郷後、精力的に絵の制作を続けた。だが、突然だった。昨年4月下旬、急性肺炎で急逝した。71歳だった。

 ウソみたいだった。あの元気な岡部さんが。多くの知人、ラグビー仲間が嘆き悲しんだ。今回の絵画展にもその仲間が駆け付けた。徹夜明けのラグビー専門誌の編集長、毎年の年の瀬、福岡の岡部宅で酔いつぶれていた飲み仲間、そして岡部さんの陽気な人間性と絵画に魅了された人々…。土曜日には、ラグビーW杯日本大会組織委員会の事務総長を務めた嶋津昭さんまで奥様と一緒にやってこられたのだった。

 範子さんは言った。「ほんとうに静かな、閑散とした個展になるだろうと思っていたんです。そうしたら、毎日、(来場者は)切れ目なく、100人以上も来て下さった。もう、うれしくて、うれしくて」

 僕も土曜日の午後、画廊をのぞくと、ハートフルな空気が流れていた。実は岡部さんの絵にはすべて、どこかに岡部さんのモチーフが隠されている。耳を澄ますと、どこからか岡部さんの快活な声が聞こえてきそうだった。ビルの3階。小さなフットサルのコートの半分ほどの広さの部屋に、初公開となるペン画や絵本の原画など約50点が並んでいた。

 その絵の中の岡部さんと旧交を温めるがごとく、ピンク色のマスクをつけた範子夫人を中心に白マスク姿の人々が小声で言葉を交わしていた。みんな、にこにこしている。まるでサーカス小屋の楽屋のようだった。

 岡部さんが大事にしたのは、「愛と平和」だった。物の豊かさではなく、心の豊かさだった。このたびの新型コロナ下での「平和の祭典」、東京五輪パラリンピックの混迷に接しては、岡部文明さんを思った。何て言うだろうと。

 平和って何だろう。範子さんは感慨深そうに言った。「彼がずっと、サーカスとピエロを描いていたのは、その(平和の)願いですよね。人間性復興。一時期、反原発など、人類への警鐘を絵に込めていました」と。

 僕は、岡部さんと会って、ちょうど10年となる。初めて会ったのは、2011年のラグビーW杯ニュージーランド大会中のウェリントン郊外の美術館での個展だった。岡部さんはラグビー精神を、そしてサーカスとピエロを、愛していた。生前、こう言った。

 「僕にとって、ラグビーとは、理想郷にたどり着くための、道を切り開くヒントを与えてくれた人生のよき恩人だったと思います。そして、ピエロを見た時、哲学めいたメッセージが僕に伝わってきました。楽しく幸せな空間をつくり、誰をも笑顔にしてくれる。ピエロの願いは、世界の平和なのです」

 笑顔の範子さんから目を移し、ふと画廊の窓際をみると、午後の柔らかな日差しを浴びた黄色のヒマワリが5輪、花瓶に挿されていた。ヒマワリの花言葉は「愛慕」。互いを深く愛し慕うことである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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