愛と平和の元ラガーの画家、岡部文明さん逝く

在りし日の岡部文明さん=2019年9月13日、横浜で(撮影:小倉和徳)

 突然のお別れだった。訃報の手紙が届いた時、すぐには信じられなかった。愛と平和の象徴としてサーカスのピエロを描き続けた元ラガーマンの画家、岡部文明さんが4月23日、71歳の生涯を閉じた。新型コロナウイルスの感染からではなく、死因は急性肺炎だった。

 16歳のとき、ラグビーのアクシデントで車いすの生活を余儀なくされた。だが絵の世界へ飛び込んで約50年、サーカスとピエロに魅了されて約47年、一心不乱に自分の世界を突き進んできた。妻の範子さんは電話口で涙声だった。「好きな道をずっと歩んできて…。(突然の別れは)ウソみたいで…」

 僕が初めて岡部さんに会ったのは、9年前のラグビーワールドカップ(RWC)ニュージーランド大会の開催中だった。ウェリントン郊外のポリルアの「パタカ美術館」。現地の新聞で日本人画家の個展をたまたま知り、晴れ渡った日、車で美術館を訪ねた。

 ガラス張りの瀟洒な建物に岡部さんは、いた。大きな声、はつらつとした姿。僕が育った福岡が岡部さんの出身地ということもあり、話ははずんだ。たしか、「ラグビーは僕の人生そのものだったんです」と言い、「夢が実現しました」と笑っていた。

 岡部さんは福岡の高校時代、ラグビーでけがし、からだに障がいを負った。大分の病院でリハビリ中、来日中のニュージーランド学生選抜の4人から突然、見舞いを受けた。どれほど励みになったことか。

 9年前のRWC期間中、岡部さんはその4人のうち、健在の2人と、パタカ美術館で再会を果たした。44年ぶりだった。岡部さんは4人にお礼の絵も描いていた。図柄は、今でもはっきり覚えている。真ん中に空飛ぶピエロ、手には4本の花と4通の便せん。便せんには見舞いにきたニュージーランドの4人の名前が書いてあった。

 出会いは奇跡、出会いに感謝と岡部さんは口にした。こうも、言った。「なんでも“できない”と思ったら終わり。“絶対できる”と思うところから始まるんです」

 岡部さんは、晩年のルノアールが、マヒした手に絵筆を縛り付けて描く姿に感動し、画家の道を歩み始める。サーカスのピエロと出会う。時に切なく、時にユーモラス。何かを感じ、一心にピエロを描きだした。範子さんと一緒にサーカスのピエロを訪ねて、車いすで世界を旅した。アメリカ、イタリア、ドイツ、スイス、ロシア…。感じて動けば、そこに出会いと縁が生まれた。

 約500人ものピエロと交流を重ねてきた。たくさん、ピエロの絵を描いてきた。なぜ、と聞いたことがある。

 「ピエロを見た時、哲学めいたメッセージが僕に伝わってきたのです。楽しく幸せな空間をつくり、誰をも笑顔にしてくれる。ピエロの願いはきっと、全世界の平和なのです」

 何度も個展を開いてきた。昨年のRWC日本大会の時は、その期間に合わせ、1カ月半も横浜湾岸の横浜赤レンガ倉庫で『愛と平和の岡部文明展』が開かれた。海外からの観戦客を含め、たくさんのラグビー仲間で会場はにぎわった。僕も2度、行った。

 ラグビーとピエロの共通点は、愛と平和でしょ。ワールドカップは平和の祭典ですよ、と岡部さんは横浜の会場で言った。その人生は平たんではなかっただろう。何度もくじけそうになりながら、めげずに前進してきた。こう、言葉を足した。

 「私にとって、ラグビーとは、理想郷にたどり着くための、道を切りひらくヒントを与えてくれた人生のよき恩人だったと思います。ラグビーで学んだ、倒れても倒れても、すぐに立ち上がり、前に進む精神力…。そして多くのラグビー関係者の精神的支えがあったからこそ、私は今、存在しているんです」

 もっとも、一番支えてきたのは妻の範子さんだった。僕は岡部さんの絵にココロを揺さぶられ、言葉から勇気をもらってきた。実は我が家には岡部さんの絵が一点、飾られている。柔らかく、どこか楽しい心象と、しっとりとしたカラフルな色使い。

 窓外から降り注ぐ朝陽に照らされた絵の真ん中で、岡部さんに似たピエロが笑顔でラッパを吹いている。合掌。