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ラグビーの縁がつないだピエロ展ー愛と平和に満ちた岡部文明展

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
元ラガーマンの画家、岡部文明さん、渾身のピエロ画の前で(撮影:小倉和徳)

 愛と平和の象徴としてサーカスのピエロを描き続ける元ラガーマンの画家、岡部文明さんの展覧会が13日、横浜湾岸の横浜赤レンガ倉庫ではじまった。決勝戦などが同市で開かれるラグビーワールドカップ(RWC)日本大会(9月20日~11月2日)を祝うがごとく、絵のキャンバスではカラフルなピエロが愉快そうに踊っている。

 もう8年が経つ。2011年のRWCニュージーランド大会開催中、僕がウェリントン郊外のポリルア市の「パタカ美術館」で岡部さんに初めて出会ってから。岡部さんはその後もピエロ画を描き続け、今度は、RWC日本大会に合わせ、13日から11月3日まで、横浜で個展を開くことになった。

 「もう縁ですね」と、岡部さんは感慨深そうに漏らした。

 「そう縁です。手をつないだ愛と平和ですよ。眞下さんがね、ニュージーランドであれだけやってくれたのだから、おれたちも何か手を貸したいと言ってくださったのです。そういうラグビー仲間の思いが発展して、こんな大きなことが実現しました。なんだか、ここにいるのが、不思議な気持ちです」

 眞下さんとは元日本ラグビー協会専務理事の眞下昇さんのことで、この展覧会の主催『岡部文明2019展実行委員会』の実行委員長を務めている。12日のオープニングパーティーには、眞下さんはもちろん、同実行委員会会長の元内閣総理大臣、森喜朗さん(元日本ラグビー協会会長、現東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長)や多くのラグビー仲間が祝福に駆け付けた。

 70歳の岡部さんは高校時代、ラグビーの練習中に首を骨折し、車いすの生活を送りながらも絵筆を握り続けてきた。故郷の福岡にやってきたサーカスのピエロとの出会いが人生を変えた。光が見えた。道化に徹しながらも、どんな人のココロも豊かにする姿に感銘を受けたのだった。

 以後、絵を必死に学び、欧米やロシアを旅して、数百人のサーカスのピエロと交流を重ねてきた。じつは大ケガからのリハビリ中、病院に見舞いに来て励ましてくれたのが、来日中のラグビーNZU(ニュージーランド学生選抜)の選手たちだった。キラキラ輝く思い出である。岡部さんは言葉に実感をこめる。

 「ラグビーとピエロの共通点は、愛と平和でしょ。ワールドカップは平和の祭典ですよ。ラグビーのチームは国籍を超えた多様性がある。ピエロも国境を越えて、あちらこちらにいって、幸せのタネをまいていく。あっ、そうだ。両方とも服装はシマ模様を着ていることもあるでしょ」

 当然のごとく、岡部さんの人生は平坦ではなかった。大ケガを負い、何度もくじけそうになった。でも、めげずに前進してきた。こう、言葉を足した。

 「私にとって、ラグビーとは、理想郷にたどり着くため、道を切りひらくヒントを与えてくれた人生のよき恩人だったと思います。ラグビーで学んだ、倒れても倒れても、すぐに立ち上がり、前に進む精神力…。そして多くのラグビー関係者の精神的支えがあったからこそ、私はここに存在しているんです」

 1973年から46年間、岡部さんはラグビー精神でピエロを描き続けてきた。気のせいかな、歳月が経つにつれ、絵の中の人々は目を開き、明るい色彩が増しているように見える。今回は選りすぐりの油彩や水彩、銅版画など約120点が展示されている。珍しい立体オブジェのようなピエロの絵画もある。

 オープニングパーティーには元ラグビー日本代表の吉田義人さんも家族で訪れた。絵を見て回り、その迫力に圧倒されたようだ。感想を問われ、短く答えてくれた。

 「どれもココロを揺さぶる絵ですね」

 展覧会は入館無料で、午前11時から午後4時半までオープンしている。会期中は休まず開催する。ラグビーのワールドカップの熱戦を満喫し、ピエロの絵を堪能する。最高のスポーツと芸術の秋がやってきた。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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