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衰えぬ挑戦精神、日野・木津武士の闘い

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
初陣を飾り、日本代表への復帰を目指す木津武士

 男は顔だな、とつくづく思う。トップリーグ初昇格の日野レッドドルフィンズには、いい顔の選手がそろっている。例えば、昨年NECから移籍してきた主将のFL村田毅、3年前にサントリーから移ってきたFL佐々木隆道、そして今春、神戸製鋼から加わったHO木津武士。名前と同様、野武士のごとき風貌。覚悟を秘めたチャレンジャーとは、自然とこういった顔付きになるのだろう。

 8月最後の夜。トップリーグ初昇格の日野レッドドルフィンズは宗像サニックスブルースに33-3で圧勝し、初陣を飾った。スクラムで重圧をかけた。その中心には、2015年ラグビーワールドカップ戦士の木津がいた。30歳。勝利の味を聞けば、「正直、サニックスさん相手にこう、ここまで緊張したのは初めてでした」と安ど感を漂わせた。

 確かに神鋼時代はサニックスに何度も勝ってきている。でも環境が変わった。自信はともかく、イケるという気持ちにはなれなかったと明かした。

 「きょうはいいセットプレーができたのでホッとしています」

 勝負の流れを変えたスクラムがある。前半中盤、中央あたりのマイボールのスクラムだった。傍から見ても、当たり勝ったのが分かった。ウエイトが相手に載った。ボールインでぐいぐい押して、相手のコラプシング(故意に崩す反則)をもらった。

 アドバンテージでゲームは進み、ゴール前でもういっちょ、オフサイドのペナルティーを得た。タッチに蹴り出し、ラインアウトからFLアッシュ・パーカーがインゴールになだれ込んだ。ボクシングで言えば、最初のスクラムのワンプッシュがボディーブローのように効いていたのだ。

 あのスクラムはよかったですね、と声をかければ、木津は口元を少し緩めた。

 「ま。僕らはスマートに考えて、ここぞという時はプレッシャーをかけていこうと話をしているんです。いい形がとれたら、“行こか”みたいなパターンで。やっぱりヒットですよ、ヒット。センターラインをとれれば、そのまま一気に押しにいくんです」

 日野のフロントロー陣は強力である。個々の強さも重さもある。3番のパウリアシ・マヌはチーフス時代を含めてスーパーラグビー通算80試合以上に出場してきた経験豊富なプロップ。1番の長野正和もヤマハ時代、日本代表を経験している。加えて、40歳の元日本代表、久富雄一らも控えている。

 これを、木津がリードする。「僕が日野に来た時、8人がまだ、ばらばらだったんです」と振り返る。

 「開幕までには、きょうのようなスクラムを組もうと言って、まとめてきました。1本1本、いいルーティンで、いいセットアップして、組めれば、(トップリーグ)上位のチームにもプレッシャーをかけられる時もあると思います。もちろん、そんなに甘くはないでしょうが、エネルギーが続く限りはスクラムを強みにしていきたいですね」

 実は木津は後半の序盤、スクラムを押しに行った際、足をつらせている。クセみたいなものだ。そこから10分、踏ん張り、後半20分過ぎ、交代した。ノーサイドのホーンは、グラウンドサイドのベンチで聞いた。負傷交代した佐々木隆道と並んで座っていた。

 「隆道さん、最後、横で試合を見ていて、“もう泣きそうやわ”と言い出して」とうれしそうに思い出した。

 「“おっ、泣いてる、泣いてる”って言ったら、“オレが来た時の3年前の日野なら、ありえへんで”って。3年前からすごく進化しているので、感動していたんでしょ」

 この開幕戦は先発15人中、13人が移籍組だった。いろんな経歴を持つチャレンジャーが集まって融合し、日野は不思議な魅力を醸しだしている。木津はしみじみ漏らした。

 「いろんなチームの選手が集まってきているので、いろんなチームのいいところをピックアップできているのはすごく、ありますね。とくに知識のある選手が数人いるので、そういった知恵も絞り出していければ」

 ラグビーという競技は、選手たちが鍛え、信じ、考え、結束し、挑みかかる気概があれば、格上にも対抗できうるのである。もちろんトップリーグは甘くない。これから、さらに厳しい戦いが続くのだが。

 それは木津もよく、承知している。「これで調子に乗ることなく」と繰り返した。

 ところで、素朴な疑問、木津はなぜ、日野に移ってきたのか。

 「移籍して、環境を変えて、もう“ひと皮むけたい”という気持ちがあったからです」

 木津は日本代表で44キャップを重ねた。前回のラグビーワールドカップにも出場した。だが、一昨年11月以来、日本代表から遠ざかっている。代表復帰への火が燃える。

 「また代表スコッドに呼んでもらえるよう、やれるだけやりたいんです。まだまだできる。ジェイミー・ジョセフヘッドコーチからチャンスをもらうには、トップリーグで見せるのが一番の近道だと思うんです。来年のワールドカップ、まだあきらめていません」

 帽子のツバを後ろに向けて、生来の挑戦者は淡々と口にするのである。楽天家のようで、どこかニヒル。己の闘いが日野レッドドルフィンズの躍進につながっていく。

              (了)

 

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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