Yahoo!ニュース

平尾誠二さんの遺志を引き継いで~ラグビー日本代表、イタリアに惜敗

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
平尾さんの高校の後輩、SH田中選手が奮闘=齋藤龍太郎撮影

 もう1年8カ月も経つのか。「ミスター・ラグビー」こと、平尾誠二さんが天国に召されて。その「メモリアルマッチ」が行われ、ラグビー日本代表はイタリア代表に22-25で惜しくも敗れた。第1戦につづく、2連勝はならなかった。

 「日本のラグビーをつくってくださった方のメモリアルマッチだったので、ほんと勝って終わりたかったんですが…」と、スクラムハーフの田中史朗は声を落とした。伏見工高(現・京都工学院高)で平尾さんの後輩となる33歳。小柄な体を張ったが、雪辱に燃えるイタリアにあと一歩、届かなかった。

 「ファンの方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。僕たちがその(平尾さんの)思いをしっかり引き継いで、日本のラグビーをもっと大きくしたり、人気を出したりしていかないといけないなと思っています」

 平尾さんの最大の功績は、ラグビーの人気と価値を、さらには社会におけるスポーツの価値を高めたことだろう。ラグビーワールドカップ2019日本大会の会場となるノエビアスタジアム神戸のコンコースには、同志社大や神戸製鋼、日本代表で活躍した平尾さんの懐かしい写真が展示されていた。

 選手だけでなく、この日の2万余の観客の多くが、故人へ思いをはせたことだろう。だから、より白星で飾ってほしかった。だが、勝負の世界、甘くはなかった。

 欧州六カ国対抗の1つ、イタリアは1週前より、コンディションが上がっていた。接点に勝負をかけ、得意のフォワード戦で圧力をかけてきた。とくに二人目の寄りと激しさが第1戦とは違った。キックの量を減らし、ボールをつなぎ、タテへの突破を効果的に絡めてきた。必死だった。

 日本代表とて、覇気で劣ったわけではない。序盤、ゴール前のピンチでも、フォワードとバックスが一体となってしっかりディフェンスした。ただ問題はディシプリン(規律)である。4分、ロックのアニセ・サムエラが危険なプレーでシンビン(10分間の一時退場)となった。

 相手より一人少なくても、日本は懸命に守った。インゴールにキックを蹴り込まれると、脱兎のごとく戻ったSH田中がボールをキャッチし、トライを防いだ。これは、スタンドオフの田村優や、フルバックの松島幸太朗としっかりコミュニケーションがとれていたからだろう。

 前半12分、右中間の28メートルぐらいの位置でPKを得た。絶好の先制のチャンスだった。だが、50キャップ(国代表戦出場)目となるSO田村がPGを右へ外した。これが痛かった。

 この日はゲームの流れが悪かった。なぜかというと、ペナルティーである。ハンドリングミスである。田中は敗因を漏らした。

 「ペナルティーがすごく多くて。そこで相手はリズムをつくってきたし、僕らは逆にリズムをつかめませんでした」

 PKは前半、相手の5つに対し、日本は7つも犯した。PKでタッチキックを蹴られ、ラインアウトからドライビングモール、つないでトライを許した。前半で3-12とされ、後半開始直後、ディフェンスの乱れからトライを奪われた。16点差とされた。

 日本はここから追い上げた。ジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC)は「タオルを投げずに戦った」と選手の労をねぎらった。

 「ポジティブなところは、日本代表の個性を発揮し、勝てそうなところまで持っていったところです」

 この2連戦の収穫はなんといっても、スクラム、ラインアウトのセットピースの安定だろう。スクラムが強くなった証左だろう、イタリアはゴール前でPKをもらっても、スクラムを避け、タッチに蹴り出したのだった。イタリアのフッカー、ギラルディーニ主将には会見でこう、言わせた。

 「セットピースが日本の成長の要素のひとつだと思います。とくにスクラムはハードに、アキュレート(正確)に組んできます。ヒットも強い。感覚として、六カ国対抗のチームと同じレベルだと思います」

 その言葉をミックスゾーンで伝えると、フッカーの堀江翔太はほくそ笑んだ。

 「シックスネーションズでやっているチームに対し、スクラムでペナルティーをとったことは、日本代表としてはなかなか、ないと思います。(2連戦で)自信にはなったと思います。慎さん(長谷川スクラムコーチ)と出会ってから、こつこつと積み上げてきたものがどんどん進化しているので…。自分たちの進む道は間違ってないかなと思います」

 次のジョージア代表もまた、スクラム強国で鳴る。32歳は小声で漏らした。

 「楽しみですね」

 もう一人、この日、平尾さんをとくに意識していたのが、スタンドオフの松田力也である。平尾さんと同じ中学、高校でラグビーに没頭した。後半途中から田村に代わり、ラインを動かした。3つのトライを演出した。

 24歳の司令塔は言った。

 「素晴らしい方だったと思っています。その偉大な先輩に“追いつけ、追い越せ”で、1試合1試合、1日1日、レベルアップしていきたいと常に思っています」

 そういえば、平尾さんは生前、「ラグビー選手は、駆け引きを楽しめるタイプじゃないとダメでしょう」とおっしゃっていた。

 松田は今、その駆け引きを学んでいる最中であろう。パススキルは磨かれ、視野も広がっている。交代直後、ワンプレー目のクイックパスでCTBトゥポウのトライにつなげた。

 ジョセフHCは1999年ワールドカップで平尾さんが日本代表監督の時、選手としてプレーした。同HCはこう、思い出した。

 「日本人だけでなく、外国人からも非常にリスペクトされている方だという印象が残っています」

 ところで、この日の観客には、平尾さんの写真入り特製ファイルが配られた。1995年ワールドカップ南アフリカ大会のアイルランド戦のトライを決めた時の写真のデザインである。ボールを両手で抱え、インゴールを目指し疾走している。誇りと使命感を背負って。

 平尾さんの夢だったラグビーワールドカップ2019日本大会まであと1年3カ月である。日本ラグビーの発展のために。その遺志を引き継ぎ、日本代表の進化がつづく。

 

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

松瀬学の最近の記事