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バット作りの名人、「感謝」の55年。

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

これほど「名人」の二文字がしっくりくる人物も珍しい。バット作り一筋55年、真心を込めて、大打者たちの道具を作り続けてきた。いつも謙虚に、一心に。バット作りの名人はまた、人生の達人でもある。

名人、ミズノテクニクスの久保田五十一(いそかず)さんが28日、工場のある岐阜県養老町で会見し、バット作りからの「引退」を表明した。失礼は百も承知。どうしても声が聞きたくなり、電話をかけた。受話器から、懐かしい、滋味のある声が聞こえてきた。

昨年、松井秀喜さん(元ヤンキースなど)の引退式を見た時、次は自分の番だと思ったそうだ。70歳。心境を漏らす。

「バット作りが生活の一部となっていた55年間でした。いまは非常に複雑な気持ちです。ホッとしている部分と、やり残したことがあるんじゃないか、といった部分と」

久保田さんは中学を卒業し、1959(昭和34)年、自宅そばのミズノ養老工場(現ミズノテクニクス)に入社した。以来、バット職人として半生期余。落合博満さんやランディ・バースさん(元阪神)、松井さん、イチロー選手(ヤンキース)ら多くのプロ野球選手のバットを手掛けてきた。大リーグで通算4千本安打を記録したピート・ローズさんのバットも、である。

継続は力なり、と教わった。5、6年前の秋の早朝、日課の自宅そばの山歩きにご一緒させてもらったことがある。毎朝、腹筋、背筋200回を続け、獣道のような険しい山道を愛犬と共にタッタッタと歩いていく。鳥のさえずりに耳を澄まし、樹木のにおいをかぎ、森の間に差す朝陽に目を細めていた。

山歩きの際、たしか、こんなことを言った。「自然に感謝しています」と。自然を愛し、木に敬意を表し、謙虚にバット作りに打ち込まれているのだ。そう、思った。

ミズノテクニクスという会社に入ったことで、久保田さんは名選手と出会う機会を得た。「一期一会」。その縁に感謝し、「選手ありき」で素材を選び、丹念に削って磨き、バットを作ってきた。

久保田さんを取材させていただくことで、「いい顔のバット」やしなりや粘り、木目の性格などがほんの少しだけ、わかった。ノミやカンナの刃先の大事さも知った。なんとバット作りとは奥が深いものか。これもまた、日本の「伝統工芸」である。

当然ながら、久保田さんは厚労省の「現代の名工」に選ばれている。でも、そんな表彰よりも、本人は選手からの賛辞の方がうれしいだろう。名人は名人を知る、である。イチロー選手も松井さんも、久保田さんの覚悟を感じ、感謝をしていた。

久保田さんはじつは料理の腕前も相当なもので、調理師免許を持っている。最近、時折、そば打ちをしていると聞いた。どうしたって、シャキッとしているに違いない。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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