「天才と言い切れる棋士はただ一人」羽生善治九段の師匠・二上達也九段が絶賛した大天才はやっぱりあの人

(記事中の写真撮影・画像作成:筆者)

 羽生善治九段(49)の師匠である二上達也九段(1932-2016)は昭和の名棋士です。

「もし大山さえいなければ、二上は永世名人になったのではないか」

 関係者やファンからは、そんな惜しまれ方をしました。二上九段は同時代に大山康晴15世名人(1923-92)という史上最強クラスの巨人がいたために、ついに名人獲得はなりませんでした。ただし大山名人と並び称される升田幸三九段(1918-91)に対しては、二上九段は勝ち越しの戦績を収めています。

 その二上九段がただ一人だけ「天才」と認めた棋士がいました。それが後輩の加藤一二三九段です。

百人を超す棋士と対局したが、天才と言い切れる棋士は加藤一二三九段ただひとりである。読みが広く深く、かつ正確であった。

対局後の感想戦では、こちらの手順まで、あらゆる変化をしっかり読み切っている。加藤さんの読み筋から抜け出せないものがあった。私は後年、十八歳の羽生善治五段と対局したが、十八歳の加藤さんは羽生に勝りこそすれ、けっして劣りはしない。

出典:二上達也『棋士』2004年刊

 1988年度NHK杯。あの鮮烈な▲5二銀を放って、18歳五段の羽生少年は、初手合の加藤九段に勝ちました。

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 実はそこからの加藤九段が強かった。あまり知られていないことかもしれませんが、羽生五段は初手合での勝利の後、加藤九段に3連敗を喫しています。

 18歳の羽生少年は歴代名人を連破してNHK杯で優勝するほどに強かった。そして49歳の加藤九段もまた、その天才少年に後で痛烈な3タテを食らわせるほどに強かった。そういうことになるでしょう。

 そして18歳の加藤少年がまたケタはずれに強かった。

 戦後の新しい時代、打倒大山の一番手と目されたのが二上達也八段(当時)でした。その二上八段がA級に昇った24歳の時、16歳の加藤六段と初めて対戦します。「京都新聞」主催の新年掲載用の特別対局で、公式戦の扱いをされました。

 加藤六段が先手で、戦型は戦後大流行した角換わり腰掛銀。現代にも通じるようなスタイリッシュな攻めが見事に決まり、形勢は加藤六段の勝勢となりました。しかしそこから「寄せの二上」と呼ばれた二上八段が底力を見せ、最後は大逆転。先輩の二上八段がなんとか面目を保った格好となりました。

 ただしその後の二上青年-加藤少年戦は、加藤少年の3連勝。奇しくも師弟揃って、加藤現九段を相手に、同じような星取りをたどったことになります。

 NHK杯・加藤-羽生戦の解説で、米長邦雄九段(1943-2012)は次のように語っていました。(聞き手は永井英明さん)

米長「(1966年に)加藤さんと最初に対局した時に、矢倉の激しい将棋を負かされて、感想を聞いたんですよ。加藤さんはね、将棋盤の底まで読んでるんじゃないかと思いましたね。読み筋がね、これがこうなる、こうなればこうなるこうなる。こうやったらどうだ、それはこうなるこうなる。よく読んでましたね」

永井「よく加藤九段は『一に読み、二に読み、三に読み』と書かれますから、やはり読みの深さというのはすごいんでしょうね」

米長「読みの深さはもう天下一品ですね。僕の五倍以上は読んでる」

米長「とにかく読みますね。とことん読む。あとで将棋盤調べて、穴が空いてるんじゃないかという、本当にそれぐらい読む」

出典:1988年度NHK杯・加藤-羽生戦、大盤解説

 加藤九段の読みの深さ、広さ、正確さ、そして天性の感覚を絶賛する声を拾っていけば、それだけで一冊の本になります。また既にそうした本はたくさん刊行されています。先日のNHK杯アンコール放映で羽生少年の強さとともに、壮年時の加藤九段の強さに初めて触れたという新しいファンの方はこれを機に、ぜひともそれらの文献をひもといていただければと思います。

 二上九段は24歳の時、入門(奨励会入会)以来6年でA級八段という超スピード昇進を果たしています。一方で加藤九段はなんと、18歳でA級八段。どれほどの天才が今後現れても、おそらくは破られない不滅の記録として、将棋史に残り続けるでしょう。