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将棋界ではいつまで棋士となる夢を見続けられるか?「鉄の掟」26歳の年齢制限とその先

松本博文将棋ライター
三段リーグの表に勝者が白星のスタンプを押す(記事中の画像撮影:筆者)

 将棋界では昔は、細かい年齢については「どっちでもええやないか」で、わりと適当だった。

 この原稿は当初、そんなゆるふわな話を書こうとしたものです。その前置きとして年齢に厳しい現代の将棋界の話を書き始めたところ、その前置きが思わず長くなってしまったので、まずはそちらをまとめておきたいと思います。

 スポーツなど年齢に制限のある競技で、年齢を若く申告し、ユースの大会に出場していた、などという事例は、世界的に見られるようです。

 日本の高校バスケットボールの全国大会で、アフリカのある国からの留学生が年齢を若くいつわって出場し、その高校が全国大会で優勝したことがありました。それからかなり時間が経過した2011年、留学生の「年齢詐称」が発覚し、優勝を取り消されるという大きな事件が起こりました。現代の日本でも、こうしたことは起こります。

 重要なのは何よりも棋力であって、細かいことに関してはわりと「どっちでもええやないか」という精神が伝統の将棋界では、年齢に関する限りは、昭和の半ばから、次第にシビアな目で見られるようになりました。それは棋士の養成機関である奨励会に年齢制限が設けられたためです。

 1966年(昭和41年)、河口俊彦四段(1936-2015、没後八段)は29歳10か月と比較的高齢で棋士となりました。このあたりで、31歳になるまでに四段にならなければ奨励会退会という規定が設けられたようです。

 その他にも初段には何歳まで(時期によって変遷あり)にならなければ退会、などの基準も設けられました。ただし当初はわりと適当で、幹事の裁量によって適当に延長されました。本当だったら退会なのだけれど見過ごしてもらったおかげで棋士になれた、という人もいます。森信雄七段もその一人です。

21歳で初段の規定を森はクリアできなかったのだ。もはやこれまで、と思って覚悟していたが誰も退会せよとは言ってこない。それをいいことに森は年齢制限を過ぎたにもかかわらず、こそこそと奨励会で対局をつづけた。誕生日に規定をクリアしていなければ機械的に退会になる現在と違い、森がいたころの奨励会は大らかなところがあった。(中略)森は毎日をおどおどしながらすごし、そうしているうちにいつの間にか初段に上がってしまっていたのだった。

出典:大崎善生『聖の青春』

 森七段は現在、関西将棋界の名伯楽として知られています。門下からは村山聖九段(1969-98)など多くの棋士、女流棋士が輩出されました。もし森七段が棋士とならなかったら、将棋界の歴史も少なからず変わっていたかもしれません。

 1982年、年齢制限はさらに引き下げられ、26歳までに四段となることが求められるようになりました。80年代にはもう、年齢に関しては古き良き?「どっちでもええやないか」精神は見られません。年齢制限は「鉄の掟」として、奨励会員に重くのしかかってきます。

 将棋は年若くして才能を発揮して者が強くなります。たとえば二十代を過ぎて本格的に将棋を覚えた人が、現代のプロレベルの棋力を獲得することは、現実的にはかなり困難です。ただし可能性としてゼロとは言えないでしょう。

 また、何らかの事情で奨励会を受けず、二十代半ば、あるいはもっと歳を取ってから、その強さがプロレベルとして注目されることはあるでしょう。小池重明さん(1947-92)は伝説のアマチュア強豪で、非公式戦ながら多くのアマプロ戦で多くの勝ち星をあげました。例外的にプロ入りの話も持ち上がったものの、結局は立ち消えとなっています。

 1987年には三段リーグが「復活」します(過去の三段リーグについてはここでは省略します)。三段同士でリーグ戦をおこない、半年1期で上位2人が四段に昇段するというシステムです。その趣旨は簡明で、四段に昇段できる棋士の数を制限することにあります。

 それまでは規定の成績をあげれば、何人でも四段に昇段できました。たとえば1980年度(昭和55年度)には8人の棋士が生まれています。この年度に四段に昇段した棋士の多くは早くから活躍し、タイトル獲得者も多く「55年組」とも総称されました。

 現在では三段リーグがあるため、どれだけ優秀な奨励会員が集おうとも、基本的には年間4人だけしか棋士となれません。そして30人前後の三段が、わずかな枠をめぐって過酷な競争を繰り広げます。ごくわずかな例外規定はあるものの、原則的に26歳にまで四段となれなかった青年は、裁量がほどこされる余地もなく、規約通りに退会させられます。

 そもそも、年齢制限が設けられるのはなぜでしょうか。その趣旨は規約には書かれていません。残念ながら才能十分とは言えない少年、青年に、早めに棋士になることをあきらめさせ、早めの社会復帰をうながすという「親心」で説明されることもあります。それが必要かどうかは、見方がわかれるところでしょう。

 2005年。アマチュアの瀬川晶司さん(当時35歳)のプロ編入試験が大きな話題となりました。ちこで改めて、三段リーグの厳しさが社会的に大きくクローズアップされました。

 瀬川さんは元奨励会員でした。年齢制限によって三段リーグを抜けられず、奨励会は退会します。その後、アマチュアとして活躍し、プロ公式戦で大きく勝ち星をあげました。当時にあっては、奨励会を退会して三十代半ばとなったアマチュアが再びプロになれるなどというのは、夢のような話でした。瀬川さんにとっては(そして将棋界にとっても)幸運が続いて、プロ編入試験はおこなわれ、瀬川さんの夢は実現します。

 もしこの時、瀬川さんがそれほどの成績をあげていなかったり、プロ試験が認められていなかったりしていれば、現在の棋士編入試験も存在していないかもしれません。

 筆者の個人的な印象としては、三段リーグはあまりに厳しい制度と感じられます。三段リーグではこれまでに様々なドラマが伝えられてきました。将棋界を舞台とする文学作品、映像作品は数多くあります。その中でも三段リーグの模様は数多く描かれてきました。

 報道する側は、事実を事実として伝えるのは当然です。そして、前提となる制度ははたしてベストなのかという点についても、ドラマを伝える側は常に念頭にすべきだとは思います。

 では棋士登用の制度がどうあるべきかを問われれば、簡単には何ともいえません。それは将棋界全体の制度の最適解は何か、という大きな問題となります。

 部分的な修正として、瀬川さんのプロ試験合格後、技量抜群のアマチュアのために、棋士や奨励会への編入制度が確立されました。この点については、当時における最善手が指されたようにも思われます。

 2014年。元奨励会員の今泉健司さん(当時41歳)が棋士編入試験に合格し、現代将棋史上最年長で四段となっています。

 明日2月25日、棋士編入試験第4局を戦う折田翔吾さん(30歳)もまた、多くのファンの声援を背負って、夢への再挑戦の途上にいる一人です。

 現在おこなわれている第66回(2019年度後期)の三段リーグでは、女性の西山朋佳三段が初の「女性棋士」となるかが注目されています。

 西山三段は現在24歳。26歳の年齢制限を前にして、大きなチャンスが訪れています。

 過去には里見香奈三段(現女流四冠)が三段リーグを戦ったものの、年齢制限が厳格に適用され、退会を余儀なくされています。「女性会員の場合には少しぐらい年齢制限を緩和しよう」という話は、これまであまり聞いたことがありません。そのあたりもまた、将棋界らしいといえそうです。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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