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負けて悔しい将棋を振り返られるか? 棋士編入試験敗戦後の山本博志四段とアゲアゲさんの場合

松本博文将棋ライター
(記事中の写真撮影・画像作成:筆者)

 既報の通り、棋士編入試験第3局は、折田翔吾アマが山本博志四段に勝った。

 終局後、負けた山本博志四段がTwitterでつぶやき、さらにnoteを更新していた。

 読めばすぐに、その真摯さが伝わってくる。

 プロの視線で見れば、山本四段のどこかに、甘いところはあったのかもしれない。そして結果を出せなかったことについても、批判はあるのかもしれない。

 しかし多くのアマの目には、最後まで勝負を捨てずに指し続けた山本四段の姿は、少なくとも「カッコ悪い」とは映らなかったはずだ。山本四段は重要な一局で敗れはした。しかしファンは増えたに違いない。

 山本四段は終局後すぐに中盤の▲9八香という手を悔やんでいた。

「9八香」は、両取りを掛けさせて技を掛けに行った手だが、全く読みの入っていない腑抜けた一手だった。序中盤からの激しい攻防を乗り切り、一転緩やかな流れに入った瞬間、時間切迫と疲労に打ち勝てなかった。

出典:山本博志「折田戦」

 部分図を示す。

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 ここからじっと、香を一つ上がる。

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 結果的には、本局ではいい手とは言えなかったようだが、忙しい中盤戦でじっと香を逃げる手は、実力や経験がなければ、その発想は最初からないだろう。

 筆者はその▲9八香の一手を見て、どこか既視感を覚えた。あれなんだっけ、と脳内を検索して、ようやく思い出した。1971年度A級順位戦▲升田幸三九段-△中原誠十段・棋聖戦で、部分図のような局面を見たことがあった。

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 升田九段は他の自然な手を指したが、それが敗着となった。ここでは▲9八香と逃げる手があった。

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 いま手元のソフトで当時の棋譜を解析してみたら、やはり▲9八香を正解としていた。そしてもしそう指していたら、先手よしと判定した。逃げた香は追いかけられれば取られてしまうのだけれど、△9九飛成から△9八龍と進むと、龍がよく利いている一段目からそれてしまう。

 山本四段は、逃げた香を馬で取らせた先に誤算があったようだ。将棋はいつでもケースバイケースで、同じ手であっても、局面によっては好手にも悪手にもなる。升田九段は▲9八香を指さなかったことが敗着となり、山本四段は▲9八香と指したことが敗着となった。

 実力本位の競技である将棋において「運」という言葉を安易に使ってはいけないのかもしれない。それでもあえて言えば、▲9八香が好手とならなかった山本四段には「運」がなかった。あるいは、折田アマに「運」があった、というべきだろうか。

 負けた山本四段は、対局後にすぐに反省の言葉を綴っていた。

 一方、第3局の山本四段戦で勝った折田アマは、はしゃいだ様子でYouTubeの動画をアップしているかというと、そうではない。1局目でも、そんなことはしなかった。棋譜を振り返るライブ放送をしたのは、負けた2局目だけである。そこでアゲアゲさんは反省をしていた。

むしろ、負けた時の方が振り返りやすいんですよ、実は。勝った時にライブしたら自慢してるみたいやから。負けた時の方が、めっちゃ振り返りやすい、っていうのはあるんです。勝った時はようやらないですよ。負けても勝ってもやるっていう人やったらいいんですけど。勝った時だけやって、負けた時だけやらへん、っていう人にだけは絶対になりたくないんで。

出典:折田翔吾「棋士編入試験第2局を振り返ってみる」

 アゲアゲさんはそんなことを言っていた。そうした姿勢がYouTuberとして人気を呼んでいるのだろう。

 逆に言えば、勝った時だけネット上で自慢する、という人は、本人はそれで気持ちがよくても、あまり人気は出ないだろう。そして普段からそういう姿勢でいると、わりと早い段階で進歩が止まってしまうようにも見受けられる。

 将棋を指す人の真価は、不利に陥った時、手痛い負けを喫した時、逆境に立たされた時に表れる。それはおそらく、プロもアマも、昔も今も変わらないだろう。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)、『など。

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