碁盤・将棋盤の脚の意味は「口なし」へそは「血溜まり」で助言者の首を斬って据えるという伝説は本当か?

将棋盤の裏には「へそ」「血溜」と呼ばれるくぼみがある(記事中の写真撮影:筆者)

 タイトル戦など大きな一番の際には、榧(かや)で作られた立派な将棋盤が使われます。その際に、裏には対局者の署名がされることがあります。写真は2005年の名人戦七番勝負で、森内俊之名人と羽生善治挑戦者が署名したものです。

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 将棋盤の四隅には脚(あし)をはめこむ穴があります。また盤の中央にはくぼみがあります。

 碁盤、将棋盤に関して、2つの有名な「伝説」があります。

 ひとつは盤の脚(あし)に関してです。高級な盤には、凝ったデザインの脚がついています。

 江戸時代には、こうしたデザインの将棋盤の脚が作られるようになったようです。これは「梔子」(くちなし)の実をかたどったものです。なぜ梔子なのか。それは「『口なし』という言葉に由来し、その通り、助言をいましめる意味がある」というのが現在に伝われる伝説です。

 もう一つの伝説は、盤の裏のくぼみに関するものです。このくぼみは一般的には「へそ」、時には「血溜まり」(ちだまり)と呼ばれます。

 「血溜まり」とはずいぶん物騒な言い方です。これは「助言をしたものの首をはね、ここに据えたことに由来する・・・」ということになっています。

 これらは将棋に関するちょっとした「小ネタ」として将棋愛好者の間では有名です。またネット上でも定期的にバズる話題のようです。

 この伝説については、筆者も子供の頃から、何度も書籍で目にしてきました。ではその出典はどこにあるでしょうか。

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囲碁・将棋界の伝説はどこまで本当か

 囲碁や将棋史の歴史をたどる定跡として、明治から大正にかけて刊行された事典『古事類苑』の「遊戯部」の項目を見てみます。すると以下の一文があります。

[橘庵漫筆五]碁盤の足の山、梔子形なるは、助言をいましむる所以なりとはかねて聞ぬ。琅邪代酔(ろうやたいすい)に、盤の裏面の切子形は血溜にて、助言せし者の首を切てすゆる処なりといへり。

出典:『古事類苑』

 『古事類苑』に引かれている通り、上記2つの伝説は、日本の文献では、田宮仲宣が1801年に刊行した『橘庵漫筆』五に書かれている記述が、最も古いようです。原典の『橘庵漫筆』の方も確かめてみましたが、確かにその記述はありました。

 梔子(くちなし)が「口なし」に通じるというのは、中国の古典籍に書かれているものではなさそうです。日本語の語呂合わせなので、なるほど、これは中国ではなく日本で生まれた話でしょう。それをいつ日本の誰が言い出したのかは、これ以上はよくわかりません。

 遊戯史研究の権威である増川宏一さんは、次のように述べています。

(前略)くちなしを口無し(横から口出しをしない=助言をしない)に懸けているが、俗諺であって信じがたい。

出典:増川宏一『将棋1』1977年刊

 順序としては、梔子の実をモチーフとし、美しくデザインされた脚が作られるようになった後、語呂合わせで「梔子は口なしに通じる」という話をどこかの誰かが、いつしか言い伝えとなったのではないか、とも推測されます。

 次に「血溜」の話について。『橘庵漫筆』には、中国の明代に張鼎思という人が書いた『琅邪代酔編』にその旨が記されていると書かれています。

 筆者は『琅邪代酔編』の和刻本に一通り目を通してみました。張鼎思は博覧強記の人で、古今の様々な話を書き記しています。たとえば囲碁の話では有名な「爛柯」の故事もありました。しかし「血溜」の記述に関しては、筆者は見つけることはできませんでした。

 「これはもしかして『橘庵漫筆』著者の田宮仲宣の勘違いか、あるいは中国の何かしらの古典ではなく、どこかの誰かの適当な創作を書き留めたものではないか。『琅邪代酔編』の記述にそんなことが書いてあるのなら、将棋史研究の先人の目にもとまり、その旨をどこかに書き残しているのではないか。しかしどうも、そんな話を聞いたことがない」

 以上は筆者が思ったことです。というわけで、もし盤のへそに助言者の首をはねて据えたという話について尋ねられた際には、以下のように答えることになるでしょう。

「江戸時代の田宮仲宣という戯作者が1801年、『橘庵漫筆』という著作に書いています。私が知る限りでは、これが最も古い文献上の資料のようです。『血溜』(ちだまり)の話に関しては、田宮仲宣は『琅邪代酔編』に書いていると言っていますが、浅学非才の私は、残念ながらその該当箇所を見つけることができません。もしわかったら、教えてください」

 雑なまとめサイト風で終わってしまって残念ですが、後世、もしこの件に関して興味のある将棋愛好者が現れた時のため、以上、書き残しておきます。

 念のため、碁盤、将棋盤のへそにはまず、実用的な意味があります。小松碁盤店の小松武樹さんは、次のように記しています。

昔、助言をした人の首を斬って載せた時の血溜りという人もおりますが、専門的立場からいいますと裏は表よりも空気の当たる率が少なく、盤が狂いやすくなりますので、裏にヘソを彫り空気のふれる面を多くして、狂いを防いだのです。(中略)またヘソは碁石や駒を打ったとき、音をよくするためでもあると考えられます。

出典:小松武樹『囲碁と将棋の泉』1959年刊

 さて、改めて。確かに助言はいけません。囲碁、将棋は基本的に一人で戦うものです。対局者に他の誰かがアドバイスを与える「助言」があっては、競技の根底が覆ってしまいます。

 女性や子供、初心者が対局している際に、やたらと口を出したがるおじさんを見たりしますが、それももちろんいけません。本人は親切のつもりかもしれませんが、対局者にとってはありがたいどころか、ただの迷惑です。

 では囲碁、将棋で助言をしたら、首をはねるほどのことかと言われると、それはどうでしょうか。囲碁や将棋は、平和な世界で戦われるゲームです。戦いは戦いですが、首斬りというリアルな世界の血なまぐさい話は、なじまないものでしょう。

 江戸時代、碁打ちや将棋指しは、幕府から一定の庇護は受けていました。しかし身分は武士と同じではありませんでした。本因坊算砂は僧侶、初代大橋宗桂は町人の出身で、その後継者たちもまた、武士ではありません。

 日本の将棋では特に相手の駒を「殺さない」ことを誇りとします。取った駒は「殺す」のではなく、持ち駒として味方になってもらって、その駒に見合ったはたらきをしてもらうのが、将棋のいいところです。

 また、最も大事な駒である玉を「殺す」という表現もしません。周囲を取り囲んで、動けなくして「詰ませる」。そして「詰み」の時点でゲーム終了です。

 助言をたしなめる際にはどうすべきでしょうか。たとえ相手に非があっても、頭に来て「お前殺すぞ」と怒鳴るのはよくないでしょう。「アドバイスありがとうございます。ところで将棋盤の脚は何をデザインしたものかご存知ですか?」とにっこり笑ってみせるのも、一つの手なのかもしれません。