25日、アニメファンの間に衝撃が走った。アニメ「けものフレンズ」のたつき監督が、今後本作を担当しないことをTwitterで明らかにしたのだ。

筆者も含めて驚かされ、また非常に残念に感じているファンが多いはずだ。この原稿を書いている時点で、上記ツィートへの「いいね!」(よくない、と捉えている人がほとんどのはずだが)は15万を超えている。

現在(2017年9月26日9時)のところ、けものフレンズ公式アカウントをはじめ、たつき監督以外の関係者からのアナウンスはない。しかし筆者が各所から聞くところでは、原作側(カドカワ・マンガ家の吉崎観音氏)と、制作側(ヤオヨロズ・たつき監督)とで、「けものフレンズ」の展開を巡って、幾つかの意見の相違があったようだ。

人気を受けて続編の制作が監督のTwitterで示唆され、全国各地の動物園ではコラボイベントが開催、JRA・日清食品がコマーシャルに起用するなど、盛り上がりが最高潮にあるなかの今回の出来事は、「コンテンツは誰のものなのか」という根本的な疑問を私たちに突きつけるものだ。たつき監督は「ざっくりカドカワさん方面からのお達し」があったことを明らかにしているが、ファンからすれば「なぜカドカワの一存で監督が降板させられるのか」納得がいかないというのが正直なところだろう。(ファンによってはじまった監督続投を願う署名活動にはすでに1万人以上の賛同が寄せられている)

コンテンツの創造主として、原作(者)は絶対的な存在だ。吉崎氏の優れた世界観設計やキャラクター造形があってこそ、アニメ「けものフレンズ」は生まれたからだ。しかし、奇しくもソーシャルゲーム終了という憂き目にあった直後に、放送開始となったアニメこそが、コンテンツとしての「けものフレンズ」を生き返らせたのもまた事実だ。

アニメ「けものフレンズ」は、比較的安価な3Dソフト「Cinema4D」を用い、極めて少人数で制作されている。通常、テレビアニメの制作には外注を含め100人単位でスタッフが関わることがほとんどだが、この作品はたつき監督を含め十数人が一つの部屋に集まって作っている。分業が進んだテレビアニメの世界では、絵コンテが上がり、実際に絵が上がってくるまでは手を出さない/出せない監督も多いが、たつき監督は自ら脚本を手がけ、レイアウトを切り、CGによるキャラクターの動作もつけている。制作体制もさることながら、派生して生まれた映像のボリュームなどもみるに、監督の貢献度は極めて高いものがある。野生動物の特徴をキャラクター造形に見事に活かし、独特の世界観を生みだしたのが吉崎氏とすれば、その世界観を再構築し、フレンズたちに演技をつけ、その魅力を映像で強く視聴者に印象づけたのはたつき監督であることは間違いない。

製作委員会という仕組み、原作とその翻案である映像作品との関係といったビジネス面での大前提にたてば、原作出版社であるカドカワに主導権があることは自明だ。しかし、「けものフレンズ」をアニメで知り、その世界観とキャラクターを愛したファンにとっては、その功労者であるたつき監督抜きでの「けものフレンズ」はあり得ない、というのが自然な感情だろう。

(参考)コミケで「たつき監督完売」の瞬間にあるフレンズの行動が優しい世界を作った話

コンテンツの展開においては、そのビジネスを支える2つの要素として「ウィンドウ」と「グッドウィル」がキーワードとして挙げられる。

(参考)ASCII.jp:アニメビジネスを読み解く3つの理論 (2/2)

ウィンドウは、コンテンツを展開する場所やタイミングを指す。「けものフレンズ」は、ソーシャルゲームが最初のウィンドウとなり失敗に終わったものの、アニメのテレビ放送という次のウィンドウで大ブレイクしたという事例となる。そうしたウィンドウ展開によって、ファンがコンテンツに触れ、その世界観やキャラクターに対して愛着を覚え、消費行動を取るといった感情の動きが「グッドウィル」だ。

つまりファンのグッドウィルを考慮すれば、今回の出来事はコンテンツの価値を毀損し、結果的にビジネスにもマイナスの影響をもたらすものだ。けものフレンズの世界観は、多様性に対する私たちの包容力(包摂)が問われる現代において、極めて重要なメッセージが込められていたようにも思う。そんな作品において、けものフレンズをヒットに導いたたつき監督を「のけもの」にするかのような状況になっているのはとても残念だ。

原作(者)と翻案制作(者)が、それぞれの貢献度合いやクリエイティブの在り方を巡り見解が一致しない、というのはコンテンツの歴史においても繰り返されてきたことだが、何とか「けものフレンズ」とそれを愛している筆者も含めたファンが幸せになる方向性を探って欲しいと願ってやまない。

#初出時「カドカワが主幹事」となっていたため修正しました。