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国営マンガ喫茶論を超えて~なぜ国によるマンガ・アニメのアーカイブが必要なのか?

まつもとあつしジャーナリスト・コンテンツプロデューサー・研究者
アニメ東京ステーションエントランス展示より

アニメ東京ステーションが10月31日にオープンを迎えた。ニュース報道などでは海外でも人気のある『NARUTO -ナルト-』の展示が紹介されることが多いが、注目すべきは地下1階のアーカイブ展示だ。「アニメアーカイブ」フロアには、カット袋に入った原画やセル、さらにはフィルムといった約5万点の中間成果物が収蔵され、制作工程ごとにまとめられている。

手前の編集机や機材は11月末で事業を終了する東京現像所から寄贈されたもの
手前の編集机や機材は11月末で事業を終了する東京現像所から寄贈されたもの

このアニメ東京ステーションをはじめとして、来年度に向けた予算要求の季節を迎え、マンガ・アニメのアーカイブ(保存と利活用)に関わるニュースが続いている。

1つめの「マンガ・アニメの国立美術館」は、かつての麻生政権時代に「国立メディア芸術総合センター」として予算計上されたものの、「国がマンガ喫茶を運営するのか」などと批判を受け政権交代後に中止となった構想を思い起こさせるものだ。

クールジャパンというスローガン(こちらも批判も多いものだが)を持ち出すまでもなく、マンガ・アニメは日本が世界に誇るコンテンツであることは間違いない。しかし、単にワンピースのような人気作品をプレゼンするのであれば、国がおカネを掛ける必然性は薄い。そんなことをしなくても、国内外のファンは展示会などに足を運んでくれるからだ。

一方で、これらの計画に含まれるアーカイブ=中間成果物を含めた網羅的な保存と利活用は単なるショーケースではない点には注意が必要だ。アニメ東京ステーションは、事業主体が東京都、運営が一般社団法人日本動画協会が担っているが、筆者はデジタル化も含めた本格的・網羅的にアーカイブに取り組むのであれば国でなければ実現不可能で、永続的に予算を掛けて行うべき事業だと考えている。

完成品とは異なる中間成果物の価値

国や自治体がマンガ・アニメに関する施設を作る、と聞いてまずイメージするのは、人気作品のキャラクターや名場面が展示されていたり、そのグッズの販売コーナーがあったりというものだろう。もちろん、そういったコンテンツも集客や収益性の観点からは重要だが、それらは主に民間の仕事だ。

国や自治体が取り組むうえで重要なのは、アーカイブ=マンガであれば原画、アニメであれば絵コンテやセル画などの中間成果物の収集と活用となる。2つめのニュース「マンガアーカイブ機構が本格始動」で取り上げられている秋田県横手市が運営する「横手市増田まんが美術館」が、マンガにおけるアーカイブの取り組みとしては象徴的な存在といえる。

横手市増田まんが美術館
横手市増田まんが美術館

横手市増田まんが美術館は、2020年に亡くなった漫画家 矢口高雄氏が、自身のみならず、幅広いマンガ家の原画の収集を呼びかけて1995年に設立され、これまでに45万枚以上のマンガ原画を所蔵している。

現在では多くのマンガはパソコンやタブレットでのデジタル制作となっているが、かつては紙にペンを入れ、トーンを貼り付けて印影をつけ、ホワイトと呼ばれる修正液などで微調整を行うといった全てアナログ作業の積み重ねで生まれていた。そうやって生まれた原画を出版社が預かり、それを版下原稿として印刷された雑誌や単行本を私たちは作品として日常的に目にしているわけだが、美術館に展示された原画を見ると印刷物ではわからない、様々な作業の過程や作家それぞれの創作の工夫を確認することができる。

マンガ原画は印刷・掲載が完了すると、出版社から作者に返却されるのが通常だが、その過程で散逸したり、保管されていても状態が良くないといったケースも少なく無い。故矢口高雄氏は「浮世絵の版木のように海外に流出させたくない」と述べていたが、この美術館がこれらを収集し、それだけでなく将来に備えて高解像度でのデジタルアーカイブ化も日々進めていることは、過去の創作過程の研究のみならず、現在、そして将来のクリエイターの教材としても、非常に価値がある取り組みといえるだろう。

近年、マンガやアニメの原画を展示するイベントも人気を集めており、全く収益性がないとは言えなくなっているが、横手市増田まんが美術館のように様々な作者による作品を網羅的にアーカイブする取り組みは、一企業で行なえるものではない。横手市の予算の中でも本美術館の債務負担は約9千万円あり、790億円ほどの市の年間予算のなかで小さな額ではなくなっている。

いわゆる「国立美術館」のようなインフラ(施設だけでなくアーカイブについての専門知識を持ったアーキビスト・学芸員の雇用や育成も含む点に注意)がまずあって然るべきだ。そこに出版社やアニメ関連企業などが協力して収集した資料を収蔵していく、という取り組みが行われることが理想的だ。

アニメ中間成果物のアーカイブは更に困難

アニメにおいては、アーカイブを巡る環境はさらに複雑で難易度の高いものになっている。絵コンテから画面の設計図となる「レイアウト」が組まれ、そこからキーとなる「原画」を描き、その絵に動きを付ける「動画」を大量(フルアニメーションであれば秒間24枚・2コマ打ちなら12枚、3コマ打ちなら8枚)に描き、さらにそれらを1枚1枚「セル」に転写して彩色(仕上げ)を施し、背景が描かれた「美術」と共に工夫を凝らして撮影されるなど100名以上の人々が関わる様々な工程を経て完成映像となっている。デジタル化が進んだ現在でも、原画・動画・美術の多くは紙に描く工程が維持されているのが現状で、1タイトル12話~24話以上あるそれら中間成果物を保管しようとすると、ダンボール箱が何十個も積み上がることになる。(これらがいかに膨大かは長年プロダクション I.Gでアニメアーカイブに取り組んできた山川道子氏の記事に詳しい)

山川道子氏「アニメーションアーカイブの現状 2017:デジタルアーカイブスタディ」artscape  より引用
山川道子氏「アニメーションアーカイブの現状 2017:デジタルアーカイブスタディ」artscape より引用

さらに、アセテートフィルムなどを原料とする透明なシート=セルの保管はとても難しい。湿気をすってしまうとセル自体が収縮して、転写されたカーボンやその上に塗られた塗料が剥がれたり、間に挟んだパラフィン紙に癒着してしまったりも。新潟大学を中心としてこういったセルの劣化を防ぐための科学的な検証をはじめアニメ・アーカイブについてのさまざまな研究(※筆者もほんの一端であるが共同研究に参加させて頂いている)が精力的に行われているが、決定打となる保管方法はまだ確立されていないのが現状だ。

加えて、セル画のような中間素材は、既に市場に出回ったもの以外は、誰が所有権を有しているのかも曖昧なまま暫定的な保管がされていることがほとんどだ。たとえアニメーター個人が制作したとしても、職務著作としてスタジオが著作権を持つと解釈されるケースでも、それらの中間成果物を責任をもって保管・管理できるスタジオは稀だ。納本義務を前提として名目上は国内の全ての出版物が収蔵されることが企図されている国立国会図書館のように、アニメのアーカイブについてもまずは必要な時に預けることができる場所があり、そこからの取捨選択や保管は専門家(学芸員)に委ねることができるインフラが公的に整備されなければならない。

「国営マンガ喫茶」という先入観は捨てるべき

かつての「国立メディア芸術総合センター」構想に対しては「国営マンガ喫茶ではないのか」という批判があったが、アーカイブの本質を理解していればこのような批判は全くの的外れであることがわかる。しかし冒頭に挙げたような報道を受けてまたこのような雑な批判の声も大きくなっているようだ。

古くは版画における版、マンガ原画、そしてアニメの膨大な中間成果物は、創作者が知恵を絞り技術を磨いたその痕跡が確認できる静かな証人なのだ。もちろん、国がその本質を外さない計画を推進できるかは十分な検証が必要となるが、「そもそもおカネを掛けるべきではない」「おカネを掛けたところで管理する人材がいないではないか(→人材育成にもおカネを掛ければ良い)」といった水掛け論に惑わされてはいけないことは間違いない。

ジャーナリスト・コンテンツプロデューサー・研究者

敬和学園大学人文学部准教授。IT系スタートアップ・出版社・広告代理店、アニメ事業会社などを経て現職。実務経験を活かしながら、IT・アニメなどのトレンドや社会・経済との関係をビジネスの視点から解き明かす。ASCII.jp・ITmedia・毎日新聞経済プレミアなどに寄稿、連載。デジタルコンテンツ関連の著書多数。法政大学社会学部兼任講師・デジタルハリウッド大学院デジタルコンテンツマネジメント修士(プロデューサーコース)・東京大学大学院情報学環社会情報学修士 http://atsushi-matsumoto.jp/

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